第22話 予兆

 私が外出するたびに、山南はもじもじと薄笑いを浮かべてついて来た。本人としては、ふと散歩にでも行こうと立ち上がったところ、それがなんという偶然か沖田ちゃんも外出するところらしく、しかも行先がなんか同じ方向だから、これはついでに一緒に行くしかないね、ついでに。とゆう感じを装っていたが、前にも言った通りやっぱりこういうのは本人にバレる。それどころか山南は嘘が下手だから、周囲にも普通にバレてた。それを証拠に歳三なんかはワックスで髪を整えながら「衆道とは、こりゃまた」と言わんばかりに笑いを吐き捨てた。こいつとて私が一言「女だ」と言えばすぐさま肩に手をまわしに来るというのに、なんて勝手な男なんでしょう。

 敬助はただ街をぶらぶら歩いていても「ああそのなんて言うか、お腹すいたなあ」とこちらの様子をうかがってくる。別段腹も空いていない私が「なんか食べれば? じゃ私散歩するんでこの辺で」と返そうものなら、

「あのねえ沖田君、食事を文化として扱うのは人類だけなわけですよ。狗や猫や狸や狐なんかは家族や朋友と一緒に、いただきます、なんて言いませんのですよ。つまり我々が誰かと共に食事をするというのはそれが我々が人間たる証なのであります。人間ならば人間らしく、人間的に食事を楽しもうじゃないですか。人間として生きていく上で、勿論食事は無くてはならないことです。しかしただ腹を満たすだけでは獣と同じじゃないですか。人間としてそれでいいんですか? 駄目でしょう? 人間は人間です、獣とは一線を画す存在なのです。しかし獣も交尾はするし、彼らなりの言葉を持っている。では我々人間と獣の何が違うんでしょう、ずばり文化です。青森から鹿児島までの山には何万何十万という猿が住んでおりますが、奴らの中に一匹でも着物を着て髷を結い帯刀している猿がいるでしょうか、いないでしょう。では逆に何故人間は着物を着て髷を結い帯刀しているのか、それは人間が人間としての文化を持っているからなのです。つまり我々が誰かと共に食事をするというのはそれが我々人間の持つ文化であり、人間たる証なのであります。人間ならば人間らしく、人間的に食事を楽しもうじゃないですか。あー喋り過ぎた、疲れた」

「人間人間言われ過ぎてゲシュタルト崩壊気味なんですケド。ちゅーか最後の方同じこともう一回言ってましたし」

「あ、なんか喋りすぎて喉乾いてきたなあ。その辺のカッフェとか寄っていかない? 奢るから」

 と、このような流れになる。これに対して「行けば? じゃ私散歩するんで」と返そうものなら、右のようなことになる。予期した私は「うん、そっすね」と返すしかないのだ。そんなわけで私と山南は、看板娘がしきりにキャッチをやっている、時代劇なんかで荒くれ者がその娘に乱暴をして素牢人に助けられるタイプの外観をした、自営業の甘味処へ立ち寄った。不思議なことに、店の名前が『たつ屋』で、私が晩年に江戸へ戻ってきたころにはもう閉店していた、ということは二百年経った今でも覚えている。

 窓際の席で向かい合って座ると、山南の目線が私と店の内装とを行ったり来たりしているのが分かる。そんな様子で二人の会話も全くないし、道場で剣を振るっている時に聞こえた往来の賑やかな空気に釣られた自分が恨めしくなる。おめえが私についてきたんだから、私を楽しませるくらいしろや、ボケ。店の親仁が注文伺いにでも来てくれれば良いけれど、看板娘の渾身のキャッチもあってたつ屋はかなり繁盛しており、親仁は厨房を出る暇がなく、こっちが「親仁、ぜんざいと団子を二本だ」とか声を上げなければならないようで、店側からこっちの沈黙をどうにかしてくれる様子はない。

「山南さん」

「え」

「え、じゃなくて、注文」

「注文、あ、うん。あのほら、沖田君は何が良いのかなあ、って」

「そんなこと言っても、私奢ってもらうわけですし。山南さんが先に注文してくれなきゃ、選べませんよ」

「じゃあ、うん、お汁粉とかは?」

「良いじゃないですか」

「そう? じゃあお汁粉で」

「私はクリームソーダで」

「あ、在りなのねそれ。親仁、お汁粉とクリームソーダ」

 厨房の湯気の奥から「へい」と陽気な声が返って来る。そして再び山南はもじもじと目を泳がせ、私はそんな山南を見ながら「つまんね」と目を閉じるのだった。

 その時、キャッと声がしたので私と山南の目が紅色の暖簾の方へ向けられる。見ればがっしりした体つきに汚れた着物に袖を通した、髭に腕毛、脛毛、胸毛ボーボーの牢人が看板娘の白く柔和な腕を掴んでいた。娘の嫌がり様と青ざめた顔、対して牢人の紅潮した鼻に座った眼を見れば、恋愛云々ではなく昼間から飲んだくれている牢人に絡まれている看板娘、という状況にあることは素人でもわかる。「うわ、ああいうのって本当にあるんだ」と半ば感心していると、店にいた男が一人立ち上がった。福田廣という、背が高く妙に渋い顔を作っている若者であった。福田は暖簾をくぐると、腕を組んで声を張り上げた。

「待たれい。お主、名は」

 高く良く通る声だった。

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