皐月side

Happy Birthday 1

 コーヒーだけを注文して長々と喋っていたカップルを見送った後、テーブルに残ったカップを片付ける。

 ここは私がバイトしている、『ペンギン』という名の喫茶店。今月の始めに警察に追われたコンビニ強盗が立て籠もった事で変な注目を浴びてしまい、一時期集客が増えたものの、今は前と変わらない落ち着きを取り戻している。もっとも今日は生憎の雨だから客足が少ないけど。


 日曜の昼下がりにしては人影はまばら。カップの乗ったトレイを手にキッチンに戻ると、コーヒーを淹れていた店長が不意に尋ねてきた。


「皐月ちゃん。この後仕事が終わったら、ちょっと残ってもらってても良いかな?」

「え、別に構いませんけど」


 そう答えた後、ふと嫌な予感が頭をよぎった。こんな風にわざわざ仕事後に残すだなんて、今まで無かったことだ。もしかして、何か良くない知らせでもあるのかも。

 あり得ない話ではない。最近の私は仕事にあまり身が入っておらず、度々らしく無いミスをやらかしていた。もしかしたらそのせいで減給、最悪クビもあるのではないかと思うと、背筋が冷たくなる。


(そんな、八雲の為にもっと稼がなきゃいけないのに)


 青い顔をして震え、トレイに乗せているカップがガチャガチャと音を立てる。するとそんな私の心中を察したのか、店長はおかしそうに笑う。


「そう心配しなくても良いよ。何も怒られるわけじゃないんだから、安心して」

「でも、最近失敗が続いていますし」

「誰にでも調子が悪い時くらいあるって。特に皐月ちゃんは、あんな事件があったばかりだからね。やっぱりそんな場所で働いていると、思い出してしまうかい?」

「それは…確かに思い出すことはありますけど…」


 だけど生憎、今の不調と前に起きた事件には何の関係も無いのだ。でも店長はそう思わなかったようで、申し訳なさそうな声を出す。


「良い気持ちはしないだろうけど、辞めずに残ってくれて嬉しいよ」


 私の場合辞めたら本格的に生活がヤバくなっちゃうからね。ちょっと良心が痛むけど、せっかくこう言ってくれてるのだから、余計な事は言うべきでは無いだろう


「とにかくそう言うわけだから、変に気負わないで楽しみにしてると良いよ」

「えっ?はい……」


 最後の『楽しみに』という言葉が気になったけどそれ以上は何も聞かずに、私は仕事に戻っていく。

 鞘との一軒があってからついボーッとしてしまう事が多いけど、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。気を引き締めたおかげか、それともお客が少なかったためかは分からにけど、その後もミスをすることも無く、無事にシフトの時間を終えることができた。


「店長、仕事終わりました」

「ありがとう、それじゃあちょっと着替えて来てくれるかな?」

「あれ、話があるんですよね?」

「あるけど、着替えた後でも良いよ」

「はあ?」


 言われるがままにロッカールームに行き、制服から私服へと着替える。

 それにしても何だか店長はやけに笑っていたような気がする。いったい何を話すのかと考えていたけど、着替え終えてロッカールームを出ると、その答えはすぐに分かった。


「姉さん、お疲れ様」

「八雲?どうしたのよこんな所で?」


 そこにいたのは家で留守番をしていたはずの八雲。いや、それだけでは無かった。


「こんにちは、皐月さん」

「恋ちゃんまで」


 黄金色の髪に青い目をした女の子、彼女は竹下恋ちゃん。前にうちに遊びに来たこともある八雲のクラスメイトで、吸血鬼の女の子なんだけど、やっぱりここにいる理由が分からずに混乱してしまう。

 まさか二人してデート?それだったら大いに喜ばしい事だけど、さすがにそれは無いか。


「皐月さん、今日が誕生日なんでしょね。八雲くんから話を聞いて、私もお祝いしたくて来ました」

「ああ、そういう事」


 それでわざわざ来てくれたのか。今日が誕生日という事を忘れていたわけじゃないけど、こうしてバイト先にまで来てくれたのかと思うと驚き、同時にやっぱり嬉しく思う。


「あの、迷惑じゃなかったでしょうか?」

「何言ってるのよ。凄く嬉しいよ」


 感激して頭を撫でると、恋ちゃんはホッコリとした笑顔を見せてくれて。ああ、この笑顔だけでも十分幸せな気分だ。


「さあ、みんな席に座るといい。他の友達ももう来てるから」

「他の?まだ誰か来てるんですか?」


 すると店長は、店の一角にある大人数用の席を指差した。そこには一体いつの間に来たのか、高校生くらいの一団が席をとっている。と言うかあれは…


「霞!」

「こんにちはさーちゃん。八雲くんから話を聞いて、私も来ちゃった」


 どうやら八雲は手広く声をかけていたらしく、基山や西牟田の姿もある。と、ここまではまだ分かるのだけど、テーブルにつくもう一人の姿を見て思わず固まった。


「…鞘?」

「…よお」


 気まずそうに挨拶をしてくる鞘。

 無理も無いか。この前の夜の公園では状況が状況だったから気にする余裕が無かったけど、私はずっと鞘が女の子だって勘違いしていたのだ。そのわだかまりは簡単には消えず、源にあの夜以来鞘とは口を聞けていなかった。


 どうしよう、かなり気まずい。決して来てほしくなかったと言うわけでなく、私だっていつかもう一度謝ろうと思ってもいたけど、いきなりすぎて言葉が出てこない。と言うか、どうしてここに?八雲とは面識が無いはずだけど。


「笹原には僕から声をかけたんだけど、良かったよね」

「基山が?まあ私は構わないけど」


 鞘の方はどうなのだろう?あんなことがあって、だいぶ怒っていたみたいだったけど、私の誕生日なんて祝いたくないんじゃないだろうか?

 そう心配していると、鞘はそれを察したようにため息をつく。


「そう気を張るんじゃねーよ。過ぎた事をいつまでもグチグチ言ったりしねーから。誕生日くらい素直に祝わせろ」

「鞘がそう言うなら良いけど……本当に怒ってないの?」

「だから構わねーって。それにしても誕生会か、昔もこんな風に祝ってたっけな」

 そう言えばそうだった。私の六歳の誕生日の時は家に鞘を呼んで、母さんを含めた三人でケーキを食べた記憶がある。


「ありがとね、また祝ってくれて」


 そう言って笑顔を作ると、鞘は慌てたようにそっぽを向く。もしかして照れてるのかな?鞘は昔から褒められるとすぐに照れる子だったからなあ。

 そんな事を思い出していると、初対面の八雲がじっと鞘を見つめているのに気が付いた。


「あの、もしか知って鞘さんですか?姉さんと保育園が一緒だったって言う」

「ああ、そうだけど。もしかしてお前、皐月の弟か?悪いな、俺まで勝手に押しかけて」

「いいえ、来てくださってありがとうございます。それよりこの前は、姉さんが大変失礼な事をしたそうですみませんでした」

「お、おう」

「二度とあんな事が無いよう、姉さんには僕からきつく言っておきますね」

「こら八雲!余計な事を言わないっ!」


 慌てて八雲の口を塞ぐと、その様子がよほど可笑しかったのか、鞘がこらえきれずに吹き出してくる。


「できた弟じゃねーか。皐月よりしっかりしてんじゃねーの?」

「うっ…そりゃあ八雲はしっかりしてるけど、私以上って言うのはどうかな?」


 八雲が褒められるのは嬉しいけど、それでも姉の威厳は守りたい。だけどそんな私の思いを踏みにじるかのようなつぶやきが聞こえる。


「確かに。水城さんよりも八雲の方が大人かも」

「ちょっと西牟田っ!」

「ごめん。だけどやっぱりどうしても、ね」

「まあ、あんな事があったからねえ」

「ごめんさーちゃん。フォローできないや」


 基山や霞まで西牟田に乗っかってきた。やはりこの前失態を見せたことがだいぶ響いているようだ。みんなが納得する中、唯一事情を知らない恋ちゃんだけが一人キョトンとしている。


「いったい何があったんですか?」

「それが聞いてよ。姉さんったらね…」

「だから余計な事を言わないでって。ちゃんと反省してるんだから」


 この上恋ちゃんにまで知られたら恥ずかしくて誕生会どころでは無い。強引にこの話題を打ち切り、私達も席へとつく。


「恋ちゃん、窓際に座る?」

「通路側で良いです。あ、八雲くんは霞さんの隣の席ね」

「それは決定事項なんだね」


 各々がジュースのつがれたグラスを手に取り、代表として西牟田が音頭をとる。


「それじゃあ改めまして。水城さん…」

「「「誕生日、おめでとう」」」

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