その5 質問されて
「お嬢さんは、」
「はいっ」
真っ直ぐ前を見ていたお兄さんが急に私に目を向けたため、ばちりと思い切り目が合ってしまった。心臓が飛び跳ね、反射的に前を向き、まっすぐ前を見て体を硬直させる。
――不覚だった。
「何故散歩を?」
「あ、えっと、き、気持ちの切り替えです」
私の目線はだんだん下がっていき、最終的には自分の靴を見つめていた。動揺してしまって上手く話せない。
「気持ちの切り替え?」
私の気など知る由もないお兄さんは和やかな柔らかい声を出す。それは世間話を自然と交わしながら一緒に空も仰いでみるような、そんな感じ。
私は尚更恥ずかしくなってしまった。
「あ、そうです。気持ちの切り替えです。金曜日に毎日散歩しているんですけど、金曜日って休日前じゃないですか。散歩しながら今週の仕事の失敗とか嬉しかったこととか振り返って整理するんです。あ、勿論プライベートの方も。そうするとすっきりした良い気持ちで休日が過ごせるので、リフレッシュというか、気持ちの整理というか切り替えというか、そんな感じです」
完全にやってしまった。
話を終わらせた途端、私の額や手や背中から大量の冷や汗が滲んだ。
無論、お兄さんの顔なんて見れたもんじゃない。堰を切ったように早口でべらべらと喋ってしまった。何度も言うが、私は動揺している。
その切れ長の目とか、心が乱れまくっている私のその隣で穏やかに空や木などの自然について考えていそうなところとか、そういうの全部、心臓に悪い。
「なるほど。それはなんとも良い金曜日だ」
私の変な勢いにお兄さんはきっと、急にどうしたのって驚くとか、怪訝な表情をするものだと思っていた。けれど聞こえてきたその声は先程と全く同じトーンのもので、私はやっと顔を上げた。
「ええ、良い金曜日、です」
彼の言葉をなぞってみたくなって、空気に溶けるような声を意識した。でもお兄さんみたいにはできなくて、そんなことは当たり前なのにって思って、私は小さく笑った。
「あ、着きました」
突然、お兄さんがぴたりと止まり、私は彼の二歩分先で止まった。
「え?」
お兄さんの視線の先にはアパートがあった。こじんまりしていて、木造のよく言えば趣がある、悪く言えば古臭く今にも壊れそうなアパート。
私の散歩コースの中にあるアパートはもう見慣れたもので、その建物は私の日常の一部と化していた。
「此処、僕の家なんです」
「え、あ、そうなんですか?」
なんて不用心な人なんだろう。
今日、初めて話をした私に家を教えてしまうなんて。
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