第27話 逃亡

 戦闘不能になっていた山南は、もはや周囲が誰も自分を意識していないことに気付いて復活。たつ屋に駆け込み、格子戸にへばりついて新八を見つめる私を引きはがした。

「逃げましょう。役人が来るかも」

「来ちゃまずいの?」

「私達だけならまずくないのですが」

「え、永倉さんも?」

「そう。あの型は神道無念流、それも相当な達人です。うちに来てくれれば、近藤先生も大いに喜ぶことでしょう」

「へえ、近藤先生が喜ぶと、何か良い事してもらえるんだ」

「うん、まあ、色々と、えっへへへ。というか沖田君もあの人に興味深々じゃないですか。お話とかしたいでしょ」

「当たり前じゃん」

 さっそく私と山南は「ふう、空が青い」とぼんやり立ってる永倉に忍び寄った。この男は竹のようにまっすぐな心で剣を振っている、私もそんなふうに、清々しく剣を振るってみたい、そしてその技を究めたい。甘酸っぱく心臓をドキドキ言わせている、青春真っ盛りの私。腰を低くして、下から覗き込むように永倉に近づく山南。

「あのー、先ほどは本当、ありがとうございました」

「あーうん、いいよ」

「で、今からちょっとお時間よろしいでしょうか」

「お時間よろしくないです」

「え」

「だってほら」

 永倉は顎で、未だに血を噴水のようにまき散らす骸をしゃくった。

「あれ、なんですか」

「ゲンキ君」

「の?」

「死体」

「でしょ? で私、殺人犯。このままたつ屋入ってちゃあちゃあ喋ってたら、これもう間違いなく捕まりますよ」

 そう言いながら頬の血を拭うと、永倉は「では」と呟いて全速力でその場から逃げ出した。それがもうめちゃくちゃに速い。腕を全力で振り回し、脚を無理矢理持ち上げて、雄叫びのような悲鳴のようなよくわからない奇声を上げながらどんどん遠ざかって行った。

「沖田君、追いかける?」

「やめときましょ。私ら含めて怪しい集団に見られる」

「じゃあいっか」

「良いです」

「…………」

「…………」

「あ、汁粉とクリームソーダ」

「言うてる場合か」

 私と山南も逃げた。そのまま試衛館に直行したらもし追手がいた時に居場所がバレて大変なことになるから、二人で江戸中を無茶苦茶に走って、走って走って走り回って、道場から歩いて十分のたつ屋から、一時間弱かけてようやく帰ってきた。

「それにしても、シンパチ・ナガクラ氏は惜しかった。できればまた会いたいけど、しかしああいう風な人は中々二度会えるもんじゃない。今頃どこにいるかもわからないし、もう江戸にはいないのかもしれない」

 しばらく後に再開するとは、夢にも思っていない私であった。


ちなみに、騒動によって気絶していた福田廣だが、目を覚ますと自分を覗き込む二人の岡っ引きの姿があった。

「あ、生きてる。大丈夫―、怪我してないー?」

「してないです」

「よしよし。で、ちょーっと聞きたいんだけどー、これ、知り合い?」

 長い間気絶していたらしい。玄鬼の血は流れるのをやめ、地面に染みこみ、黒く固まっていた。福田は仰天して後ずさった。

 いや、いやいやいやいやいやいやいや、え、なに? 気絶してしまってよく覚えていないが、なんであいつの首が斬れてるんだ? え、俺がやったの? 自覚ないけど。ま、まさか、あれかな、気絶した瞬間に俺の中のリミッターみたいのが外れて、やっちゃった、みたいな?

「もしもし、お兄さん? 聞いてる?」

「あ、はい、聞いてます。えっと、まあ、知り合いっていうか、うーん」

「面識はあったわけね」

「一応」

「はいはい。で、これ誰が斬ったとか、見てたりする?」

「えっと、その……まじ、変な話なんですケド、信じてほしいんですケド……。俺、かもしれないっす」

「…………マジ?」

「多分…………かもしれないっす」

「ちょ、ちょっとそれは、うーん。……とりあえず来てもらえるね? 斬っちゃったにしてもさ、事情とか色々話してほしいし」

「はい……」

 その後、福田はそもそも刀を持っていないということになって「やっぱおめえじゃねえだろ、これ。つかおめえなワケねえわ、これ」となって、あっという間に福田は釈放された。彼自身、これが永倉が逃亡するための時間稼ぎになったことに気付いていない。小さな歯車同士の奇跡的なマッチングで、このでっかい世界はゆっくり動いていく。

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