第31話 遁走

 刀に何かを気づかされた八郎は、その日の内に、ある結論に至った。いや、もしかすると昔から気づいていただけだったのかもしれない。

「うちの藩はバカばっかりだ」

 そして彼はその日の内に、藩にある書類を提出した。

『うちの藩はバカばっかりだ』

 そして彼はその日の内に、脱藩して江戸に向かった。

 いや、ここまで言っといてなんだけど、私個人は清河八郎と語らったことは一度しかないから、細かい情報については知らない。でもまあ、目つきが悪くて狡猾で賢明で、テロリストたちから崇められ、政府から「緊急指名手配犯・トップファイブ」に数えられるような男だ。苗字の様な清い半生ではなかったと思うよ。でもこの時の清河は、まだそんなお尋ね者じゃない。彼は本当に賢くて、本当にバカばっかりだった庄内藩を見限って江戸に来た、常識人に過ぎなかった。そこで入った道場が、北辰一刀流の玄武館。その隣に住んでいた東条一堂先生から儒学やら漢学やらを勉強した。

 そう、ここも山南と一緒。二人はある日、玄武館で出会った。

「ほんだば、お前サ仙台藩け?」

「んだんだ、山南敬助つうもんだます」

「あんれまあ、聞いたこツない名前だス」

「おらさ身分高えとこでねえがら……」

「オラだってただン酒屋の小倅だス! 山南サと変わンねえだス。二人とも偉ぐねえ、一緒だます」

「偉ぐねえって、何の慰めにもなんねえだます……」

「偉ぐねえ人でねえと、偉い人を敬うことはできねエだス! オラ達にしか出来ねぁ事だァよ」

「ああ……そう言われっど、そんな気がしてぎだ」

「だべ?」

 二人はすぐに親しくなった。故郷も近く境遇も似ている、というわけでお互いの距離は縮まって、そしたら今度はお互いの決定的な相違点がレリーフのようになってきた。清河は、山南よりも決断力、行動力がある。山南は清河よりも慎重で、優しかった。

 元来、人と仲良くなることのできなかった清河。その原因は、自分が周囲の子どもより頭が良すぎて、会話が成立しないところにあった。幼い頃に「そういうもの」と割り切ってからというもの、人間関係は師弟関係を除き、全て損得を第一として考えるようになっていた。しかし、目の前に現れたこのみすぼらしい仙台人は、上下関係でないのに自分とこうして対等に話せている。

 その日の帰り、二人で暮まで話し続け、あくる日には親友となっていた。誰かにそれを伝えるわけではないが、間違いなく二人の間には安らぎという絆があった。

ちなみに、睦まじく陸奥訛りで(なんちゃって)喋る二人を、門人は面白がっていじった。したところ、山南は清河と比べて本当に繊細な男だったから顔を真っ赤にして石のように動かなくなり、一言も喋らなくなってしまった。それ以来、山南はこれが心の傷になってしまったわけだけど、ま、今は清河の話なんでね。割愛。

清河もこの一件には腹を立てたらしく、その後は死ぬ気で剣術に打ち込み、僅か一年足らずで千葉周作先生から北辰一刀流の免許皆伝を受け取り、そのまま二度と道場には顔を出さなかった。東条先生の塾にもいかなくなり、今まで通っていた私立塾でなく、昌平黌という国営の塾に鞍替えして、尊王攘夷の思想や、現代の国内情勢なんかを勉強していった。国営塾の尊王思想は、清河にとって既知の範疇だった。

「うちの国は帝が一番偉いのだ」「それがジャパニーズ・システムなのだ」「帝を守るために将軍家や諸藩は存在し、そこに身分の関わりは無いのだ。人民は等しく帝の家臣なのだ」

 猿の学問所かと思った。こんなに当たり前のことを、この爺さんはどうして偉そうに、さも「君らに教えてやろう」という風に話す事が出来るんだろう。四つぐらいの子供なら、すぐにそんなこと解る筈ではないか。

 しかしそれでも彼が塾通いを止めなかったのは、国勢の講義があったからみたい。その講義を担当した中年の優男はさる小藩の儒学者であったが、長崎で異国文化を目の当たりにし、今ではすっかり開国論者であった。歯は鼠のようで、またなで肩で鼻毛も出ている。それでも着物だけは一丁前であったという。

「ええ、率直に言いますとね、開国すべしですよ、日本は。普通に考えて西洋列強に勝てるわけないんですからね、ええ」

 そう語る男に、清河は敵意を剥き出しにして怒った。

「待ってくださいよ先生、なんでそんなことが分かるのですか」

「見りゃわかります」

「見りゃわかりますって、見て怖気づいただけでしょ、それ」

「え、嘗めてんの?」

「嘗めてませんよ別に。てかビビってるんでしょ?」

「ビビってません」

「ビビってるって正直に言ったらいいじゃないですか」

「表出ろや」

「出てやるわ」

終始こんな感じであった。そしてそうこうしている間に、ペリーが浦賀へやってきた。ブラック・シップ。天守閣をぶち壊す砲弾のように、あの船は日本全土に衝撃を与えた。しかし、別段庶民は慌てていなかった。むしろ好奇心が勝っていて、大喜びでそのことを誰かに話して居たりした。今も変わらないよ。国家の一大事があっても、民衆はSNSの暇潰しイベント程度にしか考えていないだろ?

「黒船きちゃってる!!! やば!!!!」「でかすぎて草」「どんどん数、増えるらしいよ」「小さい子が黒船指さして、お母さん、異国船は長崎で幕府からの沙汰を待たなきゃダメなんだよね? なんで江戸前に軍艦を進めてるの? やっぱり日本は島国で周辺を海に囲まれているから、海防に力を注ぐべきだったんだよね、って言ってて皆感動して立ち上がって拍手してた」「ほーら、何も対策してないからこういうことになるんだよ」「俺、前々からこうなると思ってた」「嘘乙」「阿部政権を許すな!」

 こう云う話が口伝で広がっていき、北九州に着く頃には……

「亜米利加国が幕府の対応にマジギレして、黒船っちゅう姫路城みたいなでっかい船を五十隻持ってきて戦になるらしい」

 という、ハリウッド映画みたいな話になっていた、てのは割と有名な話だよ。黒船を見たことのない人間は、こうして戦艦の虚像に怯え続ける。とはいえ、見た人間も亜米利加の虚像に怯え続けるんだけどね。

 まあそんなことはさておき、清河はその船が浦賀に停泊していることを聞いて、すぐに斬り込もうとした。

「フン。あの爺、見りゃわかりますだって? 歳を召すと人間は生への執着が出てくるらしい。そして保守的な考えで保身に走り、結果としてそれが自分や家や国を滅ぼすのだと気づかず、若い者の悪口ばかり言うんだ。俺はあの男とは違う、黒船に乗り込み、臆することなく異国人を成敗してやる。大体、たかが船に怯える方がおかしいのだ。ほうら、大した大きさじゃなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

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