怒れる姉さんを止めて
どうして姉さんがここに? 一瞬そう思ったけど、今日は帰るのが少し遅れたから、ちょうど帰宅時間が重なったのだろう。
って、問題なのはそんな事じゃない。姉さん、今にも人を殺せそうな鋭い目を、犬塚君に向けている。これは放っておいたら、大変な事になってしまいそう。
そしてそう思ったのは僕だけではなかった。よく見ると姉さんの後ろには基山さんもいて、慌てたように怒った姉さんを止めようとする。
「水城さん、相手は小学生なんだから、穏便にしてね」
弱々しい声で、一応注意をする基山さん。
ここで腕を掴まれて呆気にとられていた犬塚くんも事態を飲み込んだらしく、掴んでいた僕の胸ぐらから手を放し、姉さんの手も振り払う。
「な、なんだよ、水城の姉ちゃんかよ? ひ、卑怯だぞ、ケンカに高校生を使うだなんて」
若干声が震えていて、怖がっている事がバレバレだけど、形だけでも強気な態度をとろうとする犬塚君。
だけどこれがいけなかった。怒っている姉さんは、今の犬塚君の発言を聞き逃さなかった。
「ケンカ……アンタ今、ケンカって言った? 八雲と、ケンカするつもりだったの?」
「そ、そうだよ。悪いかよ」
「それじゃあ、やっぱり八雲を殴ろうとしてたの? 優しくて可愛い、私の弟に……」
あ、マズイ!
それはまるで、凍りつくような冷たい声。慌てて犬塚君に逃げてって言おうとしたけれど、すでに手遅れだった。
「アンタ! 人の弟に何してくれるの!」
「ひぃっ!」
目をつり上げ、さっきとはうって変わって、空気を震わせるような鋭い声をあげる姉さん。
あ、近くにいた鳥や猫が逃げ出した。どうやら皆怒気に当てられて、恐れをなしたらしい。そしてそれは犬塚くんも同じ。さっきまでの強気な態度はどこへやら。その表情は引きつっていて、足がすくんでいるのがわかる。
拳を振り上げて、大人げなく犬塚君に掴みかかろうとする姉さん。だけど基山さんが、瞬時に後ろから羽交い絞めにしてそれを阻止する。
「水城さん落ち着いて!」
「放して基山! 八雲が殴られそうになったのよ。その罪は万死に値するわ!」
「そんな無茶苦茶な。暴力未遂で死刑っておかしいじゃない!」
「そんな事無いわよ! おかしいのは八雲を殴ろうとしたその子の方じゃない!」
いや、おかしいのはどう考えても姉さんだから。殴られそうになった本人である僕が言うのもなんだけど、それじゃあいくら何でも、犬塚君が可愛そうだ。
基山さんが必死になって止めているけど、この調子じゃいつまでもつか分からない。基山さん、女子が苦手なのに、こんな風に体を張って止めたりして大丈夫かなあ? 心なしか顔色が悪そうだし、もしかしたらこれは長くはもたないかも。
「水城さん、お願いだから一旦抑えて。まずは話を聞かないと。八雲、いったい何があったか、教えてくれない?」
「はい。基山さん、実は……」
姉さんを止める手を緩めて、尋ねてくる基山さん。だいぶ拗れちゃったけど、きちんと事情を説明したら、きっと丸く収まるだろう。
だけどこの時、僕は少し出遅れてしまっていた。僕が喋る前に、竹下さんが際に話し始めてしまったのである。
「八雲くんが犬塚くん……その子を花火大会に誘ったら、いきなり怒りだして殴ろうとしたんです! 八雲くん、何も悪いことしてないのに!」
……竹下さん、普段は聞き上手なのに、どうしてこういう時だけ、先に喋っちゃうの?
今の説明は、間違っていない。間違ってはいないけど、非常にマズい気がする。すると話を着た姉さんは、案の定ますます怒りを露にする。
「そう……せっかくの八雲の誘いを断って……理不尽に殴ろうとしたと。そういうわけね、恋ちゃん」
「はい、そうです!」
「よーくわかったわ。アンタ…………覚悟はできてるわね!」
「ひいっ⁉」
犬塚君が悲鳴を上げる。
早く逃げて。そう言おうとしたけど、様子を見る限りそれは難しいだろう。何せ犬塚君は姉さんの余りの恐ろしさに、腰を抜かしてしまっているのだ。
そんな犬塚君に、一歩ずつ迫る姉さん。いけない、本気で殴るつもりだ!
「ま、水城さん! ちょっと待って!」
腕を振り上げる姉さんを後ろから抑え、慌てて止める基山さん。女子アレルギーのはずなのに、もはやそんな事を気にする余裕もないのだろう。
「放して基山! ちょっとコイツに、教育的指導を行うだけだから!」
「水城さんのちょっとは信用できない!そんなこと言って、本当は凄いボコボコにするつもりなんじゃ?」
「当然よ!二度と悪さをしようなんて思わなくなるくらい、徹底的に痛みつけてやるわ!」
言いきっちゃった! でも、さすがにそれはマズイよ。犬塚くんは青い顔して言葉を無くしちゃってるし。
「い、犬塚くん。姉さんは冗談で言ってるだけだから、気にしないで」
「八雲、それは違うよ。八雲が絡んだ時の水城さんは歯止めがきかない。本気でその子をボコボコにするつもりだよ。こうなった水城さんには、常識なんて通用しないんだから。今日だって学校で、本気で僕にイスを降り下ろそうとしてきたんだから」
姉さん、学校で何をやってるの⁉ この場を治めることも大事だけど、そっちの方も気になるよ! また基山さんに迷惑を掛けたのではないかと思えてきて、考え出すと気が気じゃない。
「放して基山!でないと無理やり触られたとか、大声であること無いこと叫ぶわよ!」
「ーーッ!?それは止めて!」
頑張って姉さんを止めていてくれた基山さんだったけど、これには慌てて手を放した。こんなくだらない事で無実の罪を背負わされたくないだろうから、気持ちはよく分かります。
だけどその結果、姉さんは解放される。こうなるともうだれにも止められない。まるで檻から解き放たれた猛獣のような目をしながら、犬塚くんに詰め寄って行った。
「覚悟は……できてるわね?」
「ひいっ⁉」
もはや威勢の欠片も残っていない犬塚君。可哀想に震えているよ。普通なら相手のこんな姿を見ると、怒る気をそがれるものだけど、姉さんはそんなことなんて無かった。依然眉を吊り上げたまま、鬼のような形相をしている。
「姉さん、くれぐれもお手柔らかにね。犬塚君に、トラウマを植え付けないであげてね」
「できるだけそうしてみるわ。この子が勝手に怖がる分までは、責任持てないけど」
本当に大丈夫かなあ? なんだか全然安心できないんだけど。
良し、それじゃあ竹下さんだ。竹下さんが止めてって言ってくれれば、姉さんだって早々酷い事は出来ないはず。
竹下さん、君が最後の希望だよ。そうして期待を込めながら、竹下さんに目を向けたのだけど……
「皐月さん、凛としてて格好良いです……」
……竹下さん、君もですか。
なぜか竹下さんは、姉さんに見とれてしまっていた。アレを恰好良いだなんて、竹下さんの感覚は、時々分からなくなってしまうなあ。
凛としていると言うか、僕には我を忘れて怒っているとしか思えないんだけどなあ。
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