身勝手な噂 3
時刻はもう少しで午後六時になる。今日はバイトが無かったけれど、霞達クラスの女子と町で遊んでいたから、帰るのが少し遅れてしまった。
本当は早く帰宅して家事でもした方がいいとは思ったけど、たまには遊んでみても良いだろう。何より少しは私も羽を伸ばさないと、八雲が気にしてしまいそうだから。
ちょっと前までの私ならそこまで気が回らずに、とにかく自分がしっかり働かなきゃと思っていたけど、最近では適度に休憩をしないと、見ている方が窮屈に感じてしまうという事もちゃんと理解できるようになった。
さて、そんな訳で八福荘に帰って来たけど、自室である201号室の前を素通りし、お隣の202号室の前に立つ。そう、ここは基山の部屋だ。
インターホンを鳴らすとドアが開き、中から基山が顔を出す。
「お帰り、水城さん」
「ただいま。八雲、お邪魔してる?」
「うん、まだ中にいるよ。入って」
そうして中へと案内してくれる基山。ここを訪れたのは少し前に八雲から、基山の部屋に行くという旨のメールを受け取っていたから。
居間に通されると、そこにはテーブルについて本を読む八雲の姿があった。
「お帰り姉さん」
「ただいま。ちゃんと良い子にしてた?基山に迷惑かけてない?」
「大丈夫だよ、姉さんじゃあるまいし」
どういう意味よ?私がいつ基山に迷惑を掛けたっていうの?
眉間にシワをよせていると、私達の会話を聞いていた基山が苦笑する。
「安心して、本当に八雲は良い子にしていたから。ちょっと待ってて、今お茶を淹れるよ」
「気を使わなくていいよ、すぐに帰るんだから」
「そう言わずに、一杯だけ」
こう言われたら、断る方がかえって失礼だろう。素直に八雲の隣に腰を下ろす。それにしても……
この部屋には初めて入ったけど、案外物が少ない。テーブルとテレビがあるほかは、隅っこに三弾に別れている本棚が置いてあるだけだ。中にはマンガや雑誌などが並んでいる。
(あんまりジロジロ見るのも悪いかな……あれ?)
ふと目が止まる。棚の下段、そこには『知られざる吸血鬼の秘密』『吸血鬼の歩みと繁栄』など、吸血鬼に関する著書が並んでいた。
自分が吸血鬼だから、やっぱり興味があるのだろうか?
だけどわざわざ本なんて読まなくても吸血鬼の家系だそうだから、気になる事があるのならお父さんにでも話を聞けばいいような気もするけど。
そんなことを考えていると、基山がお茶を運んでくる。
「はいどうぞ。何か気になる本でもあった?」
「ああ、うん。ちょっとね。ずいぶん吸血鬼関連の本が多いなって思って」
「ああ、それね。八雲にも同じことを言われたよ」
見ると八雲が手にしている本のタイトルは、『あなたの知らない吸血鬼の世界』。これも吸血鬼の解説本だ。
「僕も吸血鬼について知っておこうと思って。竹下さんとも友達になれたわけだし」
竹下さんというのは、八雲のクラスの可愛い女の子。
その子も吸血鬼で、虐められっ子だったらしいけど。少し前に八雲が家に連れてきて、私も仲良くなったのだ。
「竹下恋ちゃんね。あれからちゃんと虐めっ子から守ってあげられてる?」
「もちろん。最近は虐めていた子もクラスに来なくなったし、竹下さんもよく笑うようになったよ」
「それは良かったわ。今度また家に連れて来なさい。恋ちゃんならいつでも大歓迎だから」
八雲の頭をそっと撫で、続いて基山に目を向ける。
「で、基山はどうしてこれなの本を読んでいるの?こういうのって吸血鬼に対する理解を深めるためのものよね。基山には必要ないんじゃないの?」
「それがそうでもないんだよ。僕は吸血鬼だけど、全てを知っているわけじゃないからね。前にあんな事件があったから、知っておこうかと思って」
「ああ、アレね……」
二人とも自然と声が沈む。ゴールデンウィークに起きた吸血鬼による強盗、立てこもり、誘拐事件。アレはほんとに嫌な事件だった。
けど、思えば私だって吸血鬼の事をよく知っているわけじゃない。吸血鬼に大きな力を与える魔力体質の事も知らなかったし、基山や犯人が使った人間には不可能な様々な術にも驚かされた。特に最後に私を病院に運ぶためにやったアレには、常識が覆された気がした。だって呪文を唱えたかと思うと、空高く舞い上がったんだもの。驚くに決まっている。
「あの時は驚いたわ。貧血を起こした私を抱えて、空を飛ぶんだもの。基山があんな事できるだなんて思わなかったわ」
「あの時はゴメンね、急にあんな事をして。いきなり空を飛んだりしたら、そりゃあ驚く…」
「普段は女の子と目も合わせられない女子アレルギーなのに、抱えてくるとは思わなかったわ」
「そっち⁉空を飛んだ事じゃなくて?」
もちろんそっちもビックリしたけど。まるで背中に羽でも生えたかのように体が浮かび上がって、颯爽と空を舞うんだもの。一昔前まで物語で描かれていた吸血鬼も空を飛ぶこともあったけど、てっきりフィクションだと思っていた。
「考えてみたら私も、吸血鬼について知らない事が多いのかもね。あんな魔法みたいな真似ができるなんて思わなかったし」
「気軽にできるってわけでも無いけどね。あれは水城さんの血を吸ったからできた術だよ」
「私の血ねえ。そんなに凄いものなのかなあ?今一つ実感がわかないんだけど」
何せ吸われさえしなければ普通の血と変わりないのだ。血液型が珍しいわけでも無くて、輸血だって普通にできるはず。
すると今度は、話を聞いていた八雲が口を開く。
「空を飛んだ事には僕も驚きました。吸血鬼と人間の違いなんて、血を吸う事と身体能力が高いことだけだって思っていましたから。けど本にも書いてありましたけど、空を飛ぶ以外にもいろんな術が使えるんですよね」
「まあね。対象となる相手を眠らせる催眠術や、記憶を消すなんて術もあるかな」
「そんなことも?なんだか凄いですね」
「けど、どれも気軽にできるわけじゃないから。術を使うには魔力がいるし、魔力を得るためには血を吸わなくちゃいけない。強力な術なら尚更ね。でも現代ではよほどの事が無い限り血なんて吸わないから、使うことはまず無いよ」
確かに基山が血を吸ったのなんて、私の知る限りでは一度だけ。しかもアレはよほどの事と言って良い非常時だった。
「それじゃあ、空を飛ぶには普通ならどれくらいの血を吸わなくちゃいけないの?私の血なら少量でたりたみたいだけど」
「そうだねえ。吸血時の精神状態によって得られる魔力の量は左右されるから一概には言えないけど、まあ十人くらいから吸えればいけると思う」
「そんなにっ?じゃあ本当に私の血って特別なのね。常人の十倍は効率が良いって事でしょ」
「まあね。でも、だからこそやっぱり心配だよ」
基山が言わんといている事は分かる。私の血を欲しがって近づく吸血鬼がいないかと心配してくれているのだろう。
「まあ大丈夫なんじゃないの?でももし本当に血を欲しがってくる吸血鬼が現れたら、その時は基山の方が心配かも」
「え、どうして?」
「基山って自分の事には執着が無いのに、人のことになると途端に無茶しちゃうんだもの。この前の事件の時もそうだったでしょ。首を突っ込んで来て、あんな無茶をして。八雲だってそう思うでしょ」
「ええと、まあ確かに」
ほら見なさい。すると基山は気まずそうに首を垂れる。
「それは、ごめん」
「別に怒ってるわけじゃないから。ただ、何かあっても無茶はしないでね。私もおかしなことが起きたら相談するから、基山ももし何かに気付いたら、その時はちゃんと報告する事。それだけは約束してくれる?」
「わかった。必ず話すから」
頷く基山を見て、私も安堵する。
基山は何かと私を気遣ってくれているけど、その気遣い方と言うのが、ちょっと危なっかしいと言うか。背負いこまなくてもいい事まで背負ってしまっているような気がするから。
どうしてそこまで私の味方をしてくれるのかはさっぱり分からないけど、それで迷惑を掛けてしまうのは本望ではない。
まあこれだけ念押ししておけば、必要以上に気負うことは無いだろう。安心しながら、基山が淹れてくれたお茶を口に運ぶのだった。
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