第3話 カシマさん
長年の夢が叶い、4Pの特集記事を任されることになった。
オカルト専門雑誌、『月刊ミー』。オカルト女子だった私が、小学生の頃から読んでいた憧れの雑誌に、投稿ではなく、顕名で記事を書くことになったのは訳がある。予定されていた先輩ライターが穴を開けたから――ありていに言えば代原だ。
先輩は優秀なライターだったが、取材対象にのめり込み過ぎるきらいがあった。いわゆるビリーバー。信じている事を記事にするからこその凄みが感じられる仕事ばかりだったが、今回は少々度が過ぎ、裏目に出てしまったらしい。取材途中で事故に遭遇し、現在病院で静養している。
指定された題材はカシマさん。新しい読者を見込んでの、有名な都市伝説の再検証シリーズの一つだ。
先輩と違い、私はオカルトをフィクションとして楽しんでいる。……いや、それも正確ではない。現実と虚構とのあわいに揺蕩う、独特な浮遊感。それを書き手として読者に楽しんで貰うためには、一歩引いた冷静な視線が必要だと心得ているだけだ。
カシマさんには類話や派生が多く見られる。『カシマレイコ』、『カシマユウコ』、『カシマキイロ』に『仮死魔殺子』、『カシマくん』という少年の姿も見られ、最も古いと考えられている札幌に流れた話では、『化神魔サマ』と、どこか中二病めいたものを感じさせる。
身体の一部を欠損し、遭遇したものにそれを求めるものが基本形だが、最も悍ましいのは、手足と頭部を無くした、胴体のみの血塗れの肉塊の姿だろう。音の連想で鹿島神宮や地名、時にはカヤマに転じてリカちゃん人形のイメージを取り込んだものまである。
難病で聴力・視力を失い自殺した女性。手を失い夢を奪われたピアニスト。片足を無くし絶望したバレリーナ。轢死した女性――これは、テケテケの正体としても語られる――。旧日本軍の兵士。妄想にとり憑かれた狂人。etc.etc.
伝えられる生まれも様々なら、語られる縁の地も各地に存在する。
私が注目したのは伝説発祥の地北海道札幌市と、『鹿島さん』の話で明確な地名が示される、兵庫県加古川市だった。編集部が用意してくれる僅かな経費では、札幌での取材などとてもじゃないが覚束ない。必然的に、消去法で兵庫へ向かうことになった。
伝わる話は終戦直後の物とされる。聞き込みが出来るわけでもなく、厳密には現地取材でもない。今回はイメージに近い沿線の風景と、加古川市と高砂市の間に位置する鹿島神社をカメラに収めることが主な目的だ。学生時代、写真を趣味にしていた私は、簡単な撮影なら一人でこなすことが出来る。
日が落ちるのを待ち、線路の写真を撮っていた私は、不意に何かの気配を感じ振り向いた。線路沿いの細い道に人の姿はない。
黄昏時。逢魔が時とも呼ばれるそれは、人の顔かたちが見分けにくく、人ではないものが紛れ込む時間だという。ビリーバーではない私でも、こんな瞬間には、何かこの世のものではない存在と出会うのではないかという妄想にとり憑かれそうになる。
電柱の影で何かが動いた。
猫だろうか? それにしては大きすぎるような気がする。
凝視していると、それは徐々に影から這い出してきた。
異様なフォルム。
なんだこれは。
まるで、手足が無く、頭部を失った人の身体のような――
「……カシマさん、カシマさん、カシマさん…………」
目を逸らせぬまま、半ば無意識の呟きが漏れる。
次の瞬きの後には、怪しい影は夕闇の中に溶け込み、見分けが付かなくなっていた。
少し疲れているようだ。初めての大仕事で、気を張り過ぎていたのかもしれない。
夜の鹿島神社の撮影を手早く済ませると、私はタクシーを止め、手配していたビジネスホテルへと向かった。
シャワーを浴び、コンビニで買ったサラダと発泡酒で簡単な夕食を済ませる。今日中に上げるつもりだった草稿は諦め、ベッドに潜り込んだ。
寝苦しい。空調の効きが悪いのだろうか。何度も寝返りを打つ。
夢とも現とも分からぬまま、私はベッドの足元にわだかまる気配を感じた。
ぎしりというベットの響きと共に、足に体重が掛かる。
暴漢だろうか。鍵はちゃんと掛けたはず。
声を上げなければ。
動かぬ身体に焦る頭の片隅で、私は来訪者の正体に気付いていた。
カシマさん。
顔の右半分は焼けただれ、整った半面には狂わんばかりの怒りと憎しみが浮かんでいる。
左手だけでシーツを掴み、身体を擦り上げる。
白いシーツを炭の黒と血の赤で彩りながら、私の顔へと這い上がってくる。
半ば闇に沈んで見えないが、重さからして恐らく下半身は存在しない。
三度名を呼ぶ。問いには正確に答える。名前の意味を答える場合は――
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」
冷静に対処しようと務める私の思考は、カシマさんの喉から漏れる叫びにかき乱された。
「う、あ……か……カ、カシマのカは――――」
「カズマですッ!! フッフゥ~~ッ!!!」
必死になって思い出そうとしていた退去の呪文は、不意に響いた男の声ではるか彼方へ吹っ飛んだ。
声の主は枕もとに立つジャケット姿の男。濃いサングラスで目元を隠し、胸ポケットから取り出した櫛でリーゼントの髪を撫で付けている。
「だ……誰!!?」
気付けば声も出せるし身体も動かせるようになっている。
でも、それどころじゃない。一体どこから入った? いつからそこにいた?
慌てふためきシーツで胸元を隠す私に構わず、カズマと名乗る男は屈みこみ、カシマさんに顔を近づけ囁いた。
「カシマのカは可憐な仕草。シはシトラスの香りオゥイェー。マはマシュマロの肌――」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」
一瞬不意を突かれ、叫ぶことを忘れていたカシマさんが、カズマの低く甘い囁きをかき消すように声を張り上げる。
「レイは玲瓏な声カモンベイベー! コは困った仔猫ちゃんだぜ、まったく」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”……あん❤」
いたずらっぽくカズマに鼻をつつかれ、カシマさんは意外に可愛い声を漏らした。
「!!?」
どこか居心地の悪い奇妙な沈黙が続いた後、微かに頬を染めたカシマさんは、フィルムを逆回ししたようにベットを下り闇へ消えた。
「やれやれ。大人の夜を楽しむには、少しばかり早すぎたかな?」
肩をすくめ苦笑すると、カズマは呆然とする私を残し踵を返す。
「ちょ……待って待って! あなた誰? 何者なの!?」
「カズマです!!」
苦み走った笑みを浮かべ、立てた2本の指で別れの挨拶を投げると、カズマは部屋を後にした。
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