第30話 鉄石
彼が流星剣を手にしたのは、十七の時。流離いの旅人が斎藤家に宿を借りていた。パープルの下着にオレンジの袴、その上からモスグリーンの羽織といった派手な恰好で、藤本鉄石と名乗っていたらしい。未だ「庄内藩って、馬鹿しかいねえな」としか考えていなかった清河にとって、鉄石との出会いはそれはそれは衝撃的なものだった。鉄石は陸奥の地酒で顔を赤らめながら父と話していた。
「うちの息子がね、もう十八なんですが」
「あの坊ちゃん。ですか、立派なお子さんだ」
「ええ、そうなんですがね、しかしこれがま~~~~大変でして。親の言うことは聞かないわ、藩のやり方に文句を言うわ、挙句、こんな奴らに従うくらいなら脱藩して天下に乗り出す、なんて言っとるんですわ。家業を継ぐ気もないようでしてね、どうしたらいいでしょう」
「どうもせんでよろしい」
聞き耳を立てていた清河は大きな衝撃を受けた。
「私は根っからの武士じゃあのおて、郷士じゃわ。武士っぽい農民。あなたんとこもそうじゃろ? 豪寿さん」
「うちはそうですね、農民っぽい武士かなあ」
「我らは郷士。本物の武士には一生うだつが上がらん。せーじゃけど、そんな人間だからこそ、上昇志向と大きな野望を胸に秘められる。……あの坊ちゃんはあンままでよろしい、むしろその言葉を喜んぢゃられえ」
「……そうですか」
八郎が「この男と、隔てりなく話してみたい」と感じるのは、自然なことだった。翌日、鉄石は「他国の話が聞きたい」とやってきた八郎に西国の話を語ってみせた。他国といっても、東海地方や西日本の話だけどね。家の人々は、いつも他人に興味を持たない八郎が「どうしても会わせろ」と懇願したのを見ながら「よっぽど顔が好みだったんだろうか」と考えていた。
否、八郎は鉄石という人間がこの辺りを訪れると知った時から、あらゆる手段を使って彼という人間について調べ上げていたのである。庄内藩から出たことのない八郎にとって、外部からやってくる人間は異なる存在の象徴だった。こういう八郎の性格が後年色々と幸いして知り合いがいっぱいできるワケ。人間の素質というのは、幼い頃から垣間見えてる物なんだ。したところ、鉄石という人物は剣術は一人前、軍法も長沼流で会得しているし、神絵師でもあり、書道も上手で、ポエムだって日本バージョンも中国バージョンもお手の物、といった、とんでもない人間だった。庄内藩にはまずいない人材。八郎が興味を示さない理由は無かった。
そしていざ話した時、八郎は涙のように鱗をぼろぼろぼろぼろ落としていた。自分を取り巻く環境とは、まるで考え方が違う。面白くなってどんどん質問をした。鉄石も、目を輝かせて自分が見聞きしたことに耳を傾けてくれる八郎に、知っている限りを話した。そして話は、日本という国のシステムの話に及んだ。
「ほんじゃけえの、日本というんは天皇様が一番偉うて、敬わんといかんなっとんだわ」
「そりゃ、そうだス」
「偉え人を敬うんは、偉う無え人間にしかできん事じゃけーの」
「では、偉くない人間より偉い人間の方が重要ということですか」
「そらそうよ。偉い人は偉いから偉い人になっとるわけだし、偉くない人は偉くないから偉い人になれんのだ」
また次の日は、楽水楼という父の書斎で語り合った。
「私が何故、鉄石を名乗るかわかるかな?」
「尊王志如鉄、ということでしょう」
「それあるが、一番はこれよ」
鉄石は腰の物を手に取った。黒漆のケースに入った日本刀。
「私の国はタタラ製鉄で、かつては大いに栄えた。だが今は、徳川家に媚び諂う武士が統治している。外から来た者が、その国本来の誇りと正義を踏みにじり、我が物顔で居座っている」
「では、その名は」
「大きな声では言えぬが、私はいずれ徳川を倒す。そして古代復帰を目指すのだ。古代とはすなわち、天皇様が国の一切を纒めておられた時の事。……この名はその先駆けとなるための決意表明だ」
この日から、清河の人生観は一変した。彼はそのうち学者になって、庄内藩のバカどもを少しはマシにしてやろうと思っていたが、そんな小さな幻想は鉄石が粉砕してしまったのだ。夜が明ける頃には、彼は尊王の志士としてどこに出しても恥ずかしくない男になっていた。人間が一人で高みを目指すには限界があるし、どこかで「間違っているんじゃないだろうか」と思うこともある。鉄石との出会いは、八郎をよく後押ししたんだね。
鉄石は次の日、清川村を去った。江戸へ向かったらしい。そしてその日、父は八郎に流星剣を渡した。父は何も言わなかったし、八郎も何も言わなかった。刀を手にして「割と重いな」と思った途端、彼はぐあああああああああああんという衝撃に襲われ、意識とは反対にその剣を握りしめていた。この刃は八郎を選んだワケ。
「俺はこの国を変える。回天の魁となるんだ」
オカルト? 比喩表現? なわけないでしょ。
剣は本当に持ち主を選ぶ。そして何かを伝える。
私だってその経験はあった。ま、詳しい話は今度ね。
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