その4 お兄さんの柔らかいところ
「おいくつですか?」
「教えるほどのものでもないですね」
お兄さんの表情を見てすぐに嫌味で言っているんじゃなくて、本当にそう思っているのだとわかった。だって穏やかにとても柔らかく微笑んでいたから。
彼は私の日常である伏し目になり、相変わらず優しい表情でくろのすけを撫でる。くろのすけは猫缶を食べ終わったようで、撫でられる気持ちよさに目を細めながら顔を上げた。
「あ、くろのすけ、もう行ってしまうのかい」
ご飯と愛でられたことに満足したようでお兄さんにアイコンタクトもせず、音もなく塀の上にジャンプし、綺麗に着地した。そして塀を越え、姿を消した。
くろのすけがいなくなったこの空間には私とお兄さんだけ。
私は去るタイミングを完全に見失ってしまい、とりあえずお兄さんの様子を窺う。
「くろのすけ、今日も可愛かったなあ、ね?お嬢さんもそう思うでしょう?」
お兄さんは暫くくろのすけが行ってしまった方を見つめていたがゆっくりと私の方へ目を向けた。
私の心臓が飛び跳ねた刹那、不意打ちの合意を求められ、私は反射的に「はい」と頷いてしまった。でも、本当に私も可愛いと思っている。
お兄さんはとても上手に話を交わせる人だとわかった。彼は自分のその才能に気づいていないのだろうと少し恨めしくなる。
私の感情が揺れ、彼に翻弄されていた。
今までお兄さんがくろのすけを撫で、くろのすけがご飯を食べるところしか見たことがなかった。それが日常だったからだ。
けれど今日、初めてくろのすけがご飯を食べ終わり、颯爽と立ち去る姿やそんな冷たい対応に不満そうな表情を浮かべるわけでもなく、「可愛い」と優しい表情になるお兄さんを知った。
私は新しい物語の中に入り込み、ページを捲ってしまったのだ。
「では、私は家に帰るとするか」
「あ、はい」
徐に腰を上げ、お兄さんは私の散歩コースの方向に歩き出す。私も無意識に彼に釣られて歩き始めていた。
「おや、貴方もこちらなのですか?」
彼の背中、振り向いたときの顔。そこで漸く自分の行動に気づく。
「私の散歩コースです」
私はきっとわかっていた。この人なら受け止めてくれるということを。
「なるほど」
お兄さんは私の言葉を聞くと頷き、迷惑そうな顔ひとつせず、私の隣を歩いてくれた。
男性と女性の歩幅は当たり前だが違うけれどお兄さんとはずっと隣同士で、それはきっと、歩幅を合わせて歩いてくれているということに違いなかった。
ばれないように気を付けながら少しだけ彼を見上げる。
無造作な髪、前髪の間に見える綺麗な目。
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