趣味を大事にする世界
家に代々伝わる不思議な鏡。
効果は鏡の表面に触れると、別の世界に行けるというもの。
それは16歳を迎えた女の子が、一定の期間だけ使える。
行った世界で何をするのも自由、帰るタイミングは鏡が決めてくれるから何があっても最後は帰れる。
何故、私の家が鏡を持つようになったのか。
どうして別の世界に行けるのか。
未だに教えてもらえていないが、母も祖母もそこで色々と学びなさいとだけ言う。
別の世界に行った経験が、私をどんどん成長させてくれると。
だから私は、2人に言われるがまま鏡の前に立つ。
私の趣味は、本を読む事である。
ミステリー、ファンタジー、ホラー、どんなジャンルも好きだ。
本を読めば、その世界に自分も入りこめる事が出来てとても楽しい。
しかし最近は別の世界に行くようになったせいか、読む時間が減っている。
たまには読まないととは思うんだけど、中々時間がとれないのがもどかしい。
急に何でそう思うようになったのか、それは恐らくこの世界に来たせいだろう。
目の前で楽しそうにしている人達を見て、私は心底羨ましいと感じてしまった。
「ここで何よりも優先事項なのは、趣味を楽しむ事なんです。趣味を楽しめば、人生はより良いものになりますから」
今回、私の面倒を見てくれる家の人は同い年の娘がいるようで、カコノと名乗った女の子が今は案内してくれている。
それで外を見ている時に、私は大勢の人が集まって何かをしているのが見えた。
何をしているのかと聞けば、会社の休憩時間にそれぞれの趣味を楽しんでいるらしい。
しかもとっくに時間は過ぎているらしいのだが、夢中になりすぎて忘れているとの事。
そしてそれが怒られないというのだから、私は驚いてしまった。
「良いですね。みなさん、すっごく生き生きとした表情を浮かべていますし」
仕事よりも趣味を優先していいなんて、何て素晴らしい世界なんだろうか。
最近読書をしていないせいで、余計にそう思ってしまう。
心底羨ましいという気持ちから、無意識に口に出てしまった言葉。
それを目ざとく聞いたカコノちゃんは、私の手を握り引っ張った。
「じゃあマコちゃんも、一緒にやろうよ!」
「え、ちょちょ、嘘でしょ?」
突然の事に、私は猫をかぶる余裕もなく驚いてしまう。
止まるように言ったのだが、彼女は聞く気がないのかどんどん進んでいく。
そして何かの受付のような場所まで連れ出すと、ようやく手を離してくれた。
「こんにちは。ご利用は初めてですか?」
「あ、えっと。は、はい」
カウンターに座っているお姉さんは、隙の無い笑顔で私達を出迎える。
その笑みに気圧されて、私は顔を引きつらせた。
「こちらはあなたの趣味に合わせまして、色々と貸し出しをしております。趣味は何ですか?」
「趣味、えっと読書です」
「まあ、素敵なご趣味ですね。では好きなジャンルがございましたら、そちらから。もしもこちらに任せていただけるのであれば、厳選したものをお勧めも出来ます」
「じゃあ、おすすめをお願いします」
何かを言う暇を与えてくれず、お姉さんはてきぱきと話を進める。
最初は戸惑っていたが、私にとって悪い話じゃないのでお願いする事にした。
そうすれば営業スマイルじゃない、心から嬉しそうな笑顔を向けられる。
「かしこまりました! さっそくご用意いたしますので、少々お待ちください」
お姉さんは変に見えないぐらいの速さで、どこかへと行くとすぐにたくさんの本を抱えて戻ってきた。
それをどんとカウンターに置く。
「ちょっと多いかもしれませんけど、読めなくても構いませんから。返却期限もございませんので、ゆっくり読んでください」
「はい。ありがとうございます」
私は今回の滞在時間を思い出しながら、全部読み切れるかなと逆算した。
まさかこんなにも、充実した時間を送れるとは思ってもみなかった。
私は全ての本を読み終えて、とても満足していた。
今までに読んだ事の無かった内容は、別世界だからか違った視点や書き方があって面白かった。
「どうでしたか? マコさん」
私が本を読んでいる間、カコノちゃんは1人でジグソーパズルのようなもので遊んでいた。
それはそれで面白そうだったので、相手をしなくて特に申し訳ないという気持ちは感じなかった。
彼女が本を返してくれるという提案をしてくれたので、私は鏡に戻されるまで話をする事にした。
「とても楽しかったです。久しぶりに、ゆっくりと趣味に没頭する時間が出来ました」
2人で並んで座り、沈もうとしている夕日を眺める。
普段と変わらない光景に、もう少しここに滞在したいと思う。
「それは良かった。趣味を楽しむ事は、本当に大事ですからね」
「本当にいい所。みなさん、趣味を本当に楽しんでいて」
私の言葉に、カコノちゃんは誇らしげに胸を張る。
「そうでしょう! ここは趣味を楽しむために、全面的にバックアップしてくれますから!」
「それって本当にどんな趣味でも? 人によって。色々種類がありますよね?」
用意やバックアップが簡単なものばかりでは無いだろう。
そう言う人の為にも、ちゃんとしてあげているのだろうか。
少し意地悪な質問かもと思ったが、彼女は自尊満々に答えた。
「もちろんですよ! 例えば人を殺すのが趣味の人には、それ専用の人間を用意してあげたりします!」
「……え」
本当に何のためらいもなく言われたので、私はスルーしてしまう所だった。
しかし言葉のおかしさに気が付き、顔を引きつらせる。
「あとは自殺が趣味の人には、死んですぐ蘇生させてあげて、何度でも出来るように配慮をしています」
どうしてそんなに、何のためらいもなく話せるのだろうか。
私は純粋な恐ろしさから、言葉を返せないでいた。
それをどう解釈したのか、カコノちゃんは更に話を続ける。
「それにもし趣味の無い人がいた場合は、ちゃんと死刑ですから。小学校を卒業するまでに、99パーセントの人は趣味を見つけていますよ」
彼女が話せば話すほど、どんどん私の気持ちは離れていく。
ここの世界が素晴らしいと、少しでも思ってしまった事が恥ずかしいくらいだ。
「そうなんですね。えっとそろそろ時間だ。私、一応部屋に戻りますね」
まだ帰るまでに時間はあったが、私は早く話を終わらせたくて立ち上がった。
彼女も特に止めることなく、しかし最後に声をかけてきた。
「もし、マコさんがまたここに来たら、別の趣味を探すのもいいかもしれませんね」
私はそれに返事をせず、ただあいまいな笑みを浮かべてその場から立ち去る。
元の世界に戻った私は、何だかどっと疲れてしまった。
せっかく良い本に出会えて嬉しかったのに、その気持ちが台無しにされた気分だ。
人生において、趣味は息抜きや娯楽として良いものである。
それを禁止したりするのは、違うとは思う。
しかし先ほどまでいたあの世界は、完全に肯定する事は絶対に出来ない。
私はノートを取り出し感想を残す。
『趣味を大事にする世界……人に迷惑を掛けない範囲なら、良い所ではあった』
ノートを閉じた私は、寝るまでにまだ時間があるので本を読む事に決めた。
今のもやもやとした何とも言えない気持ちを、少しでも晴らそうと思ったからだ。
よりよい人生を送るために趣味を楽しむのは、迷惑を掛けない範囲であれば良い事のはず。
あの世界に二度と行きたいとは思わないが、その考えだけは肯定できる。
たぶん私とあの世界の人達とでは、意味が少し違う気がするが。
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