2-3:髪飾り

 そこら中で買い食いをしている内に、二人はついに目的とする画材屋へたどり着いた。色とりどりの顔料、石が飾られている店の奥深くへと、ユファは早々に入り込んでいく。棚の商品を一つ一つ手にとっては、目を爛々と輝かせた。

 彼女は笑みを押さえられないまま振り向く。


「なあ、この色よくないか?」

「正直、俺には分からないな。気に入ったんなら買ったらどうだ? これだけの数からユファの目についたんなら、きっといいものなんだろ」


 急に目の前に掲げられた黒い石に価値をうまく見いだせず、ヴェニタスは苦笑いする。


「うーん……そうだな、買う! じゃあこれはひとまず置いといて、あっちの方のも見てみる!」

「ああ」


 適当に店内をうろついては、意見を言い合う。ユファはいつになく真剣な表情で、楽しそうに品々を吟味していく。そうやって色々と見ているうちに、ついに彼女は買うものを決めたようだ。そのまま先程の黒い石と、複数種の顔料を会計まで持っていった。


「おや、あなた達デートかい? まあ、お揃いの服なんて着ちゃって……うふふ」

「いや……その……僕らは、なあ?」


 気の良さそうな店のお婆さんが迎えると、ユファはもじもじしながら困ったようにヴェニタスを見上げる。どうも何かを期待しているかのように、待ちわびる。


「何やってる。ほら、早く払え」

「……う、うん。はい、ばあさん」

「あらあら、うふふ。つれない彼ね」


 残念そうに俯くと、ポケットから数枚の貨幣を会計机に置くと、画材屋のお婆さんがくすくす笑いながら、ヴェニタスの方に商品を渡した。


「はい、あんまり意地悪しちゃだめよ」

「どうも」


 ヴェニタスは素早く商品を受け取ると、開いた手でユファの手をとり、さっさと店の前から早歩きで離れていく。


「うわっ。急にどうしたんだよ、引っ張るなって」


 振り向いてお婆さんの姿が見えなくなったのを確認すると、文句を言い始めた。


「だったら言うが、ユファ、もう金に困ってるわけでもないんだから、いい加減に自分の服くらい買え。きっとまた、さっきみたいに変な勘違いをされるぞ。いつまで貧乏性でいる気だ」

「なんだよ……いいだろ別に。お前の古着だって裁縫しなおせば、十分僕が着れるんだから。別に新しく買う必要なんてないだろ。僕はこのままでいい」


 変にもじもじしながら、自分の着ている服を守るように、手を繋いでいない残りの片腕を胸元に回した。


「そ、それよりさ」


 繋いでいる手をじっと見ていたかと思うと、やおら急に下腹部を押さえた。


「ヴェニタス……僕ちょっと……お腹痛い」


 ボトリ、とこれまで買い食いしてきた大量の串が入った袋を取り落とし、ユファが苦しそうに言った。

 ヴェニタスは額を抑える。


「またかお前……相変わらずよく腹を壊すな」


 呆れた顔でヴェニタスは彼女の背中をさする。


「んん……ヴェニタスそれ気持ちいいからもっとやってくれない?」

「そのゴミは捨てておくから、早くトイレ行ってこい」

「うん……」


 あたりの人混みをなんとかかき分けながら、ユファは更に西の方へと向かっていく。それを見届けると、ヴェニタスはゴミを捨てる場所を探して、あたりを見回す。

 すると一軒、市場の中でひときわ目立つ店舗があった。


「さて……俺は俺で、買い物を済ませておくか」


 彼は次の任務のことを思い出し、装飾屋へ歩き始めた。


 ―φ―


「ごめん! 待たせた! もう帰りの馬車が少なくなってくるころだし、急いで帰ろう!」


 数十分あと、群衆の群れをかき分けて戻ってきたユファが、しれっとヴェニタスと手を繋ぎなおす。

 そのまま歩き、人混みの中へぐいぐいと彼を引っ張っていく。


「待て、ユファ」

「ん、なんだよ」


 呼び止める声に、彼女は意外そうな表情で振り返る。しかしながら、言われて止まるつもりもないようで、そのままヴェニタスを引っ張って進もうとしている。


「おい、少し手を離せ」

「……はあ? なんで? 離す必要なんてないだろ」


 ピタリ、と彼女は動きを止める。気に入らないと言わんばかりに口がへの字に曲がっていく。


「いいから」

「なんで…………はいはい、分かったよ」


 無言でしばらく駄々をこねたあと、しぶしぶと彼の言うとおりにする。そんな彼女の掌を、ヴェニタスは優しく掴んだ。


「これをやる」


 そう言って、彼女の手の平の上に、ヴェニタスの握り拳がポンと乗せられる。ユファの渋い顔がしばらく興味深げに変わったあと、ある瞬間から一気にほころび、花が咲いたようになる。手の上と、ヴェニタスの顔を交互に見比べる。


「あ……え!? プ、プレゼントか!? 僕に!?」

「ああ」


 彼は誇らしげに言って、ゆっくりと開く。ユファの手の平の上に落ちたのは、透き通った黄金色の髪飾りだった。べっ甲で作られたであろうそれは、滑らかな質感が視覚からも伝わってくるようだ。


「うわあ……ありがとうってこれ、お前……」

「ああ。髪飾りだ。お前に似合うと思ってな。良かったらここでつけてくれないか」

「お前さあ……ふざけてんのか、ヴェニタス……期待させやがって」


 彼女の輝いていた瞳が一気に暗く霞んでいく。ふるふると拳をつくり、髪飾りを硬く握りしめた。プレゼントは、みしみしと形状が歪んでいく。


「今すぐ店に返してこい! 僕は先に帰ってる!」


 にべもなく答え、ヴェニタスが何事か言おうとする間もなく、彼の方へと髪飾りを投げつけた。そっぽを向いたあと、腕を大きく振りながらずんずんと先へ進んでいってしまった。


「残念、作戦失敗か。しかし……もうこりゃあ返品できないだろう」


 ユファのそんな後ろ姿を見ながら、彼はひびの入った髪飾りを夕焼けの光に透かして苦笑いした。


 ―φ―


「……はあ」


 その日の車内。気疲れした男と、拗ねた女が離れて座席に座っていた。


「お前これ、結構したんだぞ?」

「……ふんっ」


 ヴェニタスが先程からどれだけ話しかけても、彼女はただ座席の隅で鼻を鳴らすだけで、一言も口を利かない。


「ほら、お前がひびを入れたせいで返品できなくなった。ここ、見ろよ」


 彼女に見せつけるように髪飾りを手に掲げ、ひびをゆっくりと指でなぞる。それだけでひびが広がり、もう少しで折れてしまいそうだ。


「ふん……」

「どうしても貰ってくれないか? 別に使わなくてもいいからさ。男の俺が持っていても仕方ないだろ」


 ヴェニタスはまたもや彼女に問いかけるが、今度は、相槌のように繰り返されていた不満げな鼻鳴らしが聞こえなかった。見れば馬車の中、夕焼けに照らされた彼女の横顔が、落ち着いた寝息を立てていた。よほど今日は遊び疲れたのか、ぐっすり眠っていた。


「はぁ……」


 ため息をつくと、ヴェニタスはポケットに髪飾りをしまった。

 そして、じっと窓の外を見た。鳥が自由に夕暮れの海上を飛び回っている。

 次にユファの様子を伺うと、数秒のあと、聞こえるか聞こえないか分からない程度の大きさで、彼はぼそりと呟いた。


「……ユファ。明日から任務でしばらく会えなくなる」


 返事は無い。しかし、ヴェニタスはそれでも気にしていないようだった。しばらく身じろぎもせず、手のひらに置いたべっ甲の髪飾りを見ながら、また何か考え込んでいる。


「任務で結婚式……か……」


 彼は顔を上げ、ぼんやりと彼女の寝顔を見る。

 窓際に頭を寄せる彼女は余りにも、無防備に眠っていた。

 浅い呼吸が胸をゆっくり上下させ、やわら口をひらけて、暗い内側を覗かせていた。

 気がつけばヴェニタスは無意識のまま、眠りについた彼女の唇にキスをしていた。


「っ!?」


 ヴェニタスはすぐに気を取り戻し、席の真反対まで離れる。自分の起こした行動に、心臓の拍動が早くなっていく。


「何をやっているんだ俺は……どうかしている。髪もロクに晒しやしない女に……」


 彼は頭を抱えて呻く。胸の動悸の理由を自分でもよく理解できないまま、揺れる馬車の床を見つめ続けていた。

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