2:結婚式と悪魔像

2-1:彼の趣味

「ご主人様。今日のお仕事にまいりました」


 ある日、城内の一室に女が訪れていた。

 見目は良く言って下の上、街を歩けばもっと容姿の整った者はいくらでもいるだろうか。その所作にも別段光るものは無く、身だしなみもくたびれたものだ。

 しかしながら。

 ただ一点、その髪、金色の長髪だけは艶やかで、並みの女より数段美しかった。


「よし、座ってくれ」


 ヴェニタスは彼女を真っ黒な自室の真ん中に座らせ、髪をすくい上げる。

 それなりに広い一室の中には、粗末なベッドと椅子、大きな鏡が付いた洋服箪笥だけが置いてある。彼自身は、今日は勤務日ではないためか、白シャツと黒パンツのシンプルな部屋着である。


「うん、いい調子だね。綺麗だ」


 彼は週に三回、女の髪を切る。そのためだけに、女を奴隷として買っていた。


「あの……本当にこれでいいのでしょうか?」


 奴隷の女は心配そうにヴェニタスを見上げる。


「どうしたんだい、急に」


 彼女のさらりとした髪の毛を指先でいじりながら、ヴェニタスは上の空で話を合わせる。


「ご主人様に買っていただいて以来、まだ私は何もできていません。それどころか、住居まで手配してもらって、果ては週に1度の散髪までしていただいて……」


 もじもじと手のひらを合せて話す様子に、彼は優しく微笑む。


「いいんだ」


 後ろ髪に手を差し入れ、指で梳いていく。髪を撫で上げ、満足そうに目を細める。


「これでいいんだ。このまま君が綺麗(な髪)でいてくれるならば、それで十分だ。これ以上は、望まないよ」

「ああご主人様……あの、私にも何かさせていただけませんか、私が、本当にそうしたいのです」


 背後からの言葉に頬を染めては遠慮がちに、かすれた声を出す女。ちらちらと後ろに立つヴェニタスを伺う。


「あの、もし今晩空いていらしたら――あっ」


 どんどんどん、と扉が叩かれる音。


 突然のことに、女は怯えたように縮こまる。ヴェニタスは扉の方を見ると眉間にしわを寄せ、露骨に不機嫌さを表現する。


「ちっ……またか」


 彼は舌打ちをすると、早足に扉まで歩き、いまだ強烈なノックが繰り返されるそれを、一気に引き開け、どなった。


「ユファ! この時間は邪魔するなって言っただろ!」


 するとそこには、体を驚きで縮こませた同僚、ユファがいた。キャスケットをしっかりと深くかぶって、ヴェニタスと同じように襟付きの白シャツにネクタイを締め、黒いパンツをはいている。


「い、いや、でもさ」

「言い訳をするな。俺は忙しいんだ」


 言葉少なに会話を終わらせ、扉を閉めようとする。が、彼女はそのままするりと部屋に体を滑り込ませた。


「ちょ、まだ閉めるなよ、話を聞けって! ひとまず換気だ換気。なんかその女のせいで、この部屋ちょーくせえもん」


 ユファはむすっとした顔で奴隷女を見ると、部屋の奥へと入り込み、窓を一息に全開にする。いつもの展開に、腕組みをしたヴェニタスがため息をついた。


「部屋に入っていいと言ってはいないんだが……今日は一体何のようだ」

「市場に行こうぜ。そろそろもっといい画材を買いたくてさ。そうそう、僕、今日は何もなくて暇なんだよ」


 ユファは振り向き、爽やかな笑顔を彼に向ける。彼女はこの城からやや離れたところにある、この国で最も大きい市場にヴェニタスを誘っているようだった。


「いい。俺はこの子の髪を切らなきゃならない。二人でしてる約束なんだ」

「ご主人様……」


 すげなくユファの提案を断ると、ヴェニタスは奴隷女のところまで歩き、その髪を愛おしそうに撫でた。彼女は気持ちよさそうに頭を彼の体に預ける。


「あ? いいだろそんな奴。ほっとけよ」


 にこにこ顔のユファは、彼女自身も内心おどろくほどに、自然と低い声が出た。


「ひっ!?」


 そんな恐ろしく冷たい声に底知れぬ何かを感じ取ったのか、奴隷女は目を逸らすように俯き、ぶるぶると震え始める。

 ヴェニタスは彼女を庇うように二人の間へ立つ。


「そうもいかない。こんなに綺麗な髪をしている子を放っておけるものか。さあ、分かったらとっとと帰れ」


 扉の方へ首をくいと動かし、彼女を外へと促すヴェニタス。そんな彼の動きに、ユファは、「へぇ……こんなのを放っておけないのか。へぇ……」と奴隷女を見下すように鼻で笑った。

 そのまま彼女は奴隷女の方へ歩き近づいていったかと思うと、ユファは深く被ったキャスケット帽のつばを掴みながら、そのままゆったりと彼の横を通り抜けていく。


「そうか。じゃあ、仕方ないな。残念だけど僕一人で行ってくる。ああ、残念だなあ。それにしても今日は暑い、出かける時は帽子をとっておこうかな……」


 わざとらしく手で顔を仰ぎ、ため息をつく彼女は帽子を通り抜けざまに少しだけ浮かせた。アメジストの輝きもくすんで見えるような美しい紫髪がはらりと数束こぼれ、しばしのあいだ、ヴェニタスの視線に晒される。


「っ!? ま、待てユファ!」


 ヴェニタス気が付けば走り、彼女の肩を掴んでいた。先程とは異なり、瞳に異様な熱がこもっている。ユファは横目でチラリと室内の奴隷女を見ながら、肩を掴むヴェニタスの手に自らの手を重ね、満足そうに口角を上げる。


「なんだよ。来ないんだろ? そこの女の相手で忙しいご主人様さんはさ」


 そのままユファは、肩から彼の手を払うべきか決めあぐねているかのように、ゆっくりと撫でさする。そしてもう一方の手で、もう一度帽子のつばを軽く持ち上げて、少しだけ前髪を彼の前に晒した。


「……君、す、すまないが今日は先に帰ってくれ。そういえば……買っておかなきゃならないものがあった」


 紫髪の主から目を離せないまま、ヴェニタスは憑りつかれたように、室内の女に途切れ途切れの声をかけた。彼女はその言葉を聞いて衝撃を受けたように目を一瞬見開くと、すぐに俯いて、静かに頷いた。


「……分かりました。あの……! ご主人様、今日はいつ頃お帰りに――」

「ふふ。早く行こうぜ。僕、楽しみだなあ」


 奴隷女が言い切るより前に、ユファは肩に置かれたヴェニタスの手をそのままぎゅっと掴み、勝ち誇った表情で奴隷女を一瞬見やると、彼を外へと連れて出してしまった。

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