第1話 クロノスの針-1
ルーン機関の発明。それが歴史上どれほどの価値があっただろうか。概して、歴史上の価値と言うのは、その後の歴史によって上下するものであるが、ルーン機関の発明に関していうのであれば、100人中100人が大きな価値を持っていると答えるほどのものであった。
まず、ルーン機関がなんであるかを説明するためには、ルーン技術が何であるかを説明しなければならない。
主に火山地帯で産出される、マナを内包した特殊な鉱石、流体琥珀に、ルーンと呼ばれる紋様を刻み込む。そうすることで、流体琥珀は内部のマナを消費しながら紋様に対応した影響を周囲に及ぼす。
出来ることと言えば、一定方向に力を発生させる。光を発生させる。などなど、それ流体琥珀によって出力は変動するし、いくら大きなものでもそれ単体では、大したことはできない。
しかし、ここにルーン機関を装着することによって、流体琥珀から発せられる力を増幅することができる。つまり端的に言えば、ルーン機関とは歯車のようなものである。流体琥珀は疲れをしらない。ルーン機関の登場によって、流体琥珀は人間を越えたのである。
ルーン機関がシーマ魔術王国で発明され、その有用性に世界が気付いた時、生活環境は一変した。
例えば、生活。馬油や鯨油、植物油に代わる新たな光源として、ルーンランプが誕生した。従来の光源に比べて、安価に製造でき長持ちする。ルーンランプにより、人々は夜遅くまで活動することが容易になった。つまり労働に充てる時間が単純に増えたことを意味するが、それよりも、家内制手工業が発達したことが何よりも大きい恩恵だろう。家内制手工業、生産者とその家族が生産に必要な物を直接所有している工業形態の事を指す。服などの生活雑貨が主に生産されるが、生産人口が増えたことで、単純な生産量もそうだが、なによりも質が高い物が生産されることとなった。
例えば、交通。馬に車を引かせる馬車、トカゲを巨大化させたような鈍竜に車を引かせた竜車に代わり、自動で動く車輪を備えた車、ルーン自動車が誕生した。従来の馬車や竜車よりも、速く長い距離を進むことが出来る。その性能は馬3頭分、鈍竜の4頭分。しかし、流体琥珀があれば製造したその日の内から使うことができること、食事や世話などに対して一切のコストがかからない点を合わせれば、馬3頭分、鈍竜4頭分以上の価値があることは明らかだろう。しかし、大型の流体琥珀を必要とするため、一部の大貴族や大商人、軍など、限られた範囲でしか普及していないが、馬肉や馬油の価格が下落した事を考えれば、搭載量という意味で差別化のできない馬車が、その立場を奪われつつあることは明らかだろう。
例えば戦争。小石や釘などを超高速で飛ばす兵器、ルーンボウが誕生した。それまでの戦争では、長距離攻撃は弓と魔術士が担っていたが、魔術士は単純にその数が少ないため、弓が主な攻撃手段であった。しかし、ルーンボウは、弓より威力で大幅に勝り、連射速度で魔術士に大幅に勝る。つまり、弓を防げる防具を装着したルーンボウ兵がいれば、弓と魔術士両方を圧倒すことができるのだ。逆に機動力を上げることで、敵に先制攻撃を加えるルーンボウという運用もある。ルーンボウの登場により、従来の戦術は大幅に見直されることとなる。それまで、戦場の華であった騎士は、如何にルーンボウから味方を守り、相手のルーンボウまでの道筋をつけるかが求められるようになったのだ。つまり、戦場の主役はルーンボウに成り代わられてしまったのだ。
しかし、なによりも世界が広がったことがルーン機関の発明の功労であろう。ルーン動船である。それまでの帆船と比べ、多くの荷物を詰められる巨大な船体、長い航行距離、大きな動力に支えられた鋼鉄の船体による嵐に負けない強靭さ。そのため、今までのよりも遠くに、大量の物資を、大量の人員を一度に運搬することができるようになった。このことがもたらした効果は大きく、暗黒大陸の開拓は、正しくルーン技術の発見に支えられていると言ってもいいかもしれない。
ラ・ワンダ号、全長40メートルを誇る、テンリブ連合の国有船の船の中の一隻だ。当時としては、かなり大型となる船は、他の大型船と同じく、"運ぶ"という一点に絞って設計されている。内部は、余分な壁を作って重量を増さないよう、大きな1つの空間となっている。そして、船体の中央には推進力を得るための巨大な水車が2基搭載されており、また、嵐などの強風の際になるべく風を受けないように、その全体はのっぺりとした平面で構成されている。
そんな見た目から連想してか、当時の航海士たちは、これらのルーン動船を揶揄して、"動く棺桶"と呼んでいた。
実際その内部の環境はかなり劣悪なものであった。流体琥珀から生まれた力を水車に伝えるルーン機関が鉄の壁と擦れて発生する気持ちの悪い音が鋼鉄の部屋の中に反響し、常に大音量で鳴り響く。これだけでも充分だというのに、追い打ちをかけるようにルーン機関が発生させる熱と、どこからか入ってくる海水によって、室内はさながら蒸し風呂のような状態なのだ。
テンリブ連合を出発してから早10日、地獄の航海はあと2日という状況だが、船内にいる傭兵たちはもはや全く動かず、正しく生気を失っているようだった。時折、人影が動き、水筒か何かを口に運ぶ動作をするが、しかしその中身も生ぬるい温度を持っており、口に入れても気持ち悪さが残るだけだった。そして多くの食料は、少なからず海水を吸っており、何かを食べてもただただ喉が渇くだけでの悪循環だった。
「おいボルドー......」
目の下に隈を作った男が隣の男に向かって、言葉を紡いだ。
「......?」
ボルドーと呼ばれた隣の男は、目の下に隈を作った男の方向に無言で振り向き、耳に詰めていた、耳栓替わりの布を引き抜いた。
「マルコとエリメリアを呼んで来てくれ。最後の確認をしよう」
目の下に隈を作った男は、そう言って、自分が背もたれにしている木箱を叩いた。
「わかった」
ボルドーは短く返事をすると、のそりと立ち上がり、木箱の裏側に消えていった。
「お待たせしました、ジェスター団長。暑いでしょう、少し飲みませんか?」
青みがかった黒髪を角刈りにした大柄な男、マルコがのそりと木箱の裏側から現れた。手には、酒瓶を持っている。気の利く男だ。だがその中身があのぬるい液体だと思うと、その価値は無いに等しいだ。
「おいおい、こんな沼地と砂漠の悪いところだけを取り出したような場所で、飲もうと思うか?」
その言葉に、マルコはただただ苦笑いするだけだった。
「それよりも、ボルドーと、エリメリアは?」
大方、大柄のマルコの後ろにいるだろうと思ったが、確認の意味も込めてボルドーに向けて言葉を発した。
「ハ~イ、呼んだ~?」
「......?」
その問いに反応するように、踊り子のような服装をした女エルメリアと、無言の男ボルドーがマルコの背後から顔を出した。
「いきなり呼び出して悪かったな。絶対に飲もうとは思わないだろうが、まあ、飲みながらやろう」
ジェスターの言葉に3人が腰を落とし、誰も飲もうとしない酒瓶を囲むように四角形に座った。
「ジェスターさん、お話があると聞きしました」
マルコのその頭体に似合わない丁寧な言葉遣いには、未だに違和感を覚えるジェスターであったが、癖なのでと苦笑交じりに困ったように言われてしまえば、それで納得するほかない。マルコはこの中では一番最も昔から餓剣旅団にいるのだから、もう少し威張ってもいいのではとジェスターは同時に思うが、それもマルコの美徳なのだと思い、話を進めることにした。
「あぁ。そうだな。いくつか話すことはあるが......まずは、他はどうしてる?」
ここにお集まった4人は、今回参加する餓剣旅団30人余りをまとめる立場の者達だ。ジェスターを除く3人が10人を預かっている形だ。
「......問題ない、とは言えないが、陸について数日休めば問題ない」
最初に言ったのはボルドーだ。主に奇襲を得意とする彼の部下は、過酷環境でも耐えられる訓練を積んでいる者達だ。そして、ボルドー自身もそういった訓練を人一倍積んでいる。
「それほどのものですか。私が預かる者達は、今にも死にそうですよ」
「えぇ、こっちも同じ感じよ?」
ボルドーの部下ですらも耐えられなかったこの状況に、2人は驚きを隠せないようだった。ジェスター自身も驚きを隠せないでいた。実際、ボルドーの部下はいつも過酷な依頼を何一つこなしてきたのだから、2人の反応は当然ともいえる。
「まあ、それはどこでも同じ感じだろうな」
しかし、ジェスターが考えるように、この船に乗っている者達全員が、同じような状況であるため、餓剣旅団だけが取り残されるという状況ではないことが唯一の救いと言えるかもしれない。
「それで、持ってきた物はどういう状況だ?」
続けるように、物に関する質問をするジェスター。物資に関しては、マメな正確の、マルコが管理している。
「はい。武器や防具は各自預かりですから、私から言うべきではないでしょうが、食料が潮水を被ってしまったことが少し問題かもしれませんね。乾燥させた保存食の類が使い物にならなくなってしまいましたが、その他は.......塩漬けの塩味が強くなったくらいですね」
マルコの答えに、エルメリアが反応を示す。
「あら、それはよかったじゃない。他の所、乾燥系のモノを持ってきたところは、全滅だって嘆いていたわよ」
彼女は、主に情報収集の仕事を専門としている。常に情報の網を張り続け、こういった些細な情報も確実につかんでいてくれることに、ジェスターを含め餓剣旅団の全員が感謝していた。
今回も彼女の情報収集の結果は正しかった。内陸の街、レンディムを中心として活動している傭兵達の中には、そもそも海というものを知らないものが多かった。少数、船に乗った経験がある者達もいたが、そんな彼らでも長距離の航海というのは今回が初めての経験であった。故に、長距離の航海に適さない物を選んでしまったものが多かった。幸いにして餓剣旅団は、ジェスターの判断で種類を多くすることで対応したため、全滅という大惨事は回避されることとなったのである。
「そうか。暗黒大陸に着いてから、ほぼ予定通りに動き出すことができそうだな」
3人の情報を聞いたジェスターは判断し、決断した。
「......やるんだな」
静かに問うボルドー。ボルドーの激しい反対をジェスターは思い出しながら、しかし、静かに頷くことを返答とした。
「......そうか」
そう言って、ボルドーは黙ってしまう。しかし、3人はこれをボルドーが覚悟を決めた時に見せる表情だと知っていた。
「依頼の再確認をしよう」
向かい合って座る3人をジェスターは見回す。ボルドーはもちろんだが、マルコもエルメリアも覚悟を決めたように、その雰囲気は静かながら洗練された、戦場に立った時のような物となっていた。
それらに安心感を感じながら、ジェスターはゆっくりと話し始めた
「依頼主は言えないが、某大貴族だ」
それに対して、ボルドーが表情を隠すように、少し視線を落とした。
「内容は、不死兵団の殲滅だ」
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