エピローグ2 告白

 突然の申し出に、キョトンとした様子の水城さん。だけどちゃんと足を止めてこっちを振り返ってくれる。


「何よ、話って」


 良かった。とりあえず『また後で』とか言われてスルーされなかった事にホッとする。バカらしい心配をしているような気もするけど、相手は水城さんだ。十分に可能性はあったからねえ。

 僕は掴んでいた手を放し、真っ直ぐに彼女と目を合わせる。この前は上手く伝わらなかったけど、今度は…今度こそはちゃんと、好きだって言うんだ。


「あの、基山さん。今から言うんですか?」


 少し呆れた様子の八雲。無理もないか、ここは人通りの多い町のど真ん中。そんな場所で、片手に圧力鍋を抱えたまま告白するなんて、どう考えてもおかしな状況である。


 だけど…


「お願い、よく聞いて…」


 今度こそ…


「僕は…」


 伝えるんだ…


「水城さんの事が…」


 この気持ちを―――


「す…」

「ああ―――ッ!」


 好きです。そう口にしようとした瞬間、水城さんの叫びにも似た声によってそれを阻まれた。


「ちょっと姉さん。今基山さんが大事な話をしてるんだから」


 八雲が慌てたように注意する。一方告白をかき消された僕はというと、事態を飲み込めずにポカンとするばかり。


「悪かったわよ。でも、その話また後でいい?どうしても今からやらなきゃならない事があるの」

「やらなきゃならない事って?」


 思わず聞き返してしまったけど、それで何かのスイッチが入ったようで、とたんよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに目を輝かせてくる。


「それが聞いてよ。今日夕方からタイムセールがあったの、すっかり忘れていたわ。牛乳一パックが148円、卵が89円よ。これは行かない手は無いわね」


 そう言って水城さんは踵を返す。って、ちょっと待ってよ、僕の告白はどうなるの?


「水城さん、僕の話はまだ…」

「ああ、うん。ごめん、それはまた後でいい?」

「えっ……だ、ダメ!」


 思わず水城さんの両肩をがっしりと掴む。女子アレルギーなんて気にしちゃいられない。せっかく意を決したんだ、ここで伝えられないなんて嫌だ!


「ちょっと基山、急いでるんだって」

「それでもちょっと、ちょっとだけ待って!大丈夫、すぐ終わるから!」

「そうだよ姉さん!基山さんと牛乳どっちが大事なの?」


 ありがたい事に八雲もボクの味方をしてくれた。ありがとう、本当にありがとう。

 お願い水城さん、ちゃんと僕の告白を聞いて……


「今は基山よりも牛乳の方が大事!」


 瞬間、頭を殴られたような強いショックを受け、掴んでいた肩を放す。

 そんな、僕は牛乳以下の男なのか。まるで告白する前から「ごめんなさい」と言われた気分だ。


「ごめんね。だけど今は売り切れないうちにスーパーに行く事が最優先なの。二人は、先に帰っていても良いから。それじゃあ、急ぐから」


 そう言い残して、水城さんは背を向けて去って行く。

 そんな、せっかく勇気を出したのに。一分前のスル―されなくて良かったと安心したのは何だったの?


 しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、水城さんの背中はどんどん小さくなっていき、やがて人込みに紛れてしまう。もしも今から追いかけてその手を取ったとしても、話ちゃんと話をいてくれるとは到底思えない。

 ああ、本当に見えなくなっちゃった。残された僕と八雲は、互いに疲れた様子で顔を見合わせる。


「姉さんが、本当に失礼なことをして申し訳ありません」

「いや、いいよ。どうせ告白してもフラれる事は目に見えていたんだ。そうならなくてすんだんだから、むしろこれは幸運と言って良いね。流石水城さん、女神のような人だ」

「基山さん落ち着いて。言ってる事がだんだんおかしくなってきてますよ」


 八雲が言わんとしている事はよく分かる。自分でも喋っていて訳が分からないとは思うよ。

 ああ、結局今回もダメだったか。しかも牛乳を買わなくちゃいけないからって。


「いったいいつになったら、僕の気持ちは伝わるのかなあ」

「だ、大丈夫です。次は、次こそは行けますって。三度目の正直って言うじゃないですか」

「二度あることは三度あるっても言うよね。あまり期待しないでおくよ。所詮水城さんは、僕よりも牛乳の方が大事なんだ」

「そんなこと無いですって。今回は牛乳だけじゃなく、卵も安かったからついそっちを優先してしまっただけですよ」


 それは『だったら仕方がないか』と納得がいくような理由なのだろうか。こんな事で、僕の初恋が実る日は来るのだろうか。いつかちゃんと気持ちを伝たい。そして…そして…


 その血を吸いたい……


「――――ッ⁉」


 一瞬頭をよぎった思考に、思わず動きが止まる。

 僕は今いったい何を考えた?吸いたいって、水城さんの血を?何でそんなことを?


 最初水城さんと会った日、手を切って流れた彼女の血を見て、吸いたいという衝動に駆られたりはした。

 だけど吸血衝動はもう押さえられていたはず。彼女の血を吸った事は二度あるけど、いずれも必要に迫られたから吸ったのであって、意味無く血を吸いたいとは思わなかった。なのに今は何の脈絡も無く、吸いたいと考えてしまった。いったい何故。

 わけが分からずに困惑していると、八雲が心配そうに目を向けてくる。


「本当に大丈夫ですか基山さん、顔色が悪いですよ。姉さんは後で僕がちゃんと叱っておきますから、元気出して下さい」

「う、うん。ありがとう八雲」


 どうやら勘違いをしているようだけど、考えている事を悟られないよう話を合わせる。話したところで僕自身なぜこんな事を考えたのかが分からないのだ。下手なことを言って不安がらせることは無い。


「先に帰っておこう。早くしないと、遅くなるしね」

「そうですね」


 急いで話を切り上げたけど八雲は不審がる様子も無く、僕らは再び歩き出す。だけどその間も、僕の心中は穏やかではなかった。


 さっきのは本の気の迷いだ。僕が好きなのは水城さんであって、水城さんの血じゃないんだから。

 そう強く自分に言い聞かせる。しかし、一度感じた違和感は中々拭えない。赤く染まる夕暮れの町を歩きながら、僕は言いようのない不安に襲われるのだった。

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