ACT-1 ~Tower of Dead~ 2/3

「ハブラム」の地下迷宮は、二十年前に発見されて以来、のべ二十万人を超える冒険者によって探索が行われてきたが、いまだにその全貌は解明されていない。

その最大の理由は、階層が深まる毎に危険度が増す怪物(モンスター)や罠の種類、そしてそれらの数だ。

そこに加えて、異様に複雑化する迷宮構造も問題となる。

三階層までと四階層以降に特に大きな差があり、最下層部も何階に到るのか諸説ある。

そして、その最下層部には――


その日、特に問題もトラブルも起こらず、新たな発見もなく――三人は、完全無傷で帰還に成功した。


しかし同時に、イリスの中に、微妙な変化が起きつつあった。




それから、一週間の時が流れた。


イリスは、リュウヤやモトスと共に「クルッジ」として、毎日少しずつ迷宮探索を行っていた。

しかし迷宮探索終了後には、別行動を取ることも多くなった。


イリスは毎夜、酒場「ジントニ」に通っていた。


「おお、イリスちゃん! いらっしゃい」


ドワーフ店主の人懐っこい笑顔に軽く会釈をすると、イリスはキョロキョロと店内を見回した。


「例の連中をお捜しかね? ちゃんと来とるよ」


店主の指差す方向には、五人の男女が座っていた。


「やあ、君がイリス? 話は聞いてるよ。

 さぁ、こちらへ」


一番長身の男性が、席を立ってイリスを招き寄せた。

空いた席へエスコートすると、丁寧に椅子を引いてくれる。

イリスは、男性の笑顔と紳士的な態度に、思わずうっとりしてしまった。

テーブル席にいるのは、戦士風の男性三人、軽装の男性一人、魔術師風の女性が一人。

そのいずれも美形かつスマートという、とても冒険者とは思えない出で立ちだ。

イリスは、彼らのあまりの美麗さに見惚れ、ろくに挨拶も出来ずに居た。


「僕達は、パープルトゥルース。全員ランク15のパーティだ。

 僕はリーダーのライナス――よろしくね」


「じ、15!!

 す、すごいです!」


イリスの驚きに、五人は優しく微笑みを返す。


「お兄さんの遺体か遺品を回収したいんだってね。

 大丈夫、俺達が協力するよ」


「何の心配もしなくていいのよ」


「じゃあ明日から、早速調査してみようか。

 こういう話は、早い方がいいからな」


パープルトゥルースを名乗る五人は、既に何もかも承知といった態度で、イリスに接してくる。

その対応は非常にスピーディで、向こうからの提案も具体的に感じられた。

イリスは、現在組んでいるリュウヤやモトスの話を含め、現状を彼らに報告した。


「良くないね、それは」


「ダメなんですか?」


「無駄に時間をかけて、イリスの警戒心を解いて……

 それから目的を果たすのが見え見えだね、そいつら」


「ど、どういうことでしょう?」


「わからない? あなた、とっても美人で可愛いじゃない」


「??」


「中には、君みたいな娘を良くない奴らに売りさばいたりする

 ろくでもない輩もいるのさ」


「え!!」


「まあ、その話はいいじゃないか。

 とにかくそいつらとは、とっとと縁を切った方がいい」


「は、はい」


「大丈夫、もし揉めるようなことがあったら、その時は僕が出る。

 君は、何も心配しないでいい」


「早く、お兄さんの無念を晴らしてあげましょう」


「はい、あ、ありがとうございます!!」


安堵したイリスは、喜んで彼らと――パーティ加入の約束をした。




「あ、イリスだ。おーい」


酒場から戻ったイリスは、木賃宿の前でリュウヤと出会い、一瞬ギクッとした。


「あ、はい?」


「これ、修繕に出してた剣だよ。

 遅くなっちゃって、本当にごめんな」


「い、いえ……いいんです」


「あ~それでな、明日からの探索なんだけどさ――」


「すみません、これで失礼します!」


「――って、えっ?」


イリスは、まるで逃げるようにリュウヤの前から走り去っていった。


リ(あれ、俺なんか悪い事言ったかな?)


独り取り残されたリュウヤは、ポリポリ頭を掻きながら木賃宿の自室に戻った。




その翌朝――


「おーい、モトス」


「どうしたん? リュウヤ」


「今朝から、イリスの姿が見えねぇんだよ。

 何処にいるか知らねぇか?」


「いんや、知らんよ?

 でも、午後から迷宮に出かける約束だし、もう少し待てば

 帰ってくるんじゃね?」


「ああ、そうだな。

 どっか出かけたのかなぁ」



――しかし、約束の時間になっても、イリスの姿は見られなかった。


「た、大変だリュウヤ!

 イリスちゃん、出て行った!!」


「な、なんだとぉ?!」


「さっきカウンターに聞いたら、今朝早く引き払ったんだって」


「俺達への伝言とかは?」


「特になし、だって」


「な、なんでだ? どうして急に?」


「それは判らないけど……彼女なりに、思うことがあったのかもしれないね」


「昨日、剣を返した時も、なんかちょっと態度が変だったしな。

 もしかして、独自で迷宮に?」


「も~、リュウヤが日々辛く当たるからこんなことにぃ」


「ちょっと待てぃ! 俺がいつ、彼女に辛く当たったよ!」


「……とまあ、冗談はおいといて。どうする?」


「ダメ元で、ジントニ行ってみるしかねぇか。

 もしかしたら、店主が何か知ってるかもしれねぇしな」




その頃、イリスは、パープルトゥルースのメンバーと共に迷宮入りし、午後には地下六階層まで辿り着いていた。

女性魔道師ヘレスの移動呪文で、第四階層まで一気に移動し、そこからは破竹の勢いで一気に六階層まで移動した。

当然、その間に出現する未知の怪物達は、あっさりと彼らによって駆逐された。

殆ど見ている事しか出来なかったイリスだが、彼らの、見た目の艶やかさからは想像も出来ないようなパワフルな戦闘能力は、リュウヤやモトスからは全く感じられない頼り甲斐と、魅力に充ちていた。


(この人達、本当に凄い! 強い!!

 これなら今日中にでも、兄さんの手がかりが掴めるかも!)


「大丈夫かい、イリス?

 怪我はない?」


「は、はい! 大丈夫です、ヘレスさん!」


「何かあったら、すぐに教えてね。すぐにフォローするから」


「ありがとうございます!」


「さぁ、六階層まで来たわけだが――」


ジュリアスと名乗った軽装の男は、どうやらモトスと同じ盗賊のようだ。

第六階層に入り込んだと同時に、階段付近の小部屋を陣取り、仮キャンプを設立する。

本来、キャンプとは迷宮内である程度の時間休息を摂るために行われる「簡易結界」を意味し、殆どの冒険者はそういった効果を発揮するテントを用いるが、パープルトゥルースはそれを使わない。

ヘレスの唱えた呪文だけで、周囲に簡易結界が即張られるようだった。

その段取りの良さに、イリスは益々感慨を覚えた。


ジュリアスは第六階層の地図を取り出し、右上の角を指差し、現在地だと教える。

イリスは、この地図だけ、何故か右下の一角が大きな空白になっている事が気になった。


「この階層が、今回の目的なんですか?」


「ああ、それはね――」


ライナスは、イリスに丁寧に説明する。

ハブラムの迷宮には、非常に数多くの冒険者が探索に入り込むが、深い階層に入り込んだ者ほど「未帰還」に陥りやすい。

この場合の未帰還とは、モンスターとの戦闘で敗れたり、罠の解除に失敗し全員行動不能になったり、特殊な地形にはまって迷ってしまったりという、地上への帰還が不可能になったケースを指す。


このような場合、門番が携える帳面を基に、行方不明者捜索(通称:死体回収)が行われるが、それも階層が深いほど成功率が激減する。


ライナス曰く、そのボーダーラインとなるのが、この第六階層だというのだ。


「もし、君のお兄さんの手がかりあるとしたら、

 高い確率で、この階層以降だろうね。

 イリス、お兄さんの持ち物を、何か持ってないかい?」


「あります、この剣です!」


「ちょっと貸してくれる?

 ――ヘレス、頼む」


ライナスから手渡された剣に向かって、ヘレスは何か呟くように呪文を唱え始めた。

剣と柄が、ぼんやりと青白く光り始める。

それにしばらく指を当てていたヘレスは、数分後、はっとして顔を上げた。


「どうだい? 何かわかったか?」


「え、ええ……この階層の南東の方角に、微弱な反応があったわ」


「本当ですか?! それは、兄が生きてるということですか?」


目を見開いて迫るイリスに、ヘレスは首を振って返す。


「反応の微弱さから考えて、ドウラの持ち物かその一部があるってイメージね」


「え……? ヘレスさん、今……」


「南東というと――」


「ああ、そうだ。アレがある所……ひとまず、行くだけ行ってみよう」


パープルトゥルースは、反応がある方向へ向かってみることにした。




一方その頃、地上。


「いててててて! 死ぬ! 死ぬぅ! 誰か、助けてェ!!」


「どうだおっちゃん! 話す気になったかぁ?!」


 ギリギリギリ……


「ぎゃあああああ!! わ、わかった、わかった、話すから!

 話すから離してぇぇぇぇぇ!!」


「最初から素直にそう言えばいいのに。

 リュウヤ、釣り天井固め、そろそろ解いてやって」


「あいよっと!」


 ――ドサッ!


「い、痛たたたたた!!

 おい、言っておくけどな、これはあのエルフ娘から

 言い出したことなんじゃぞ?!」


「あぁ? まだお仕置きが足りないのか~? おっちゃん。

 じゃあ今度は、パロスペシャル行ってみよか? ん?」


「生ぬるいね、オレならタワーブリッジで一気にヤるけど」


「ほ、本当なんじゃぁ――!!」


大勢の客が見守る中、ドワーフの店長は、店のど真ん中でリュウヤとモトスに甚振られていた。


「あの娘の方から、ワシに相談しに来たんじゃよ!

 この街でもっと頼りになる、深い階層まで潜れるパーティはおらんかって」


「それで、相談に乗ってやったのかよ。

 酷ぇなぁ、俺達長い付き合いなのにさ、あっさり裏切りやがってよぉ」


「当然タダじゃないだろ? オゼゼ貰ったんだろうよ」


「そりゃあ、ワシはそーいう商売もやっとるんじゃからな、仕方あるまい!

 それで紹介してやったんじゃよ、パープルトゥルースって連中をな」


「パープルトゥルースって……

 確か超イケメンパーティとかで、最近有名になった?」


「あ、ああ」


「いくらでだよ?」


「い、言わなきゃダメ?」


「ダメ~♪」


 怪しい笑顔で手をワキワキさせながら迫るモトスに、店主はガチ怯えながら何度も頷いた。


「わ、ワシには30GP(約三万円)」


「そのパープルナントカって連中には?」


「よくは知らんが、でっかい金の袋を渡しとったぞ?

 き、金額までは知らんからなっ!」


「おいおい、イリスって随分金持ちだったんだなぁ」


「なんか――釈然としねぇな。

 おっちゃん、そいつらはもう、迷宮に入ってったのか?」


「そ、そこまでは知らん!

 ――いや本当じゃ! 牛バラステーキ1ポンド賭けてもいい!」


「本当みたいだな」


「ああ、看板メニュー賭けるくらいなら、こりゃマジだ」


店主を無慈悲に床に放り出すと、リュウヤとモトスは、急いで木賃宿へ戻った。


「モトス、あの子の後、辿れそうか?」


「ここからじゃ無理だよ、迷宮の中に入ってからじゃないと」


「しゃあねえ、今回は俺ら二人だけで行くか」


「仕方ないね」


二人は、木賃宿の自室に置いてあったザックの中から、自分達の装備品を取り出した。






第六階層ともなると、出現するモンスターの性質も強さも、大きく変わってくる。

途中までは、大きくてもせいぜい大牛程度だったが、ここでは巨象クラスや、全長12メートルを超えるような者もざらに出てくる。

無論、イリスなどまともに当たってはひとたまりもない。

パープルトゥルースのメンバーは、上手くイリスをフォローしつつ、特に大きなダメージを負うことなく進行を続けて来たが、この辺りになると、さすがにきつさが出てくるようだ。



やがてパーティ一行は、地図の右下――南東エリアに差し掛かった。


「こ、これは?!」


イリスは、目の前に広がる光景に、思わず足を止めてしまった。

数十フィート先からは、石畳の廊下がなく、広大な水溜りが広がっていた。

向こう側は、暗闇に包まれていて全く様子が窺えない。


「こんな地下に、池が?」


「池なんて規模じゃないわ。これは地下湖よ」


「み、湖なんですか?!」



「ああそうだ。

 どうやら地下水脈が、迷宮の一部を浸水しているらしい。

 この状態だと見えないけど、この湖の中央には、塔が立っている」


「地下に湖があって、さらに塔?」


「そう……ただこの塔の攻略は、まだ殆ど行われてないんだ」


「どうしてなんですか?」


「中に居るモンスターの危険度が、郡を抜いてるんだよ。

 噂では、最下層から塔をつたって、最強クラスの怪物達が

 這い上がってくるとも云われてるよ」


メンバーのテリーとローレンスによれば、第五階層以降のマップは、ハブラム内でもかなり高値取引されるため、本来なら冒険者達がこぞって攻略を試みるが、この第六階層だけは、湖およびその中の塔が省略されているものが殆どだという。

つまり、そうせざるをえない事情があるという事だ。

イリスの前に広げられた第六階層マップも、南東部が未記入の状態になっていたのは、そういう理由があったからだ。


「ドウラの反応があったのは――この向こう側よ」


ヘレスは、湖の彼方を指差した。


「湖の中の、塔ですか?

 そこへは行けないのですか?!」


「ああ、ここだけは話が別なんだ。

 まさかとは思ったが、よりによってここだったとは――」


「ごめんなさい、イリス。

 私達では、これ以上力になって上げられそうにないわ」


「え? そ、そんな!

 兄の手がかりが見つかるまで、お力添え頂くという約束では

 ありませんか?」


「そうなんだが……ライナス、説明してやってくれないか?」


「仕方ないな。

 ――実は僕達、以前あの塔に入ったことがあるんだ」


「そ、それなら益々……」


「その時、僕らは本当にボロボロにされてしまって。

 格好悪い話だけど、全滅の一歩手前まで行ったんだ」


「こ、こんなにお強い皆さんが、ですか?!」


イリスの問いかけに、五人は力なく頷く。


「そういうわけなんだ、すまない。

 捜索は、ここで打ち切らせて欲しい」


「……それは、話が違います!」


「そう言われても、しょうがないわ。

 私達だってあの時、仲間を一人置き去りにしなきゃならない程――」


思わず自分の口に手を当てたヘレスに、イリスが食い下がる。


「あ、あの、ヘレスさん……

 さっきから、気になっていたんです。

 どうして、兄の名前を……ドウラだと、知っていたんですか?」


「それは、あなたが酒場で――」


「いえ、私、兄の名前はお伝えしていません」


「!」


「兄は、非常に几帳面で、用心深い性格でした。

 いつどのような事態が起きるかわからないからと、万が一の為に

 記録や書面を残していたんです」


「イリス、聞いてくれないか?」


「兄は、この街に初めて来た時から、私宛に手紙を何度も

 送ってくれていました。

 その中には、今組んでいるパーティやメンバーのお名前、

 パーティの登録時の契約内容まで、きっちり書いてあったんです」


「イリス――」


「なのに、最後の探索に向かう直前の手紙には、何も記述がなくて。

 だから、最後に組まれたパーティの名前も――」


「そうか、わかったよ」


イリスがそこまで話した途端、ライナス達が彼女の傍から数歩後ずさった。


「み、皆さん?」


「本当に意外だったよ、まさか君が、ドウラの妹さんだったなんて」


「! じゃあ、やっぱり?!」


「うん、気の毒な話だけど、君の兄さんは、あの塔の中で死んだんだ」


「!!」


「でも、許して頂戴。私達も、最後までドウラを助けようとしたの。

 だけど、間に合わなかったわ」


「俺達は全員負傷してて、唯一動けたドウラが、モンスターを食い止めて

 くれてたんだ!

 ヘレスが脱出呪文を唱え終えようって時に、とうとう奴らが!

 ――それで、やむなく……」


「兄さんを……見捨てて、あなた達だけ、地上に――」


「残念だけど、そういうことなんだ。

 イリス、ドウラが君の兄さんだって、もっと早く気付いていれば……」


「ごめんなさい、さっきその剣で捜索の呪文を唱えた時、初めて判ったのよ」


「酷い、酷すぎます!!」


 あまりの衝撃に、イリスはその場で泣き出してしまった。


「でも、それは一年前の話です!

 今の皆さんは、あの時よりもっとお強くなられてるのでしょう?!

 それに、塔は、もう目の前じゃないですか!

 お願いです! 兄を! 捜してください!」


「いや、そう言われても」


「本当にお願いします!

 私には、あなた方だけが頼りなんです!」


「イリス……」


「お礼なら、地上に戻ったら、もっとお渡しします!

 ですから、どうか、どうかお願いします!

 兄を――救ってやってください!!」


イリスの必死の願いにも関わらず、一同はその場から動こうとしない。

険悪な空気が漂う中、ライナスが、重い口を開いた。


「契約の件なんだけど、僕達はこれで一応、約束は果たしたことになる」


「え?」


「僕達パープルトゥルースは、君・イリスの兄の行方を捜す手伝いをする。

 契約期間は、捜索詳細が判明するまで、だった。

 判明した後のことまでは、何も決めてなかったよね」


「ど、どういうことですか?!」


「つまり、ドウラの居場所が判った時点で、契約は完了しているのよ」


「本当にごめんよ、イリスちゃん。

 でも、真実を知れて良かったよね?」


「もし、どうしてもドウラを捜したいというなら、僕らはこれ以上

 君に協力することは出来ない。

 後は、君一人でやって欲しいんだ」


「?!」


驚くイリスを尻目に、パープルトゥルースの五人は、一箇所に固まり始めた。

ヘレスが呪文を唱え、彼らの周囲に光の輪が発生する。

それがまるで壁のように変化し、五人の姿を完全に包み込んだ。


「この湖を西側に回り込むと、細い橋がある。

 塔へは、そこから入れる筈だ」


「ちょ、ちょっと待ってください!

 そんな! 私一人じゃ、無理です!!」


「じゃあね、さようなら。

 無事に帰還できることを祈っているわ」


慌てて走り出すが、光の壁に弾かれ、彼らの中に入れない。

しりもちを突いたまま、イリスは、光の柱に溶けるように消えていく五人の姿を、呆然と見つめていた。


「そんな! 置いていかないでぇ!!」


誰も居ない、仄暗い空間。

何処からか入り込む弱い光を反射し、うっすらと光り輝く水面だけが、闇の中に浮かんで見える。

迷宮内を照らすランタンすらも、ここには残されていない。

イリスは、たった一人で、迷宮第六階層の最深部に、置き去りにされてしまった。




第四階層。

ここは通称「ターミナルポイント」と呼ばれる場所で、迷宮探索では重要なポイントとなる。


ここには、第三階層への階段から第五階層への階段までが、一直線の通路で結ばれているポイントがあるのだが、その途中に大きな「穴」が開いている。


穴の直径は約250フィート(約75メートル)にも及び、ここを乗り超えるか、あえて落ちてみない限り、これより下の階層へ行くことが出来ない。

穴は第六階層まで続いてると云われており、そのまま落ちたら当然ひとたまりもない。


現場では、穴を横切るように、何十本ものロープが渡されている。

縄橋を渡す計画もあったらしいが、モンスターも渡って来てしまうため、現在では取り止めになっている。

このロープを伝って穴を渡るのが、冒険者達の一応のセオリーだが、熟練のパーティになると、移動呪文の「核」となる楔を壁に打ち込んでおき、これをターゲットにして一気にテレポートを行う。

このため、穴の各対岸側の壁には、無数の楔が打ち込まれている。


第三階層への階段に通じる通路に、パープルトゥルースが転移してきた。


無言のまま階段を目指そうとする五人の前に、突然、一人の男が立ち塞がった。


「おめぇらか? パープルトゥルースって連中は」


「そ、そうだが?」


「イリスは、どこに居る?」


「う……!!」


「言え。

 言わねぇなら、ここがてめぇらの墓場になるぜ」


男は、明確な殺気を放ちながら、五人との距離をじわじわと詰める。

それに反応し、奥にいたテリーとローレンスが、前に出た。


「何者か知らないが、我々をパープルトゥルースと知った上で言ってるのか?」


「だとしたら無謀もいいとこだな! 俺達はランk――」


「グダグダ言ってんじゃねぇ!」


男の怒声に、五人は気圧される。

だがテリーは、男のあまりにみすぼらしい装備を見て、鼻で笑った。


「威勢が良いのは結構だが、お前、そんなしょうもない装備で

 俺達の前に立ち塞がって、何をする気だ?」


「言っただろ?

 てめぇらの態度次第じゃ、ここが墓場になるってな」


「それは、お前のって意味だろ?!」


 そう叫ぶと、ローレンスは剣を引き抜き、男に迫った。

 彼の持つ剣は、刀身に強化の呪術が刻み込まれたもので、それが薄暗闇の中でぼんやりと光を放っている。

 閃光のラインが宙を切り、男の眼前に振るわれる。


 キィィ――ンン!!


 その瞬間、鋭い金属音が、通路内に響き渡った。


「?!」


 ローレンスは、いきなり軽くなった自分の剣を、慌てて確認した。


 ――カラン、カラン……


 遥か向こうを、金属片のようなものが滑っていく。

 それが自分の持っていた剣の「刀身」だと気付くのに、多少の時間がかかった。


「な……?!」


 威嚇のつもりで切りかかったので、何かにぶつけたわけでもなく、手応えもなかった。

 にも関わらず、ローレンス自慢の魔法強化剣は、根元からポッキリ折れていた。


「う、うわぁっ?!」


「きゃあぁっ?!」


 次の瞬間、ジュリアスとヘレスが、突然宙に浮かんだ。

 そしてそのまま、何か見えない力で引っ張られ、穴の端まで引っ張られてしまった。


「な、なんだこれ?! う、腕が……動かねぇ?!」


「た、助けて!! お、落ちる、落ちるぅ!!」


 ジュリアスとヘレスは、あっという間に穴の端からぶら下げられてしまった。

 四肢は何かで強く拘束されているようで、全く動かすことが出来ない。

 二人は、懸命に自分の状況を確認しようとするが、何が起きているのかすらわからなかった。


「な……?! 何をした?!」


「先に質問してんのはこっちだろうが。

 イリスは、どこに居るんだ? とっとと答えろ!」


「し、知るかよ!!」


 今度は、大剣を振りかざし、テリーが踊りかかる。

 威嚇ではなく、本当に叩き潰すつもりだった。

 大きくジャンプし、両手でそのまま、真っ二つにする勢いで襲い掛かる。

 男は、テリーの大剣が頭に激突する瞬間まで、微動だにせずに立ち尽くしていた。


 キィィ――ンンッ!!


「う、うわぁぁぁぁぁぁッ?!」


 気がつくと、テリーは穴の手前まで、吹き飛ばされていた。

 あと数インチずれていたら、明らかに落下するという地点に留まった。

 落下時の衝撃で、大剣が手から零れ落ち、穴に吸い込まれていった。


「ひ、ひえ!!」


「……!!」


 一部始終を見ていたライナスにも、何が起きたか、全くわからなかった。

 男は、いつの間にか、自分の剣を抜いていた。

 いつ抜いたのかは、全くわからない。

 気が付いた時には、既に剣を振り終えている状態だった。

 自分の遥か後方にテリーが吹っ飛ばされていく時、男は器用に剣をクルクルと回し、瞬時に鞘へ収めた。


 キィィン―― パチン!



「ま、まさか――今の、け、剣で……?」


「これが最後だ。

 イリスは、何処に居る?」


「くっ!!」


 静かに歩み寄ってくる男に怯え、ライナスは反射的に剣を抜こうとした。

 だが、何故か抜くことが出来ない。


「?! ――!!」


 ライナスは、自分の左腰を見て、戦慄を覚えた。


 いつの間にか、男の剣先が、柄尻を押さえている!


 手甲には触れていない……それはつまり、ライナスが剣を掴んだ後に、自分の剣先を当てたことになる。

 だがその挙動は、ライナスには全く知覚することが出来なかった。


「な、なな……な」


「今すぐ答えるんなら、てめぇら全員の命は保障してやる。

 だがな、答えなきゃどうなるか。

 ――さすがにもうわかんだろ?」


「お、お前ら、い、いったい?!」


「質問に質問で返すな。

 泣かすぞ、しまいにゃ」


男は、瞬時に剣を鞘に収めると、いきなりライナスの鎧の襟を鷲掴みにした。

そのままライナスの足が浮くほど持ち上げ、往復ビンタを食らわしてきた。


パパパパパパパパパパパパパパパパパ!!


「イデ、イデ、イデ、イデ、イデ!!」


パパパパパパパパパパパパパパパパパ!!


「イデ、イデ、イデ、イデ、イデ!!」


一秒間に二回の、強烈なお仕置きビンタ!

それをたっぷり二十秒以上も食らったライナスは、頬を真っ赤に膨らませ、へなへなとその場にへたり込んだ。


「おーい、リュウヤ。そいつはもういいや」


どこからともなく、モトスの声が聞こえてくる。


「吊るした連中から聞いた。

 六階層の塔の近くで別れたんだってさ」


「六階層の塔だと?! てめぇ――!!」


へたっているライナスの髪を鷲掴み、強引に立ち上がらせる。


「ひ、ひぃっ?!」


「ランク3の女の子を、そんなとこに、たった一人で置き去りにしたんか?

 どういうつもりだ、オラァ?!」


「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!!」


すっかり観念したライナスは、六階層での出来事を、男に伝えた。

呆れた態度でライナスを放り捨てると、男はそのまま穴へと歩いていく。


「急がねぇとやべぇな。一気に行くか」


「あいよ、こいつらどうする?」


「絶賛このまんま放置の刑」


「了解!」


「「そ、そんなぁ?!」」


「誰かがここを通ったら、助けてくれんだろ。

 それまで待ってな」


そう言うが早いか、男は、躊躇うことなく穴へ飛び込んだ。

その直後、どこからともなく現れた影が、後を追う。


穴の周辺には、何が起きたのか把握し切れていないパープルトゥルースだけが、取り残されていた。


「と、飛び降りただとぉ!? 死ぬぞあいつ?!」


「ランク15の俺達が、全く歯が立たない……だと?

 あいつ――いったい、何ランクなんだ?」

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