第2話 クロノスの針-2

 人を殺すことは罪であるか。この問いに対して何かしら特殊な信仰を持っている者でもない限り、罪であると答えるだろう。それは、人間が社会を形成しているからであり、社会の形成者たる人間を殺すということはその社会を、共同体を崩壊に至らしめる要因となる、謂わば裏切り者なのである。ルーン機関の発見は、人々の生活の質を大幅に向上させることに成功したが、それは同時に、国家という共同体をより明確に定義しなおす機会となったのである。国軍は一層強化され、国家主義と民族主義の台頭の契機となったのである。つまり、人々は明確に自己が所属するべき国家というものを意識することになっていくのである。

 そう言った背景を機に、殺人という罪はさらに重い罪として認識されるようになる。

 しかしながら、殺人が容認される、殺人狂が英雄に成り得る状況は確実に存在していた。戦争である。この狂気の異常事態において、国家の存続を確かなものにするのが、国軍なのである。つまり、国軍は、平時においてその武力を行使することは形式的には認められていないのである。だからこそ、国軍は厳しい規律によって自律を図っているのである。

 では、傭兵はどうか。国軍と違い、傭兵には武力を行使する明確な状況が設定されていないのである。つまり、自身の良心に委ねられているのである。つまり、何者にも縛られていない傭兵は、究極的に言えば共同体を脅かす裏切り者なのである。だからこそ、傭兵には慣例として罪に対して3倍刑が課されているのである。


「続けよう。依頼は、不死兵団の殲滅」

 この言葉に、全員が緊張を表わすように顔の表情を硬くする。これから自分達は戦争の外での'仕事'を行う。事後処理には依頼主の力を借りなければならないが、それには1つ、クリアしなければならない課題が存在する。目撃されてはならない、ということ。餓狼剣団と不死兵団しかその場に居なかった。そして、残ったのは餓狼剣団だけだった。この状況を作らなければ、ならない。過去最高難度の依頼だ。しかし、やらねばならない。それだけ報酬には旨味はあることはまた事実であった。


「不死兵団は、強い。あのアンガラス丘陵の虐殺を乗り切った」

 全員が顔をゆがめる。自分達の運命を狂わせたと言ってもいい、アンガラス丘陵を無事に乗りきった者達への嫉妬だ。醜い、ジェスターはそう思っているが、そうでも思わなければ、平静を保てない者達も多いのもまた事実だ。


「大丈夫だ。だからこそ、これまで情報を沢山集めてきたし、準備もしてきた」

 そう、だから、これは世界で一番醜い八つ当たりだと、ジェスターは思う。そして、ここに集まったメンバーは、この八つ当たりのために集まっていると言ってもいい。強固なしかし、脆い、出来損ないの鉄のような関係性だ。だからこそ、常に燃料をくべて打ち続けて、自壊しないようにしなければならない。そんな事をあれ以来考え続けていると、ジェスターは自嘲気味に自分を見つめなおす。


「そうね。自分達を信じましょう」

 エリメリアが、自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。他の3人もジェスターと同じように、そういう関係性だということは解っているのだろう。エメリア続きボルドーとマルコも自分に言い聞かせるように、自分の努力をも見つめなおすように目を閉じ、エメリアの言葉を深く噛みしめている。


「再確認しよう。あそこでぐったりとしている、今にも死にそうなやつらが不死兵団だ」

 そう言って、隅に陣取りぐったりとしている4人組の方をチラリと見た。


「今にも死にそうですが」

 マルコが軽口をたたき、そう言うが、本当に、このまま死んでくれればどれほど楽だろうかと、ジェスターは思う。しかし、彼らがそこまで弱い生命ではないということは、この場にいる誰もが知っていた。


「あそこの床に突っ伏している金髪の男が、マティ・オールド。外見、性格共に、不死兵団の中では一番マトモだが、剣術に限って言えば、不死兵団の中でも最強。筋力強化に重点を充てた、自己強化系詠唱魔法を使えることから、生まれは貴族ではないかと推測されている」

 今まで知られてきた情報に対して、何か付け加える点があるか、という事を問うように、ジェスターは他の3人を見回す。


「......今まで、武装は直剣だけと思われていたが、投擲武器として、大きめの針を所持していることが新たに分かった」

 ボルドーが答える。新たな武器である針、つまりマティ・オールドが暗器までも使うという事を表わす。それは、今まで考えてきた、マティ・オールドに対する対策を最初から練り直さなければならないほどの重大な情報であるが、しかしボルドーはいたって平然としてた。

「奴を相手するのは俺だ。問題ない」

 数々の格上の相手を知略と機転で翻弄してきたボルドーが言うのだから、きっと大丈夫なのだろうと、ジェスターは信頼する。


「次、あの荷物に寄りかかって座っている白髪が、リャス。彼女は、あの華奢な体からはからは考えられない、怪力の持ち主だ。そして、何よりも傷を受けても一瞬で直す、治癒能力の高さが挙げられる。不死兵団の中で最強を上げるなら、彼女だろう。会話も成立させられる相手だが、とにかく煽ってくる」

 同様に、3人を見回すと、エルメリアが手を挙げた。


「この前聞いたのだけど、以前陣借りでたまたま不死兵団と、陣が同じになった連中が居たのだけど、あの、リャスって子、何かの薬をいっつも飲んでいるらしいの。意外と、体が弱いんじゃないかしら」

 マティ・オールドとは違った意味で、驚くべき情報であるが、朗報だ。エルメリアは続ける。

 因みに陣借りとは、傭兵が赴き、軍勢に自ら願い出て、雇ってもらうタイプの仕事だ。小・中規模の傭兵団の主な収入原である。因みに、その逆で、軍勢が傭兵に依頼する陣受けというものがあるが、それは大規模の傭兵団にしか来ないタイプの仕事だ。

「毒を盛るわ。上手くいったらボルドーのところ、手伝うわ」

「......頼む」

 その言葉に、ボルドーは少し緊張を和らげたように、息を少し吐き出した。


「そして、リャスにに抱えられているようにして寝ている女の子が、リューフィだ。まだまだ年齢も幼くて、短剣を使った戦闘力も高くないが、精神的に一番理解できない奴だ。人を殺すことを躊躇しない。得意なのは奇襲で、老若男女、躊躇いなく殺すことが出来る。......ある意味才能だな」

 そこまでジェスターは言って、マルコを見る。あの狂気の殺人少女を相手にするのは彼だ。


「大丈夫です。私の一刀で、せめて苦しまないように......」

 マルコは優しい、しかし、かつての餓剣旅団に最も執着しているのはマルコだ。最もだ。最前衛として活躍できる彼は、常にかつての餓剣旅団団長の背中を追い続けてきたのだから。そのことを解っているからこそ、ジェスターはマルコにリューフィの相手を頼んだ。そのことを考える度に、心がチクリと痛むのは、しかし、ジェスターは誰にも打ち明けることができなかった。


「最後に、荷物の上で偉そうに座り込んでいる髑髏面が、レーリック・ディアーだ。不死兵団の団長であり、支援系詠唱魔法を使いこなす男だ。戦闘力は、不死兵団の中でも飛びぬけて低い。しかし、頭がキレる」

 ジェスターは自身が殺すべき相手の情報を整理する。不死兵団が結成されてから10年近くたつが、レーリック・ディアーの実力では、絶対に生き残ることは不可能がいくつもあったのを、ジェスターは知っている。故に、レーリック・ディアーは、何かしらの隠し玉がある。そう確信している。


「大丈夫だ。化かしあいは慣れている」

 その確信を覆うように、ジェスターは呟いた。実際、ジェスターも隠し玉を持ってきた。しかし、どれだけ準備をしても、レーリック・ディアーの底の見えなさが、ジェスターを不安にさせていたのもまた事実だ。


「具体的な話を詰めていこう」

 自身の不安を取り除くように、何か言いたげな3人を無視して、ジェスターは半ば強引に次の話題に移っていった。



「それでは、団長はこれで休んでください、後はこっちでやっておきますよ」


 そう言って、マルコたちを見送ったジェスターの目に、木箱に書かれている餓剣旅団の紋章が飛び込んでくる。

 餓剣旅団はかつては大規模な傭兵団であった。ジェスターは自分が入団した時のことを思い返す。レンディムの中央1区にハウスを構え、勇猛果敢な傭兵たち、腕利きの職人たちを数多く抱える、レンディム屈指の傭兵団であった。餓狼の二つ名で呼ばれる団長を戦闘にした突撃など、敵をうならせ、その突撃力を買われ、テンリブ連合の内外問わず、多くの戦闘参加の依頼が毎日のように舞い込んできていた。ジェスターには全てが輝いて見えていた。


 栄枯盛衰、盛者必衰。餓剣旅団の最後はあっけないものであった。


 目を閉じれば瞼の裏にうかぶ、アンガラス丘陵の曇天、焦げ付いた草の臭い、カチャカチャとどこか子気味良い音を奏でる鉄たち。もはや誰とも見分けのつかない名もなき死体たち、人体が焼ける硫黄のような刺激臭、呻き、泣き叫ぶ生を求める亡者たち。決して忘れる事が出来ない、心に、身体にうちつけられた楔。

 全身の毛を逆立たせ、それだけで人を殺せそうな覇気を纏い突撃する一匹の餓狼、しかし、それも奴の手に掛かれば木偶人形のように、容易に首をねじ切られてしまう。餓狼に続き敵めがけて走る鋼鉄の獣たち、しかし、それも悪辣な罠によって容易に捕えられてしまう。狼は蛇の罠に纏わりつかれてしまったのだった。

 血と土にまみれ、地面に倒れふしながら見上げた男の光景。小高い丘の上、馬上にて、戦場を睥睨する男。敵が自身の卑劣な罠によって如何に死のうと、味方にいくら犠牲を払おうとも、何の感慨も浮かばせず、ゲームをするかのように、手を打ち続けるその姿は、人の次元とは隔絶した、神と表現しても良かったかもしれない。ヴィッヘム光輪帝国きっての智将ハーラウト・ベンヤミン。ジェスターは思い返す。今にして思えば全てがおかしかった。団長、餓狼を先頭にした、狼の突撃。否、その前日の夜。その一昨日の朝、その戦いが始まる前。全てがおかしかった。そう思っているだけかもしれないが、思い始めると止まらなくなってしまう。否、そう思ってしまうことが、ハーラウト・ベンヤミンの恐ろしいところなのかもしれない。


 それでも、何とか、何とか帰った。そして思い知った。レンディムが如何に実力というものに支配された場所であったかを。勇猛果敢な傭兵たちは、他の傭兵団に籍を移し、腕のいい職人は去っていった。

 それでも、ジェスターを中心とした、餓剣旅団に恩義がある実力者がまとまることで、なんとかここまで盛り返すことができた。慣れない陣借りも多くした。時には、かつてのライバルに頭を下げて物資を融通してもらった。

 最古参ながら常に裏方に回り、適切な支援をし続けてくれたマルコ、ここ数年で一気に頭角を現し、汚い仕事も何食わぬ顔でこなしてくれたボルドー、そして餓剣旅団の現状を聞きつけ、他の傭兵団から出戻りしてくれたエルメリア。3人がいなければ決してここまで来ることは出来なかった。


 ジェスターは目頭が熱くなるのを感じていた。


 そこに来た、暗黒大陸傭兵派遣の話。天啓だとすら思った。この暗黒大陸でアンガス丘陵での屈辱を晴らすような武功を立てれば、一気に餓剣旅団を再び大規模傭兵団として返り咲くことが出来る。そしてこれを期待するかのように、かつてのお得意様からも、とある依頼がきている。この依頼を達成することで、支援を受けられるという話だ。支援を受けられれば、装備が充実し、さらに武功を立てることが容易である。正に勝利への一本道。そのために、今いる300人から選抜した30人を連れてきたのだ。最初の一歩、絶対に失敗するわけにはいかないのである。


 そんなことを思い返しながら、ジェスターはその意識を深い沼に落とし込んだ。



――――ガコン


 ジェスターは身体に感じた大きな揺れによって、意識を強制的に引き上げられた。


「あら、団長が起きたわよ!」

 エルメリアの声に微睡から抜け出し、辺りを見回した。

 あの気持ち悪い暑さはいつの間にか消えており、団員達は荷物をどこかに運んでいた。


「もう.....着いたのか?」

 確か到着は2日後だった気がするが、と思いながらジェスターはエルメリアに問うた。


「なんだか、予定より早く着いたらしいの」

 エルメリアが嬉しそうに言っているのを見て、なるほどと納得し、その思考を打ち切った。団員達が働いているのだ、いつまでも休んでいるわけにもいかないだろう。


「手伝おう」

 そう言いながら立ち上がる。右手に重みを感じ、そのまま右手を上げると、酒瓶を握りこんでいたようだ。酒瓶との手の間に熱を感じる、かなり長い間握っていたらしい。


「......寝ている間、ずっと握りこんでいたぞ」

 荷物を両手で抱えたボルドーが、そう言いながら、通り過ぎていく。


「フッ」

 少し笑ったジェスターは、酒瓶を手近な木箱の上に転がすと、荷物を運ぶべく木箱の森に入っていった。


 酒瓶の中、酒が出口を求めるように波立っていた。

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