鏡の中へ

人見知りの世界

　私の家には、代々伝わる不思議な鏡がある。

　効果は鏡の表面に触れると別の世界に行けるという、普通だったらありえないものだ。

　そしてそれは16歳を迎えた女の子が、一定の期間だけ使える条件つき。

　行った世界で何をするのも自由、帰るタイミングは鏡が決めてくれるから何があっても最後には帰れる。

　もし誘拐されたとしても、安心と言えば安心。さすがにそんな危険な真似はしないが、あって損は無い。

　何故、私の家が鏡を持つようになったのか。

　どうして別の世界に行けるのか。

　女の子しか使えない理由は何か。

　父や祖父はこの事を知っていて、どう思っているのか。

　現在鏡を使っている私が思っている色々な疑問を、未だに1つも教えてもらえていない。

　昔は使っていた母も祖母も、ただそこで色々と学びなさいとだけしか言わなかった。

　別の世界に行った経験が、私をどんどん成長させてくれて言わなくても分かる時が来ると。

　だから使えなくなる日が来るまで、後悔しないように使いなさいと。

　そんなぼんやりとした話に納得したわけじゃなかったが、それ以上は何も聞けなかった。きっと聞いても、今は絶対に答えてくれない。2人の顔を見て、そんな気がした。

　だから私は、2人に言われるがまま鏡の前に立つ。

　何でだろうか。

　私は人っ子一人いない道を、ただひたすらさ迷っていた。

　鏡に触れて別の世界へと来たまでは、いつも通りだった。

　しかし着いた先には人の姿がなく、それから1時間以上探しているのだが、気配はするのに見つからない。

「あのー！誰かいませんか？」

　私は久しぶりに大きな声で叫んだ。

　元々こういうのは苦手なのに、喉が痛くなってくる。

　なんで誰も出てこないのだろう。

　私はこれまでにない事態に、どうしたらいいか分からなくなる。

　ここで一体何をすれば、誰に助けを求めれば。

「お願いします。助けてください。」

　私は叫ぶ気力もなくて、その場に立ち尽くしうなだれた。

　そしてボソリと、泣きそうになりながら呟く。

　もう誰にも会えないまま、鏡によって強制帰還させられるんだろう。

　もはや諦めて、手鏡で時間を見ながら暇つぶしでもしようか。

　私がそう決断しようとした時、上からひらひらと何かが落ちてきてきた。

　紙だったようで、顔面でそれを受け止めると手に取った。

「『ここからまっすぐ行った宿屋に泊まってください。』……誰からだろう？」

　そこに書かれている文字を読み上げると、紙が落ちてきた方向を向いた。

　しかし誰もいなくて、私は探すのは無理そうだと判断し、紙に書いてある所へと行く事にした。

　ついた場所は、確かに宿屋みたいだった。

　看板にもそう日本語ではないが書かれており、私は鏡の効果で文字や会話が自動翻訳される事を、こんなにも助かる日が来るとは思ってもみなかった。

　中に入っても、やはり誰もいなくて自然とため息が出た。

　ここで私は何を学ぶべきなのか、今はいない母と祖母に文句を言いながら受付に行く。

　仕切りのある受付は、名前を書くのかノートとペンが置かれていた。

　そしてその隣に、またしても紙があった。

『203号室にどうぞ。お食事の希望や、何か足りないものがあればノートに書いておいてください。』

　読み終えると、この紙に書かれているのが私にあててだと考えて、203号室を探す。

　見つけた部屋はこぢんまりとしているが、清潔感にあふれた良い所だった。

　この世界に来て、初めて気分が上がる。

　ベッドも綺麗にメイキングされているが、一体誰がやったのか。

　教えてくれる人がいないので分からないけど、そう予想して倒れこむ。

　思っていた通りふかふかで、私は顔をゆるめた。

　こんなにベッドを綺麗にしてくれる人達が、悪い性格じゃないのは分かっている。

「だけど出てきてくれなかったら、お礼も言えないよ。」

　私は今日一番の大きなため息を吐く。

　その中には、色々な感情が折り重なっていた。

　しかし気持ちとしては限界だったのかもしれない。

「帰りたい、かもしれない。」

　本音が詰まっていた呟き、誰にも聞かれていないはずだった。

　それなのに部屋が勝手に開き、何かが私の方に一直線に飛び込んでくる。

「わわ！？」

　驚きつつも、その物体を受け止めた。

　胸の中に納まったそれは、とても可愛らしい生き物だった。

　くりくりとつぶらな瞳を向けて、首を傾げたこれは何て種類なのだろう。

　まんじゅう？大福？

　もちもちとした手触りで、うす黄色の体はずっと触っていたくなる。

　私はアニマルセラピーの効果なのか、落ち着きを取り戻していた。

　そして鳴き声の上げないその子に、話しかける余裕も出てくる。

「あなたはどこから来たの？とても人懐こいから、誰かの家族なんでしょ？」

　返事は無い。

　どうやら話さないタイプらしい。

　それでも私は、この世界で話しかける事の出来る相手を手放せなかった。

「私、この世界の人達は悪い人じゃないと思うの。でも会えないから分からないよね。私が何か、悪い事しちゃったのかな。」

　その子がなにも文句を言わないのをいい事に、ぼよんぼよんと少し形が変わるぐらい揉みながら悩みをぶちまける。

　しばらくそうしていれば、悲しくなっていた気持ちもほとんど無くなり私はベッドから起き上がった。

「ありがとうね。私の愚痴に付き合わせちゃって。ほら、心配しているだろうから帰りな。」

　いつまでも拘束してはいられない。

　丁寧に床におろして、名残惜しいが別れを告げる。

　しかしその子は、私をウルウルと見上げるだけで、どこかへ行こうとする気配が無い。

「帰らないの？」

　私は少し考えて、その子に聞く。

　そうすれば、どう動いているのか分からないが頭を上下に動かした。

　これは私と一緒にいるという意味か。

　精神面的には、願ってもいない事なので私は床から抱き上げた。

「ここにいる間、よろしくね。」

　撫でてあげれば、気持ちよさそうな顔をして目を細めている。

　持って帰れないかな、私は本気でそう考えたが無理な話なので、とても残念だと思った。

　動物は好きな方ではないが、この子ならずっと一緒にいたい。

　気が済むまで撫でながら、私は長い時間癒されていた。

　名前はありきたりだが「だいふく」と名付ける事にした。

　私にとてもよく懐いていて、今じゃ完全に離れられない存在となっている。

　だいふくと一緒なら、誰もいない街の観光を楽しかった。

　人はいないが、その分科学的にとても発展しているようで、特に不便だと思う事は無い。

　たまに視線や気配は感じる。

　しかし前の様に、必死になって会いに行こうとは思わない。

「今日は、どこにいこうかな。だいふくはどこかいい所ある？」

　私が話しかければ、だいふくは何も言わず見てくるだけ。

　別に返事は期待していないので、ふふっと笑って当てもなく歩き出す。

　今日はとりあえずお店を見て回る事にした。

　まず入ったのは、文房具屋さんみたいな所だった。

　ペンはもちろんのこと、見た事のないものがいっぱいある。

　私はそれを手に取り、色々と試してみたりする。

　買って帰れればいいのに、使えそうなものもたくさんある。

　だいふくも私の様子を見ながら、退屈していなさそうでむしろ楽しんでいた。

　一通り楽しむと店を出る事にする。

　次はどこへ行こうか。

　私はだいふくを撫でて、次の店に行く。

　そこは果物を売っている所みたいで、腕の中の存在の目がキラキラと輝いた。

「何か好きなのあるの？」

　聞いてみれば、視線である方向を訴え出す。

　そちらに行くと、見た事の無いけどとても美味しそうなピンク色の果物が綺麗に並べられていた。

　私はその中から、特に美味しそなものを2つ選びレジにお金を置く。

　店を出て、この前見つけた噴水の綺麗な広場にあるベンチに座った。

　隣にだいふくをおろし、買った果物の1つを目の前に置く。

　そうすれば私の許可を伺って、いいよと頷くと勢いよく食べ始めた。

　幸せそうに食べている姿を見ながら、私も一緒に果物にかじりつく。

　みずみずしくマンゴーや桃みたいな、今まで食べたことの無い美味しさが口に広がって、知らず知らず微笑んでしまう。

「美味しいね。」

　なんて名前なのかはわからない。

　しかし知らなくても、美味しいものは美味しい。

　私は夢中になって、顔が汚れるのも構わず勢いよく食べ終えた。

　広場から帰ってくると、手鏡を確認する。

　もう残り時間が少ない。

　私はだいふくとの別れを、覚悟しなければならなかった。

　部屋のベッドに座り、静かに語りかける。

「あなたのおかげで楽しかったわ。本当にありがとう。」

　別れだと悟ったのか、だいふくは悲しそうな雰囲気を出す。

　その様子に、私の胸も締め付けられて、ごまかすために頭を撫でた。

「もう少しで帰らなきゃならないの。でもあなたの事は、絶対に忘れないから。」

　残り時間は5分にも満たなかった。

　このままだいふくを撫でていよう。私はそう思っていたのだが、部屋の中なのに上から紙が落ちてきて膝に乗っかった。

「何これ？」

　だいふくの頭を撫でていた手を外し、中身を読む。

　そして絶句した。

『私たちの国に来てくれた可愛いお嬢さんへ

　大したおもてなしも出来ず、申し訳ありませんでした。

　しかし私達の風貌は、あなたを怖がらせてしまうだけなのでこうするしかなかったのです。

　それでもあなたの様子は、だいふくと名付けてくれた子を通して見ていました。

　とても楽しそうに、国を観光してくれて本当に嬉しかったです。

　あなたが今までで1番、いい人でした。

　会うことが出来なくて本当に残念ですが、これからあなたの事は忘れません。

　一同より感謝の気持ちを込めて』

　読み終えたと同時に、タイムリミットが来たようだ。

　だいふくの姿が薄れていく。

　私は最後に力強く撫でると、大きな声を出した。

「私も忘れません！本当にありがとうございました！」

　消える寸前、たくさんの人の声が聞こえた気がした。

　戻ってきた私は、早速感想をノートに書き出す。

『人見知りの世界……実は優しい人達の住む所。だいふくは可愛かった。あそこで過ごした日々は、一生の宝物だ。』

　ノートを閉じると、手の中にまだ残っているだいふくの感触をかみしめた。

　いつか、また行きたい。

　心からそう思った。