第18話 好奇

 実際にこの目で確かめない限り噂の真偽を知る術はない、と山南は翌朝市ヶ谷へ出立した。しかし彼に道場や塾で小耳に挟んだ程度の情報の詳細、つまり市ヶ谷の何処にその道場があって、どういう人がいるのか、といったことが分かるはずもなく、ただぼんやりと道場ぽい建物を探してふらついていた。普通、地図も無く知人もいない街で特定の場所へ行くということになれば地元の人間に声をかけるのが常道だろう。だが山南はそれを躊躇い、それらしい武家屋敷の門から中を覗きこんでみたり、強そうな侍を尾行したり、ふらふらと市ヶ谷を徘徊したりしていた。何故躊躇ったのかというと、誰かに声をかけると自分の地元の方言が会話の端々に出てしまう可能性があるから。なぜ方言が会話の端々に出てしまうことを恐れたのかと言うと、玄武館で不意に方言を出したために散々いじられ、仇名にまでされたからである。陸奥出身というのは、彼にとってコンプレックスなのであった。

 かくのごとくしばらく往来で葛藤していた山南だったが知的探究心が僅かに勝り、口から息をぶふうと吐いて、何度か「すみません、道を教えてください」と標準語を小声で反芻し、前方からやってくる二人の男に声をかけようとした。この二人の男はあからさまに不機嫌といった様子で、血走った目をひん剥いて歯を食いしばり、また小さな声でぶつくさと世の中に対する不平不満を漏らしながら酷く剣呑な空気を振りまいていたのだが、多少なりとも実力のある剣士であった山南は「その人を知りもしないのに外見で判断しては失礼だ」という具合で怖がることなく、背の高い方に声をかけた。

「すみ、すみっす、すみあせ、すみません。あーごめんなさい、もう一回ゆわしてください」

「別に良いで御座る。えっと、大丈夫?」

「大丈夫です。すみません、道を教えてください」

「うむ、良う御座る。どちらへ行かれるので御座るかな?」

「天然理心流という剣術の流派を教えている道場です。この辺りにあると聞いたのですが、どうにもそれらしい建物が見つからず困っているのです」

「え、マジで。それはもしやゴホン、試衛館、という名前では御座らぬかな?」

「ああはい、そんな感じでした」

「試衛館ならこれから我らも行くところに御座る。よければ共に参りましょうぞで御座候」

 背の高い男は巨大な口をがぱっと開けて笑うと、試衛館の方を指してずんずん歩きだした。「変な言葉だなあ。さてはあの人も、江戸の喋り方に慣れようと必死なのか」と、山南は二人の後に続いた。

 さてお気づきのこととは思うが山南が話しかけたこの二人、黒船見物に行った筈の勇と歳三だったのです。何故江戸前へ向かった彼らが市ヶ谷にいるのかというと、踵を返したからである。というのも、黒船付近は幕府が封鎖しており、一般人が立ち入れないようになっていたのだ。そのため二人は糞不機嫌で無粋な顔で往来を退き返していたのである。結果的に言えば道場で木刀を振るっていた私の方が無駄に街を往復する時間だけ剣の稽古に費やせるので、微々たる得をした心地。

「あの、もしよろしければお名前を」

「フ。名乗る程の名などない、ので御座る」

「どういうことですか」

「え、どういうことってどういうこと?」

「名乗る程の名などないということは、自分が名乗って良いレベルの名前を持っていないと言うことじゃないですか。しかし名乗ってはいけないレベルの名前なんてそもそもどういう名前なんですか」

「うざあい」

 などと話しながら、三人は私が一人で黙々と修練をやっていた試衛館の道場へやってきた。三人が出会ってから、三十歩ほどの所である。山南は試衛館の前を三回は通り過ぎたし、その度に「ここはない」と選択肢から外していたのだ。

 かつて私が落胆したその道場を見て、山南は頬を紅潮させて笑った。自分の想像を飛び越えておんぼろだった屋敷で行われている天然理心流という流派への興味、そして噂の真相に近づいた興奮が勝っていたのだ。そして件の子が実在するのならば是非立ち合ってみたいし、色々と話してみたい。大猩々のような巨体を持つ子供なのだろうか、それとも逆に兎のようにすばしっこいのか。彼にとってのあらゆる希望と興味を込めた視線が門に掲げられた看板へ注がれていた。こうして山南は勇と歳三の背を追って試衛館へと足を踏み入れたのであった。門をくぐってすぐ、堪え切れなくなった山南は近藤に声をかけた。

「近藤さん、噂で聞いたのですが、この道場にどえりゃあ強い子がいるとか」

「ええ、おりますおります。私なんぞは子供扱いされるくらいの剣術馬鹿で、黒船より木刀の方が大事って奴ですよ」

「では、幼い天然理心流の使い手が白河藩の剣術指南役を倒したという噂は」

「マジです、マジですよあれ。私らもね、えっ、てなったんですよ。あんまりに瞬殺だったもんだから。でもほら、その他流試合っていうのもね、少しでもうちの宣伝になれば、つって無理言って向こうの場所借りてやらせてもらったわけなんですよ、だから流石にスポンサーの方々に申し訳ないな、ということになりまして、お互いにこの立ち合いは闇に葬ろうということになって、まあ、そういうわけなんで割と内緒でお願いしますね、これ」

「ということは、噂の子もこの道場に?」

「すぐ呼びます。おい、総司。お前にお客さんだぞ」

「はい、総司は私ですが、なんでしょう」

「ぴょええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」

 山南は私に惚れた。

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