第5話 入門

 下駄や草履が山積みになっている狭い玄関口で待つように言われて、源三郎が先に、道場主に話をつけに言った。そしてその道場主というのが、林太郎と源三郎の実家の方までこの流派を教えていた、天然理心流三代目・近藤周助先生なのであります。

 私はこっそり、源三郎の後を追った。これからお世話になる大先生のご尊顔を早く見たい、と思うのは自然なことだ。余談だがこの時の抜き足差し足のステップも、今思えば天才じみたものだったのだろう。

 もはや、すぅ、と静かに歩くわけでもなく、完全な無音。物音や気配なんかをすべて消し去り、源三郎が私に気付くことはなかった。

 とはいえこの時の私も自分の才能に気づくことはなく「全然気づかねえじゃん、源さん。馬鹿なんじゃねえの」と思っていた。

 広い、とは言えない稽古場の中で、二十人ほどの男がぎゅうぎゅうになりながら竹刀を振るっていた。その上座で様子を眺めているのが、周助先生だった。

 小柄で手足は長く、腰が緩やかにカーブし、猿のよう。褐色の枯れた肌に、能面の翁のような、ふにゃり、とした顔がくっついている。一見して、卜伝のような枯山水ぶりだった。

 源三郎は稽古の邪魔をしないよう、壁を這うようにして彼に近づいた。

「先生、新たに門下生となる者を連れてまいりました」

「あう」

「今、玄関に待たせとります。すぐに呼んで参りましょう」

「呼ぶのは構わねえ、構わねえ、がなあ」

「へ、なんでしょ」 

「一度技量を確かめてみる必要があるぜえ。金がねえっつーから、特別に月謝を安してやってんだ。ある程度才能がなきゃ、お断りだあよぉ」

 私は慌てて玄関までサイレント・ステップで戻りながら、考えた。

 そら、無料同然の月謝だけちまちまちまちま貰って、そのくせ、なーんも成長できまへんでした、うへへ、てんじゃ、道場側は大損ですわな。でも心配はしてなかった。ぶっちゃけ自信はあるし、ある程度自分には才能もあると思っていた。子供故の、妙な自信というやつ。

 タッチの差で源三郎がやってきて、お前はこれから先生に会うから、早いところ準備してこっちへ来なさい、と言った。

「下駄ってここに置きっぱで良いんですかね?」

 とか言いながら、さきほどと同じ道をなぞっていくと、稽古は一旦休憩となり、皆が端で草臥れている。

 そこに私が入ったことで、空気が変わった。

 稽古で疲れ切っていたこれまで見てきたどんな女よりも可憐な娘が入ってきたものだから、皆汗だくのまま血眼になって私を凝視した。中にはよだれが垂れている者や、鼻血を出して気を失う者もいた。そしてそれは、近藤周助先生も例外ではなかった。正直私のビジュアルを見た段階で、彼は既に入門を許すつもりでいたらしい。

 え、すご、可愛い。嘘、何あの可愛さ。え、男装してんのかな? いや、そんなレベルじゃねえぞ。女っぽい男っていうレベルじゃねえぞ、あれは。絶対入門させたい、絶対道場に入れたい。あわよくば、仲良くしてもらいたい。肩とか揉んで欲しい。手料理とか食べたい。

 と、還暦の迫る老猿は、脳裏で竹刀を振り回していた。

 しかしそこは、多摩が誇る天然理心流の道場主、であるから、ぐっとこらえて

「よくぞ、この道場の門を叩いた」

 と押し殺した声を出すのに全神経を使い、平静を装った。

 剣豪としての心構えを忘れぬように、ジッと、私を剣士として見込みがあるか観察して、その視線の中に、やらしい気持も一割、いや二割……五割ほど混ぜてじっくりと観察した。

 さて、この周助さんは、三つの顔がある。

 一つは、天然理心流三代目宗家・近藤周助としての顔。

 一つは、多摩郡小山村の百姓の倅・島崎周平としての顔。

 そしてもう一つは、ど助平エロ親爺としての顔、である。

 要するに、近藤周助というのは、剣術が物凄く達者な、実家が農業をやってる、超絶鬼助平だった。彼が助平であることは、彼が名乗った名が周“助”・周“平”だったことからもよくわかる。

 なんと今の奥さんは、彼の人生で九人目。この爺、異様にお元気なのである。

 にしても、そういう視線というのは、本人は上手く隠せているつもりでも、向けられている相手からすれば丸わかりだったりする。私は、周りの奴らは勿論のこと、周助さんの内心まで、すべてお見通しだった。

 まあ、九つにもなれば、自分の美貌を自覚する人間はそれを生きる手段として活用するものだから、そのため自分を見た周囲の反応に敏感になるのも無理はない。

 しかし、その美貌を無駄に活用し、例えば胸元を広げてみたり、周助さんにすりよって甘えてみたり、そういったことはしない。

 この沖田総二郎にも、プライドというもんがある。そんな安い女じゃないんだから。プン。

「えーごほん。沖田の、総二郎君と言うたね。君はどうしてまた、天然理心流の道場にやってきたんだい? じいじに教えてくれるかな?」

「はい。姉さんを楽にしてあげたくて」

 と、私が透き通るような、鈴よりも美しい声で言っただけで、よだれや鼻血を出していた皆は、今度は目から涙をぼとぼと落とし始めた。源三郎に至っては、鼻水まで垂らしている。そら、国民の誰もが、うる、とくる子役の演技より数段上を行く私だから、無理もあるまい。

 断っておくが、この返答が嘘というわけじゃない。私は就職先を見つけるのに有利だと思ったから、こうして剣を学びにきたわけだが、抑々就職先を見つけて私が出ていくことは、姉夫婦の暮らしが少し楽になることに繋がるのだ。あとは、ぶっちゃけここまでの美貌だから、護身術ぐらいは身につけておかなければ流石に危ないと思った、というのもある。

 ともかく、私の受け答えに、じぃん、とした周助さんは、即座に私を門弟の一人として迎え入れた。

 斯くして私は、試衛館にて近藤周助先生から、天然理心流剣術を教わることとなった。の、である。べんべん。

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