1-4:二人の望むもの


  城に馬車が到着したのち、ヴェニタスはゆっくりと揺り起こされた。

 彼の目に、うっすらとした視界が、徐々にはっきりと映るようになっていく。


「ん……なんだ。やけに近いなユファ」


 目覚めた彼の目前には、ユファの紳士面があった。彼女は膝立ちの状態で、生暖かい吐息がかかる距離まで顔を近づけている。鼻先が触れてしまうかどうかという至近距離で、彼女はささやき、悪戯っぽく笑う。


「へへへ、人の武勇伝はちゃんと聞いておくもんだぞヴェニタス。……ほら、城についたぞ。手、貸しな」

「ああ……ありがとな。それで、みんなはどうした」


 がらんとした車内。眠る前は隊員達でむさくるしい空間だったが、いまや二人きり。随分と風とおりの良い状態だ。


「先に行ったよ。僕たちも早く帰って休もうぜ。ほら、馭者のやつがさ、いい加減に馬車の中から出てこいってうるせえんだよ」


 ユファがヴェニタスの手を引っ張り、そのまま彼は車外に連れ出される。

 馬車は城の内壁を超えたあたりで停められていたらしい。二人はあたりを見渡し、車から飛び降りて伸びをした。


「はあ、相変わらずこの城は真っ黒だよな。これはもはや完全に、悪魔の城って感じじゃね? なあ、お前もそう思うよな? ヴェニタス」


 惜しげもなく土地、金、人が使われたと思われる、立派な巨城。その外壁のすべてが、ここまでする必要があるか、と言いたくなるほど寸分の漏れなく漆黒で彩られていた。


「そうは言ってもな。俺たちの住んでる城だ」


 とはいえ、ヴェニタスも同意見だった。彼が背後を見回すと、今にも雨が降り出しそうな灰色の曇り空と、毒々しい魔術用の草花で彩られた不気味な庭園が見えた。


「僕たちの城かあ……お前がそう表現すると、意外とよく見えてくるな……」


 ユファはそう小さく呟くと、彼女は城門の前で直立している二人の門兵に声をかけた。


「暴食の副隊長ユファ・クロリネルだ。それでこっちの目つきが悪いのはその隊員のヴェニタスだ。遅くなったが通してくれ」

「はっ! ご苦労様です!」


 城門が開かれ、ユファとヴェニタスは中に歩き入っていく。


「目つきが悪いは余計だった」


 ヴェニタスの不機嫌な声音に気付いたのか、ユファはにんまりと口角を上げて振り向く。少し考え込む素振りを見せると、やおら機嫌よく言ってみせた。


「いいじゃん。僕はその目、結構好きだぞ。なんか鷹っぽくてさ。ほら、こんな感じで飛び回りそうでさ!」


 彼女は両腕をバタバタと動かし、これまた真っ黒なエントランスを駆けまわっていく。ヴェニタスはその様子を冷静に眺める。


「……しかし、絨毯も階段もシャンデリアも黒とは、王もなかなかのこだわりだな?」


 すぐ目の前には真っ黒に塗りつぶされた階段があり、城の中は窓など以外はほとんどが黒だ。流石あの外見の城だけあって、中は病気になりそうなほど色の楽しみが無い。彼女の言ったとおり、いよいよ悪魔の城である。

 そんなことを考えているヴェニタスの前に、エントランスを一回りしてきたユファがむくれ顔で帰ってきた。


「お、おい! 僕を無視するな、バカみたいじゃないか! 何度も見てるのに、いまさら内装とかどうでもいいだろ! せっかく僕が元気づけようとしてやったのに」


 さきほどの子供っぽい行動が恥ずかしかったのか、少し頬を赤らめている。あれだけはしゃいでいた癖に、息一つ乱れていないのは流石に副隊長といったところか。ヴェニタスはぼんやりと彼女を見つめる。


「無視しようと思ってもできないよお前は」

「へえ、ホントかよ? じゃあもっとかまえ。打ち合わせが始まるまで時間あるだろ? 僕の部屋に来てその誠意を見せてくれよ」


 ヴェニタスが皮肉を言うと、ほぼノータイムで彼女はずいと顔を近づけ、そのまま彼を部屋に連れ込むために腕をとろうとする。


「いい。俺は時間まで、自分の部屋で休んでいる」

「うわっとっと? え? な、なんで?」


 彼が東通路に向かって素早く歩き始めたため、ユファの掴む手は空振りし、彼女は3歩ほどつんのめった。

 かと思えば、体勢を立て直して走り、目つきの悪い男の前に立つ。その勢いで帽子がズレて紫色の髪がスルリと垂れるが、慣れた手つきで素早く制帽の中にしまいなおした。


「なんだなんだ、今日は久しぶりに城へ帰れたんだぞ。一緒に部屋で酒でも飲もうぜ。これは副隊長命令だ」


 不機嫌そうに口をへの字に曲げて、彼に向けて指をさす。その様子をみてヴェニタスは、目を細めた。


「悪いが、今日の勤務時間は終わりだ。副隊長としての命令を聞く必要は無い。では、おやすみ」

「ちょ、ちょっと待てよ!」


 そうやって手を振りながら、ユファの横をすり抜けようとするが、その手首は捕まれる。不思議に思ってヴェニタスが彼女の方をみると、これからなにがしかの言葉を告げるのをいくらか恥じ入っているのか、目を逸らしながら口をパクパクとしている。


「ん? なんだ? お前も早く寝ろ」


 ふてくされる彼女の手を振り払い、ヴェニタスがそのまま通路を行こうとした瞬間、彼女は背中に飛びついた。するりと腕を腰に回し、今度はぜったいに離すまいと、彼の背中に顔をうずめる。

 そのまま二人は黙り込んだまま、数秒たつ。


「……なんだ、なにも無いなら行くぞ」


 そのままヴェニタスは、抱き着く彼女の腕を振り払おうと、身じろぎ始めた。

 その初動に気が付いたのか、焦った彼女は更に強く抱き着く。


「まっ! 待てよ! それなら……それだったら今日は……ちょこっとだけ、髪を出してやってもいい」

「っ!?」


 その瞬間、電流が走ったかのようにヴェニタスの体がびくりと一瞬震え、硬直した。腕の中でそれを感じ取ったユファは、不思議そうに彼の頭を見上げた。


「……ヴェニタス? どうした?」

「本気か?」

「……え?」


 ヴェニタスは、ぎぎぎぎ……と機械的に震えながら首を回し、ユファの頭部を凝視する。そしてその帽子の下にあるであろう紫髪を想像して。


「嘘じゃないだろうな?」

「ちょ、ちょこっとだけだぞ! ちょこっとだけ!」


 向けられる異様に熱い視線から逃れるように、彼女はヴェニタスから腕を離し、手で頭のあたりを隠しながら後ずさる。顔を赤くしながら、安易に口走ったことを後悔し始めていた。


「構わない。それならいくらでも傍にいてやる」


 即答であった。態度を豹変させた彼は、戸惑うユファの腰に腕を回して引き寄せた。


「お前の部屋は二階だったな、ユファ」


 お姫様のように担ぎ上げたかと思うと、階段のあるエントランスまで、彼女を担いだまま一気に走る。


「そ、そうなんだけど、降ろしてくれよ! だ、誰かに見られ――」

「気にするな! よし、ひさしぶりにその髪、俺が梳いてやろう! はははははは!」


 面倒くさそうにしていた態度はなりをひそめ、目を爛々とさせ、熱意に溢れるヴェニタス。そんな彼の様子を見て、悶々と後悔し始めたユファを連れ、スキップでもするのではないかと思う程、エントランスの階段を意気揚々と駆け登っていく。


「うう、やっぱやめとけばよかった、このばか……」


 真っ赤になったユファはさらに深く、帽子をかぶった。

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