基山side
プロローグ 基山太陽と春日香奈
話は少し遡り、今は土曜日の夕方。
明るい光が差し込んでいたはずの窓から見える景色は、いつの間にか暗くなってきている。だけど僕はそれに気づくことも無く、ひたすらに本を読み続けていた。
「……よう…たいよう」
こんなに夢中になって本を読むのはいつ以来だろう。内容が無いようなだけに時々手が止まることもあったけど、それでも読むことは止められず、深呼吸をしながらページをめくっていく。
「太陽!いいかげん無視するなー!」
ページをめくったところで首に衝撃が走った。一瞬何が起きたのか分からなかったけど、すぐにヘッドロックをかけられたのだと理解して青ざめる。
「ちょっと、放して」
「ええい五月蠅い!散々人の事無視してたんだからお仕置きだ!」
「そんな」
酷い。僕が女子アレルギーだって知っててこの仕打ち。怨めし気に首に手を回している幼馴染、
五月も半ばを過ぎた今日。僕は土日の休みを利用して実家に帰省していた。
本当はそんな予定は無かったのだけど今月の始め、吸血鬼絡みの事件に巻き込まれたことで心配した両親が、一度顔を見せに帰って来いと言ってきたのだ。
片道二時間かかるから面倒ではあったけど、心配をかけてしまったのだからちゃんと帰ることにした。と、そこまでは良かったのだけど、どこからか僕が帰ってくるという話を聞きつけた香奈さんが、自分の家にも顔を出すようにと、電話で言ってきたのである。
この前起きた事件には、実は香奈さんも関わっていた。
警察に追われたコンビニ強盗達が立て籠った喫茶店内で、香奈さんも人質となっていたのだ。その後吸血鬼の犯人に連れ回された水城さんと違って、香奈さんはすぐに解放されたけど、そんな経験をしたのだ、もしかしたら傷ついているかもしれない。そう心配したんだけど、当の本人は暢気な声で言っていた。
『皐月との仲は進展したの?どうせアンタのことだからモタモタしているんだろうけど、話くらい聞かせなさいよ』
心配して損した。僕をおもちゃにして遊ぼうという思いが伝わってきて、とたんに気が進まなくなる。
あの事件がきっかけで、僕は水城さんが好きだということに気付いた。
それまでただのクラスメイトで、良き隣人だと思っていた彼女の事を好きだと自覚した時は頭が混乱し、どうすればいいか分からなかった。もっとも何故か僕より先にこの恋心に気付いていた香奈さんからは。
『やっと認めたか鈍感め』
なんて言われてしまったけど。香奈さんと水城さんは事件よりも前にふとした事で知り合っていて、メールのやり取りをするような仲だ。もしかしたら第三者から見れば、僕が水城さんの事をどう思っているかなんてバレバレなのかも。現に水城さんの弟の八雲も気付いている節があるし。まあそれはともかく。
おもちゃにされると分かっているのに、香奈さんの元を訪れなければいけないというのは何とも複雑である。正直気が進まなかった。
しかしだからと言って、断ったら後が怖い。と言うわけで土曜日の午後、僕は香奈さんの家を訪れたわけだけど……何故かヘッドロックをかけられている。
僕は女の子とは目を合わせることもできないほどの重度の女子アレルギーだ。幸い学校では水城さんと一部の男子にしかこの事はバレていないけど、香奈さんは知っているはず。にも拘らずこんな事をしてくるのだから、自分の扱いの雑さを痛感させられる。
「それで、熱心に読んでいるけど、参考にはなったの?」
「それよりもまずは放して!」
「ちっ、しょうがないねえ」
ようやく手を放してくれて、解放された僕は大きく息を吸い込んで呼吸を整える。
「これくらいで参るだなんて、相変わらずヘタレね。そんなんで皐月を落とせるとでも思ってるの?」
「それは……そこをどうにかするために、こうやって勉強してるんじゃない」
そう言って手にしていた本を見せる。僕が読んでいた本と言うのは香奈さんの家にあった少女マンガ。白〇社のコミックだ。
これを読んで少しは女心というものを理解し、少しは女子アレルギーを緩和したらどうだと言われて読んでいたのだ。
「そんなもので効果あるのかねえ」
「香奈さんが進めてきたんじゃない」
「冗談のつもりだったんだけど。それなのに夢中で読みふけるんだもの。頭大丈夫かって思ったよ」
酷い言われようだ。とは言え僕もこれを読んだところで何かが変わるとはちょっと思えない。ならばなぜ呼ばれている事にも気づかないくらい集中していたのか。それはひとえに、この漫画の内容がとても面白かったからだ。
「このヒロインが良いよね。好きな男の子に少しでも見てもらいたいって頑張る所とか。ちょっとぶっ飛んだところもあるけど、そこも可愛いし。相手の男子も素っ気無いように見えて、ヒロインの事をだんだんと好きになっていくのも良いなあ」
「ずいぶん気に入ったみたいね。その割には読むのははかどってないみたいだけど。てっきりつまらないから時間がかかってるんだと思ってた」
そう言うけど、これは仕方がない。だってこの話には頻繁に胸キュンシーンがあって、そういった場面に免疫の無い僕はその度に悶絶して一旦本を閉じ、深呼吸して気持ちを落ち着かせなければとても続きを読めないのだ。一ページ読むのに一分以上かかることもザラにある。だけどそれを聞いた香奈さんは呆れた顔をする。
「あのねえ、今どき小学生でもアンタみたいに弱くはないから」
「そうなんだ。最近の女の子は凄いなあ、こんなの平気で読めるんだ。でも僕だって少しは免疫ついてきたよ。ほら、これを見て」
そうしてスマホの画面を香奈さんに見せる。そこにはストップウォッチのアプリが起動していて、58分47秒と表示されていた。
「何よこれ?」
「コミック一冊読むのにかかった時間。とうとう一時間を切ったんだよ」
一巻目を読んだ時はこれよりも大分時間がかかっていたから、凄い進歩だ。だけど話を聞いた香奈さんはまたしても僕の首に腕を回してくる。
「こんなちっぽけな進歩で喜んでるんじゃ無ーい!」
「ちょっと、止めてって」
再びヘッドロックをかけられて焦る僕。だけど香奈さんは容赦なく攻撃を続ける。
「そんなんだから告白しても気付かれないなんてバカなことになるんだよ。あんたのことだからどうせ分かりにくい告白をしたんでしょ」
うっ、胸が痛む。
ついこの間、勇気を出して水城さんに告白したは良いけど、どういうわけか告白に気付いてもらえずスルーされてしまった事は、今でも深い傷として残っているのだ。
「そんなこと無いよ。ちゃんとはっきり好きだって言ったんだよ。けどどういうわけか友達としての好きと勘違いされて」
「だったらその場で訂正すれば良かったじゃない。なのに皐月が鈍いのが悪いみたいな言い方して、男らしくないよ」
「そうかな?そうかも。もしかしたら、非は僕の方にあったのかなあ」
話しているうちにだんだんと自分が悪いような気がしてきた。となると、もう二度とこんなミスをしないようしっかり勉強しないといけないな。
「そこで漫画に目を向けるあたりがもうだめそうね。でも日も暮れてきたけど、帰らなくて大丈夫なわけ?」
「えっ、もうそんな時間だっけ?」
つい夢中になって読んでしまっていた。漫画の続きは気になるけど、たしかにそろそろ帰った方がいい。
「読み足りないなら貸してあげるけど、どうする?」
「良いの?ありがとう」
「それよりも私は、皐月とどうなったかの方が気になるよ。あの時間以来、仲良くなったとかないの?誘拐された皐月を助けたのは太陽じゃん」
「事件直後は話すことが多くなったかな。もっとも向こうから話しかけてくることは少なくて、ほとんど僕が一方的に声をかけているんだけどね」
「あんまりパッとしない成果ねえ。けど女子アレルギーのアンタが積極的に話そうとしているだけでも、大きな進歩なのかも」
「そうかな?まあ最近はそれも少なくなってきたけど。学校では、話すのを控えているし」
「はぁ?」
途端に香奈さんの表情が曇った。
「何で話そうとしないのよ!さてはあんまり脈が無いものだから諦めたか!」
「違うよ。って、痛い痛い!」
香奈さんは理不尽にも話を聞こうともせず、こめかみに拳を当ててはグリグリと手を回してくる。
怒る気持ちも分かるんだけど、本当にこれは仕方が無いんだって。だって水城さんは今、勝手な噂をたてられていて、ちょっと話しかけ難い状況なのだ。
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