ACT-5 ~Another World~ 5/6
その夜、竜也は、不思議な夢を見た。
自分が、誠吾、ロゼ、レオナ、そして見知らぬ誰かの五人で、仄暗い迷路の中を探検している。
松明の頼りない明りと熱、湿った空気、カビたような異臭、そしてどこかから響いてくる不気味な呻き声……
それはまるで、RPGのゲームをリアルで体験しているかのような光景に思えた。
と、同時に、凄まじい程の“親しみ”をも感じられる。
やがて五人は、迷路の最終エリアに到達する。
そこには、全身真っ黒で、いかにも恐ろしげなオーラを放っている、邪悪な魔法使いが待っていた。
五人はその魔法使いに飛びかかり攻撃するが、全て跳ね除けられる。
一人、また一人と、仲間が倒されていき、ついには竜也だた一人だけが残る。
やけになった竜也は、叫び声を上げながら、渾身の一撃を、魔法使いの頭部に炸裂させた。のだが……
「――ハッ?!」
『シッ!』
「?!?!」
悪夢から解放された竜也は、何者かに、突然口を封じられた。
薄暗がりの中、誰かが、口元に指を当てているのが見える。
「ゴメン、こんな時間に」
「(もごもご)?!」
「まさか、瀬莉香ちゃんが居るとは思わなかったからさ。
――悪いけど、緊急の用事なんだ。
ちょっとだけ、時間貰えるかな?」
「(もごもご)」コクコク
声の主は、レオナだった。
鍵をかけた筈の部屋に忍び込まれたのも驚いたが、それより、その姿の方が脅威だった。
初めて会った時に見た、黒いアンダーウェアに、革製の鎧。
彼女は、それを再び身に纏っているのだ。
てっきり冷やかされるものだと警戒したが、レオナはいつもと違う雰囲気で、とてもそんな事を言いそうにない。
なんだか異様な雰囲気を感じたが、竜也は、レオナに招かれてアパートの外に出た。
不思議と、先ほどまでの瀬莉香との事が、脳裏に浮かんで来ない。
些か違和感のある状況だったが、竜也は、あえて流れに乗ることにした。
「んで、一体何があったんだよ?」
「ボク達が帰れる方法、やっとわかったんだ」
「そ、そうなのか! おめでとう!」
「今から二時間後に、ボク達は帰還行動を取る事になった」
「二時間後?! 随分急な話だな!」
「そうなんだよ。だけど、今回のタイミングを逃すと、次が何年後になるかわからないんだって」
「おう……お、おけ、理解した。
それで、俺にどうしろって?」
「実は、ボク達だけだと、どうしても力が足りないんだ。
そこで、ザウェルに力を貸して欲しいんだよ。
彼に、緊急連絡を取って貰えないかな?」
「そういやザウェルも、お前らの力を借りれば、って話をしていたな」
「そうなの? じゃあ、話は早いね!」
嬉しそうにはしゃぐレオナを待たせ、竜也は、急いでスマホを取りに部屋へ戻った。
瀬莉香は、静かに寝息を立てている……
部屋の外に出て電話をかけると、ほんの2コールで、ザウェルが出た。
『やあ、待ってたよ』
「のわっ?! ご、ごめん、こんな時間に」
『いや、君から電話が来ると思ってたからね、起きてたよ』
「え? なんで?」
『今そこに、レオナもいるんだろう?
私の協力が必要だと言って来ているんじゃない?』
「……あ、ああ(すげぇ千里眼!)」
竜也は、小声でザウェルが全て承知している事を、レオナに伝える。
彼女は驚きの表情で、竜也のスマホを借りた。
「ザウェル?! もしかして君も、“ディメンションゲート”を見つけたの?」
「ディメンションゲート?! な、なんだそりゃ?」
現在の時刻、午前二時。
タイムリミットは、午前四時。
それまでに、“準備”を終えなくてはならない。
異世界に戻るグループは、それまでに、“ある場所”に集まる必要がある。
それが、レオナの情報の概要だった。
「結局、そのナンチャラゲートってのは、見つかったのか?」
「ディメンションゲート!
ボクも良くわからないけど、ドルオールが“呼び寄せる”って言ってた」
「呼び寄せる?! なんだそりゃ?」
「とにかく、どうやらこれで、君達ともお別れみたいだ。
長い間、色々ありがとう!
誠吾やロゼにも、宜しく伝えといてね。
あと、瀬莉香ちゃん、大事にしてあげなよ!」
「え? あ、ああ……勿論」
「この世界に来て、ボクはとっても楽しかったよ。
何より、君達と出会えたのが、一番大きかった」
「な、なんか照れるな、そう言われると」
?「私も、同感だよ」
突然、背後から男の声が響いた。
慌てて振り返ると、竜也の後ろに、白い光の固まりが浮かび上がる。
その中には。初めて会った時の白ローブを纏った、ザウェルが立っていた。
「すげぇ! 移動の魔法って奴かよ!」
「まあ、そんな所だね。
レオナ、私も、君達の仲間と是非話をさせて欲しかったんだ。
早速行こうじゃないか」
「うん、そうだね。じゃあ――」
「あ、待ったっ!!」
竜也は、即座に呪文を唱えようとする二人を制止した。
「待てよザウェル!
お前がもし元の世界に戻ることになったら、皆で見送ろうって話をしてたじゃねぇか」
「確かにそうだけど、でも時間が」
「そうか……あ、でも」
「そうだよ、今そこに、瀬莉香ちゃんが居るんだ」
「瀬莉香が? そうか……ふむふむ」
「な、何、納得してんだよ、ザウェル!」
「いやあ」
「なんだよっ!!」
こんなくだらない、しかして楽しいやりとりも、あと僅か。
竜也は、夕べの瀬莉香との話も思い出し、急に涙がこみ上げて来た。
――だが、同時に。
「あれ? ちょっと待てよ?」
「どうしたんだい?」
「何?」
竜也の呟きに、ザウェルとレオナが、ぎょっとする。
「やっぱ俺、前にも、これと同じやりとりした記憶があるぞ?」
「デジャブ、じゃないかい? 君お得意の」
「いや、そうじゃねぇ。
あと、確かこの話をしたのって、昼間だった筈じゃ――」
そこまで言いかけた時、突然、背後から足音が迫って来た。
「竜くん! どうしたの?! ――キャッ」
「瀬莉香! 起きたのか」
「瀬莉香ちゃん、ごめん! 起こしちゃったかな」
「こ、こんばんは! ……あの、皆さんの声が、聞こえて……」
「あああ、ごめん! 声大きかったか」
「――?」
またも、竜也の意識が、別な所に向く。
ここは、アパートの敷地の門を出て、少し歩いた所。
当然のように、周辺は住宅地のため、寝静まった家屋が沢山ある。
そのど真ん中で、三人はそこそこ大きな声で、話をしていたのだ。
にも関わらず、周囲の家やアパートから、住人が様子を見に窓を開けるといった事もない。
じゃあ何故、瀬莉香にだけ聞こえたのか?
「おい瀬莉香、お前――」
やはり、何かおかしい。
竜也の心の中に、これまでにない強烈な違和感が生まれつつあった。
その後も、近所の住人が覗き込んだり、煩いと文句を言ってくるようなこともなく、皆は揃って、レオナの指示した場所へ向かう流れとなった。
――瀬莉香をも含めて。
「ここだよ、みんな」
「ど、何処だここ?
ビル街のど真ん中に、こんな広いとこ、あったっけ?」
「……もしかして、新宿御苑ですか?」
「大当たり☆」
「ええーっ! 入場料払ってないのに! いいのかよ!」
「営業時間外だからいいのっ!」
「そ、そういうものか?」
「やはりここか。予想通りだ」
「えっ? ザウェルさん、今なんて――」
四人が現れた場所は、「新宿御苑」。
東京副都心の中心部にあり、新宿区と渋谷区に跨って存在する、環境省所管の大庭園だ。
一般に公開されてはいるが、普通なら入場料が必要であり、大都会内の自然公園として人気が高い。
そのど真ん中に、彼らは現れていた。
「ここを指定して来たという事は、やはり君の仲間達は、ディメンションゲートの理屈に気付けたんだね?」
『――その通りだ!』
ザウェルの質問にレオナが答えるより早く、遥か遠くから響くような、男の声が聞こえて来た。
竜也達の前方約100メートル程向こうに、五本の朱い光の柱が現れる。
その中には、五人の男女が、一人ずつ佇んでいた。
彼等の回りにはオーラのようなものが立ち上っており、その影響か、姿をはっきりと目視することが出来ない。
竜也は、そんな彼等に、とてつもない恐怖と、おぞましさを覚えた。
同時に、奇妙な懐かしさも――
「おいレオナ、あいつらが、お前の仲間なのか?」
竜也の質問に、レオナは、無言で頷く。
五人の中心に立つ、最も背の高い影が、一歩前へ出た。
『我らは、“クリムゾンナイツ”!
誇りあるキングダム・ブランディス王家に忠誠を誓う、選ばれし精鋭騎士団である!』
続けて、最も背の低い、やや猫背気味の男の影が、語り出す。
『これよりこの庭園に、ディメンションゲートを発生させる。
しかしその時間は、恐らく僅か数秒、もって十秒というところじゃろう』
「なるほど、その為に、私の力が必要だと――」
『自惚れるな!』
ザウェルの言葉を遮り、背の高い男が、鋭い声を上げた。
「どういう事でしょう?」
『我々誇り高き騎士が、貴様のような闇の住人の力を借りるなど、ありうると思うてか?』
次に、背の低い影が、呆れたような口調で続ける。
なんだか突然険悪な雰囲気になった為、竜也と瀬莉香、ザウェルは、顔を見合わせた。
「ちょっと待ってよ、ガノン! ドルオール!
ザウェルは、闇の住人なんかじゃないって!!
前から、散々説明したでしょう?」
『まだそんな事を言っているのですか? レオナ』
次は、女性の声だ。
長いマントに身を包んだ細身の影が、感情のこもらない声で囁く。
「セーラ……君まで?!」
『貴方も、その男に初めて出会った時、感じた筈です。
私達を散々苦しめた、あのダークウィザードの気配を』
『そうだな。現に我々も、この男を見てすぐに判った』
更に、鎧を纏った姿の影が話す。
これは、男の声だ。
「アルファード……」
『レオナ、お前は、この世界に来てから変わってしまったな。
昔のような、冷徹なまでの任務遂行主義者が、どうしたというのだ』
五人目の、最も体格の良い男が、少し呆れたように呟く。
「ほっといてよ、ライオネル。
ボクは別に何も変わってない。君達が頑な過ぎるだけだ」
「おいおい、なんだか、仲違い始めてねぇか? あいつら」
竜也の言葉に、寄り添う瀬莉香が頷く。
やがて五人を包むオーラは消滅し、ようやく、その姿がはっきりと現れた。
暗闇の庭園の中にあって、薄ぼんやりと輝く謎の光を纏ってはいるが……
「あっ!!」
その時、突然、瀬莉香が奇声を上げた。
「どうした?!」
「あ、あの人! 私の、夢に出て来た……」
「え、あの……中央の?」
竜也の言葉に、瀬莉香はコクリと頷く。
彼女の示す所に居るのは、あの最も長身の男だ。
だが、その姿は、特徴的な五人の中でも特に異彩を放っている。
頭頂部から首下まで覆い尽くす、真っ赤な鉄仮面。
襟から肩、胸までをカバーする、真っ赤な鎧と、そこから伸びる、これまた真っ赤なマント。
鉄仮面のスリットからは、二つの鋭い光が輝いている。
それは、とても人間とは思えない――まるで、昔のSF映画に出てくるロボットのようだ。
(コイツが……瀬莉香を救った?
いや、それにしては――)
竜也が疑問を抱いたその時、赤い姿の男が、瀬莉香に注目した。
『ほぉ! そこの娘は! あの時の者か。
久しいな』
「あ、あの時は……ありがとうございます。
でも、まさか、本当に居るなんて……」
『例なら、レオナに言うが良い。
こやつが、私に貴様を紹介したのだからな』
「えっ?」
「そ、そうなのか? レオナ!」
「……」
竜也達に、またも無言の頷きで返答するレオナ。
その顔色は悪く、また、冷や汗を掻いており、竜也達には全く注目していない。
『下等生物共よ、聞くが良い。
“ワームホール”というものを、知っておるか?』
「か、下等生物だぁ?」
「ひ、酷い!」
「ワームホール……異世界同士を結ぶと云われる、次元の虫食い穴ですね」
ドルオールと呼ばれた背の低い――そして、妙に鼻と手が大きい老人の言葉に、皆がそれぞれの反応をする。
ザウェルの回答に、ドルオールは頷いた。
『左様。
ワームホールを使用することで、我らは元の世界へ帰還出来る。
しかし、無の状態からワームホールを生成することは、我らの魔力を集め数千万倍に増幅させたとて、不可能じゃ』
「それじゃあ、元の世界には戻れねぇじゃねえかよ!」
竜也の怒声に、ドルオールと、その後ろの者達が、クスクスと嘲笑を返す。
『下等生物の知力では、そのような回答しか導けまい。
じゃがな、あらゆる事象を極め、研究し尽くした我らは違う』
妙に誇らしげに語るドルオールに対し、ザウェルは、無表情で尋ねる。
「詳細を、お伺いしても?」
『よかろう。
我らはこの二年、世界中のあらゆる場所を観測・測定し、自然発生したワームホールの痕跡を、大小問わず発見調査した。
その結果、気象・温度・時刻・星の座標・マナの密度など、様々な条件が特定値で合致した瞬間にのみ、この世界でもワームホールが発生しうる可能性に辿り付いたのじゃ』
「な、何がなんだか、全然わかんねーけど……」
「わ、私も……」
困惑する竜也達の前に立ち、ザウェルは、ドルオールの話に付け足し始める。
「しかし、最も大きな影響を与えるのは、地力。
特に、地震や火山活動などが活発に起きる地域や、その地脈が伝わる場所の方が、地・水・火・風・天などのエレメント共鳴が関連して、ワームホール発生率が高まる傾向が強い。
そういう認識でしたが、間違いないでしょうか?」
『うぬ……さすがは、ダークウィザード。正解じゃ』
「そして今夜まもなく、この新宿御苑が、様々な条件を最も効率良く兼ね備える場となる。
――そういうことですね?」
『貴様も調べ上げておったということか、ダークウィザードよ』
ガノンの言葉に、ザウェルは頷く。
「貴方がたの仰る、“ダークウィザード”とやらについては判りかねますが……
しかし、今夜ここにワームホールを召喚するにしても、タイミングはごく僅かで、持続時間も短い筈。
ならば、ここは無意味に敵対心を煽るようなことはせず、私達は協力し合うべきではないでしょうか?」
と同時に、四人の周囲に真っ赤な電流のようなものが立ち上り、それが瞬時に、ザウェルの身体を拘束してしまった。
「な……?!
うわあぁぁぁっ!!」
「ざ、ザウェル?! 大丈夫か?」
「ザウェルさん?!」
「何するの! ザウェルを離してっ!!」
その言葉に反応するように、ザウェルを包む朱い電流のようなエネルギーが、更に膨張する。
激しいスパーク音が鳴り響き、もはや、ザウェルの悲鳴すら聞こえない。
『レオナよ、ご苦労であった。
お前も、こちらに戻るがいい』
ガノンの声と同時、レオナの身体がふわりと浮き上がる。
あっという間に、彼女は五人の傍へと引き寄せられてしまった。
「ち、ちょっと! 何するんだ!!」
「てめえら、ザウェルとレオナに、何をしやがる!
何だか知らねぇが、離しやがれ!」
「竜くん! 危ない!」
――ふわっ
「――な?!」
『下等生物は黙っていたまえ。見苦しい』
今度は、アルファードと呼ばれた騎士が話す。
不可思議な力により、竜也は、宙に浮かび上がってしまった。
加えて、金縛りに遭ったように、身体が動かせない。
「な、なんだと……?!」
『これよりこの地に、ディメンションゲートを構成する』
「ディメンション……ゲート!」
竜也の呟きに、ガノンが頷く。
『貴様達には見えぬだろうが、現在この東京副都心部の上層空間には、ごく細かながら、そのワームホールの片鱗が、いくつか点在している。
これの一つを我らの魔力で、この場所に集約・固定する。
その後、更に膨大な魔力を注ぎ込むことで、ワームホールを瞬間的に膨張化。
これをディメンションゲートの代用とする』
「そんな事が、出来るのか?!」
『煩い、下等動物は、黙って聞いてろ』
ライオネルと呼ばれた大柄の騎士が、何かを払いのけるように右手を振る。
すると、先程から宙に浮かばされていた竜也の身体が動き、瀬莉香の方へ飛ばされた。
「ぬわっ?!」
「きゃああっ?!」
無意識に竜也を受け止めようとした瀬莉香は、後ろに倒れてしまった。
「せ、瀬莉香! 大丈夫か?!」
「ライオネル! アルファード!
彼等は無関係なんだから、手を出さないで!
――じゃなくて! ザウェルも解放しなって!」
レオナの必死の願いに、ガノンが首を振る。
『ダークウィザードの魔力は、ワームホールを膨張させるために、全て抽出する。
同時に、力を失ったダークウィザードを、この場で始末する』
「し、正気なの?! ガノン!!」
『まだわからぬか、レオナよ。
この男は、我らが王国に災厄を招き寄せる存在じゃ。
我らも、あの迷宮でどれほどこやつに苦しめられたか、そなたは忘れたと申すか』
「ドルオール! それは、何度も説明したじゃない!
あの人は絶対違う! ザウェルは――」
『しつこいぞ! レオナ!!』
「?!」
アルファードの念力が、今度はレオナに向けられる。
身体の自由を奪われ、少しずつ宙に浮く……が、レオナはそれを振り払い、逆に彼の背後を取った。
だが――
「アルファード?!」
『こんな奴らと付き合っているから、腕が鈍るんだ』
「ハッ?!」
――ガキッ!
瞬時に背後へ回り込んだアルファードの一撃を受け、レオナは、声もなく沈んだ。
『私とお前とでは、700以上のランク差があるのだぞ?
それすらも、忘れてしまったのか』
「れ、レオナぁ!!」
『殺してはいない、心配するな』
「ぬぐ……!!」
クリムゾンナイツ。
その異常かつ圧倒的な力により、ザウェルや竜也達は、完全に無力化していた。
否、たとえ圧倒されていなくても、いったい何が出来ただろうか?
彼らの力は、魔法なのか、身体能力なのか、それとも超能力のようなものなのか、それすらもわからない。
ただ彼らの前で、こちらが一方的に踊らされているだけだ。
「うっ……げほ、げほっ!」
「瀬莉香! 大丈夫か? どこかへ避難してろ!」
『案ずるな。その娘には、手出しはせぬ』
ドルオールの呟きに、竜也がはっとする。
続けて、ガノンが瀬莉香を指差しながら語る。
『その娘には、我らは貴重な情報を貰った。
そのお蔭で、この二年間、この世界に潜伏出来た。
その点については、感謝せねばならぬからな』
「情報……? せ、瀬莉香が? アイツに?」
「……」
動揺する竜也に、やれやれという態度で、ドルオールが話しかける。
『なに、その娘の命を救う代償に、記憶の一部を覗かせてもらっただけじゃ。
何も害になるようなことはしていない。
事実、この二年、生き長らえたであろう?』
「二年て……まさか、あの話か?!」
竜也は、先ほど瀬莉香から聞いていて、夢の話を思い出す。
『その時の礼代わりだ。
その娘と、お前は無事に帰してやる。
このまま、我らの邪魔さえしなければ、の話だがな』
先程、竜也を片手で飛ばしたライオネルが、上から目線で告げる。
竜也は、ライオネルを睨みつけるが、彼は歯牙にもかけないという態度だ。
『時間がなかろう、ガノン。
そろそろ儀式を始めては?』
『うむ、確かにな。
ライオネルよ、その者達を、この庭園の外まで転送せよ』
『了解した』
そう呟くと、ライオネルと呼ばれた騎士は、両手を竜也達に向ける。
今度は、竜也だけでなく、瀬莉香も宙に浮かび上がった。
『下等生物とはいえ、無益な殺生をする気はない。
大人しく帰還するが良い!』
「きゃあああああ!!!」
「ぬ、ぬぐうぅぅっ!!」
ライオネルの叫びと共に、竜也達の身体が、凄まじい力で引っ張られる。
その衝撃から逃れるように、竜也は、必死で身体を動かそうとした。
「?!」
その時、竜也の視界の端に、奇妙なものが映った。
それは、ガノン達の頭上に――
パンッ!
突然、風船が割れたような短い音が、闇夜に響き渡る。
と同時に、宙に浮いていた二人は、どさっと地に落ちた。
「勝手な事をされては困るね、クリムゾンナイツの諸君」
ばちっ! と何かが激しく弾けるような音が続き、闇の中から、黒髪の男性がゆっくりと姿を現した。
「ザウェル! 大丈夫かよ!!」
「ザウェルさん!」
『ぬぅ――ダークウィザード……』
「心配かけたね、竜也、瀬莉香。
大丈夫、咄嗟にかけた魔法障壁(アンチマジックシェル)が、程好く効いたよ」
『あの一瞬で、そんなことを』
セーラの呟きに頷くと、ザウェルは、ガノンの前に歩み出た。
「私は、君達の異世界渡航――否、帰還を助けたい。
その為なら、いくらでも力を貸そうじゃないか。
だが、無理やりに力を絞られるとなると、それも難しくなる」
『ほざけ、闇の魔道師よ。
貴様を葬ることも、また我らの重大な使命よ』
「君達が、私を何と勘違いしているのかは、知らない。
だが――私は、君達と争うつもりはない。
逆に、君達に警告をしなくてはならないのだ」
ザウェルの言葉に、ガノンが静止する。
身構えていた他の四人も、その言葉に同じく動きを止めた。
ザウェルは、以前竜也に語った“エラー補正”について、クリムゾンナイツに説明を行った。
異世界間を移動した際、その世界に合わせたフォーマットが自動的に行われるが、その際に肉体的なエラーが生じ、それが不自然な能力強化として表出する――
「君達も、自覚があるのではないか?」
『なるほど、エラー補正とは面白い呼称だ、気に入った』
「お褒めに預かり、恐縮だよ」
『しかし、その概念が、今の我々に何の関係があるというのか?』
変わらぬ強い口調で迫るガノンに、ザウェルは、あくまで冷静な姿勢を崩さない。
「次の異世界渡航で、再度、エラー補正が発生する危険があるということだよ。
君達も、既に一度補正を受けている筈。
何の準備も対策もなく、元の世界に移動したら、今以上にとんでもない変化が生じてしまうかもしれない。
そこを踏まえ、私と共に対策を考えてみないか、ガノン」
ザウェルの言葉に、クリムゾンナイツの面々は言葉を詰まらせる。
この合間を縫い、竜也は、こっそりレオナを介抱した。
「り、竜也――ごめん、ごめんね……ボク、こんなつもりじゃ……」
「もういいよ、そんなこたぁ。それより、聞きてぇ事がある」
「え、何?」
「お前、あれ、見えるか?」
「えっ?」
竜也は、睨み合うように立つザウェルとガノンの、更にその上の空間を指差す。
「何も見えないけど、どうしたんだい?」
「そうか。
俺には、あそこに一冊の“本”が浮いてるように見えるんだ。
ついさっき、気づいたんだがな」
「本? 本て、あの、紙を綴じた、アレ?」
「うん、百科事典みたいな奴が、ふわふわって」
「?!?!」
クリムゾンナイツの放つ強烈な光のオーラで、先程までは見えなかった。
今の竜也には、背表紙を上に向け、腹を下にして中途半端に開かれている、厚手の本の姿が、おぼろながら見えていた。
そしてそれが、物事の元凶だと、竜也は既に気付いていた。
「それより、竜也!
ザウェルが皆の気を引いているうちに、早くここから――」
レオナがそこまで叫んだ時、竜也の耳の奥で、何かが響いた。
微かに、しかし、しっかりと確実に。
『リュウヤ! 頼むから! 起きてよぉ―――っ!!』
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