第11話 アクロバティックサラサラ

 奇妙なものを見た。

 恐らく女だ。

 暗い赤のワンピースを身にまとい、同色のつばの広い帽子を被っている。


 夕暮れる帰り道。

 普段ならただ通り過ぎる路地裏のその奥に、奇妙に傾いだ姿勢で立ち尽くしている。

 ぞろりと伸ばした黒髪が俯き気味の顔にかかり、表情は伺えない。


 と表現したのは、姿勢を正せばその背丈が、およそ190cmを越えるほどに見えたからだ。

 身にまとう暗い赤もワンピースなどではなく、貫頭衣のようなものかも知れない。

 どこかコスプレめいた作り物感――いや、幼児が描いたラクガキをそのまま立体に起こしたような違和感を感じる。

 ワンピースの袖から伸びる左手には、無数の切り傷の痕。

 薄暗がりに紛れそうな暗い赤もあずき色などではなく、乾いた血の色のように思えた。


 関わり合いになるべきではない。

 そう判断した私が視線を外し路地を横切る瞬間、生暖かいビル風が吹き抜る。


 奇妙な姿に似つかわしくないほど、さらさらと軽やかに流れる黒髪の間に、それの素顔が覗いた。

 戯画めいた笑みの形を作る口は耳元まで裂け、針のように細い歯が生え揃っている。

 大きく見開かれた目は洞のような漆黒で、眼球が存在しない。だが私は、確かにそれの視線が絡み付く感覚を覚えた。


「――ッ!?」


 声にならない悲鳴を上げ立ちすくむ私を、部活帰りの中学生の群れが、怪訝そうな顔で眺め追い越して行く。

 瞬きほどの僅かな時間で、それの姿は路地裏から消えていた。


 その時から、私はその女の姿を度々目にする事となった。

 帰宅のルートを変え、同僚に頼み込み、退勤時間をずらしてみても意味はなかった。


 ある時は雑居ビルの非常階段で。

 ある時は民家の屋根の上で。

 赤い服の女は奇怪な動きで髪を振り乱し、その度に私はそれの歪んだ笑顔を見てしまう。


 遭遇時間も黄昏時たそがれどきだけではない。

 真っ昼間の4車線道路。私を乗せ走るバスに、赤い服の女が踊りながら走り寄ることもあった。

 それがダンプに突っ込むのを確かに目にしたはずなのに、振り返る路上には何の痕跡もない。狂喜まじりの悲鳴を上げた私が、ほかの乗客に胡乱な眼差しを向けられるだけだった。


 どうやら他の人には見えていないらしい。

 職場の向かいのビルの窓に、ヤモリのようにへばり付くそれの姿を目にして以来、私はアパートに籠り、一歩も外に出れずにいる。


 アクロバティックサラサラ。通称悪皿あくさら


 頭から毛布を被り検索を続けるスマホ画面には、飛び降り自殺を果たした妊婦の霊をほのめかすオカルトサイトの記事が映し出されている。

 だけども肝心の、それを退ける方法や、それを回避した記述は見つかりはしない。


「役に立たない三文記事書いてるんじゃないわよ、このクソライター!!」


 スマホをし折りたい衝動を抑え、バッテリーが切れかかっているのに気付いた私は、もぞもぞと毛布から顔を出した。


 いつの間にか日は落ち掛かっている。

 あれを初めて見たのと同じような、よどんだ赤に室内が染まっている。

 慌てて遮光カーテンを引こうと窓に近寄る私は、窓枠の上方からぞろりと伸びるものを見てしまった。


 生暖かい風にさらさらと揺れる黒髪。

 ここは3階だが関係ない。現にあれがビルの壁面に張り付いている場面も目にしているのだから。

 窓にべたりと付けられた右手のひらで、私は赤い服の女がアパートの外壁に張り付き、部屋を覗き込んでいるのだと知った。


 逆光のおかげで、赤い服の女の顔は伺えない。

 けれど影絵のままでも、それのからっぽの眼窩が私に向けられていることだけは、はっきりと理解できた。


「……あ……あ……」

「ズズチャチャズズチャ、ズズチャチャズズチャ――」


 私のあげた絶望の呻きは悲鳴に変わる前に、張りのあるバリトンのボイスパーカッションに掻き消された。

 窓枠の左手側から、びっちり決めたリーゼント頭にボルサリーノを載せた男が、ムーンウォークで登場する。影絵のままでも、何故だか男の着るのが染みひとつない白のジャケットだと知れる。


「ポ――――ゥ!!」


 長い手足を振り動かす男の奇声で、私は彼がマイケル・ジャクソンのビリー・ジーンの振りを踊っているのだと気付く。


 赤い服の女がギリギリと首を回し、男に顔を向ける気配がする。

 威嚇するように上げられた――私から見ると下げられただが――赤い服の女の手に合わせ、男も振りを変化させる。

 これは――スリラー?


 赤い服の女の奇怪な動きに合わせ、男のマイケル・メドレーは続く。

 次第に息の合った動きを見せ始める二つの影。


「ジャストゥテルヨーワンサゲイン! フーズバッド!?」


 偶然なのか必然なのか。

 白い服の男と赤い服の女は、メドレーの終了と共に絡み合うように窓枠の下方に消えた。


「えっ……ちょ!?」


 影絵のダンスショーをぼんやり眺めていた私は正気に戻り、慌てて窓を開け確認する。

 窓の下の植え込みに乱れはなく、アパート前のアスファルト敷きの駐車場にも何の痕跡も見付からなかった。


「なに……いったい誰なのよ……?」


 カズマです! 


 陽の落ちた街のどこかから、白い歯を見せキメ顔で名乗る男の声が聞こえた気がした。

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怪談ジゴロ 藤村灯 @fujimura

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