第24話 何某

 往来に出た山南は鼻血を出してのびている福田を店の板壁にもたれさせ、柄に手を掛けてじゃりり、と玄鬼と向き合った。

「仙台脱藩、山南敬助と申します」

「ほお。その山南敬助さんが俺に何の用だ」

「そのお由ちゃんとやらに迷惑をかけるのはおよしなさい」

「お由ちゃん、およしなさい、今のってダジャレ?」

 玄鬼は、無自覚でこれを言った。もともとこういうつまらん洒落を言う男で、今のもつい、日ごろの癖が出てしまったのだ。しかし群衆がまさかあんな緊迫した状況でこんなくだらない空気になるとは思ってなかったのは当然で、その結果お由ちゃん含め、往来の人々はちょっとだけ笑った。が、玄鬼の意図せぬこの行動が山南の心にぶっとい杭をずぶずぶずぶぶぶぶ、と打ち込んでしまった。山南は平静を装い「そういうのいいから」「つまんな」「くだんな」など言ったが、心の中では発狂、狂死しそうであった。彼は恥ずかしがっていた。

「ああああああやっちゃったやっちゃったやっちゃったやっちゃったやっちゃった、なんでおよしなさいなんて言っちゃったんだろう、違うんです違うんです違うんです、そういうつもりじゃなくってつい口から出ちゃっただけで、あれ、でも考えたらこの程度の超つまらないギャグで笑えるわけないじゃん。ということはそれ以外にも笑えることがあったのかな、もしかして私の顔がすごいかっこつけてたように見られたとか、それとももしかして訛りが出ちゃってたのかな、もしかするとこの中に私を知っている人がいて、アイツ何かっこつけてんの、とか思われたのかな。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ無理無理無理無理無理無理、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい……」

 山南の精神は限界であった。

 ダメじゃねえかあいつ。仕様がないな、私が出よう。恋人とか婚約者とかいる皆、許してね。おそらく私の美貌を見るなりその辺の人間関係を全部忘れて私を手に入れようと躍起になると思うけど、でも私も好きで惚れられてるんじゃないんだ。そこは許してちょん髷。と、席を立とうとした時だった。

「ダジャレだったら、何なんだ」

 嫌なぐらい鼓膜を震わせる声量だった。初めて聞く声で、どうやら山南が逆切れしたわけじゃないらしい。格子窓の隙間から覗くと、小柄な男が眉を細め凛々しい顔をして立っていた。腰には黒い鞘があり、見た所武芸者のように見える。玄鬼は「まーたよくわからんのが来たよ、お前くらいまともに俺と戦ってくれよな」と半ばやけくそ気味にチビ男に歩み寄った。熊のような玄鬼と突然現れたチビ男の対比は、まるで鬼と一寸法師のようだった。

「はいはいはい、今度は何だ」

「そこの人がダジャレっぽいことを言ってしまったのは事実だが、それで議論を終わらせてしまうのは筋が通らんじゃないか。その前に君は今、そこの人からお由とやらの手を放せと言われただろう? でも君ははぐらかした。そこの問題が解決していないではないか。結局その娘から手を放すのか、放さないのか」

「いや、まあ放すのは吝かではないんですが、私はお由ちゃんと二人でお話がしたかったのであって、こう、周りからわーわー言われると、なんか、別にそんなつもりじゃないですけど? みたいになっちゃって、逆に放したくなくなっちゃってまして。まあ簡単に言うと、意地はっちゃってますね、俺」

「じゃあ僕が、放してください、と言ってもあなたは放さないわけですか」

「できれば」

「じゃ、仕方ない。やりましょか」

「あい」

 二人は同時に刀の柄に手をかけ、抜刀した。玄鬼はもう酔ってはいない。というか酔いだけなら、あれだけ戦うまでにごちゃごちゃやってればそりゃ醒めもするだろう。しかしおかげで、玄鬼の目は鋭く暴力的に研ぎ澄まされる。先ほどの悪酔いっぷりとは思えぬ、清々しい正眼の構えでチビ男の前に立って見せた。チビ男もまた、正眼に構えた。

 その間、お由ちゃんはもう玄鬼から手を離されていたが、今はもうそんな小娘には誰も目をやっていなかった。今この二人から目を離せば、自分が斬られるかも、といった具合に空気が張りつめていた。風が悲鳴のようにうねる。

「や」

「りゃ」

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