誰もが鼻で笑っちゃうような大作戦が始まってから、長い長い時間が経った。

 レインレイターの付近で一番力を持っている『八鳥野会』の、そこそこ出世しそうな組を選び、上手いこと取り入って、仲間入りを果たした。(その辺の詳細は大人の事情で割愛させてもらう。)実行している佐助さえ内心で呆気にとられるくらい入念で遠回りで確実な社長の指示のおかげで、下っ端の佐助でもチノメアの情報を誤魔化すくらいは容易に出来た。

 動作、言葉遣い、癖、目線の動かし方、休日の過ごし方まで、社長の指示で出来た『八鳥野会の八藪佐助』は、界隈では異例と思われる速さで出世をし、小さいながらも『八藪組』を作り上げ、八鳥野会でも名前のある役職を手に入れた。周りは佐助を、この世界で生きるために産まれてきた人間だ、と称賛するくらい、佐助は完璧に佐助を演じてみせた。

 佐助の働きで、チノメアを危険に晒す心配はほとんど無くなった。長い時間をかけて現状を安定させた次は、佐助に代わる存在を作り出すことだった。

『どんな危険に晒されても、自らの命と天秤に掛けても、チノメアを守り抜いてくれて、尚且つ佐助に従順でなるべく扱いやすいヤツ。』

 そんな素敵な人材が見つかるまで、佐助は帰ることが出来ない。数人ほど候補は居たものの、最終的に佐助の『偽りの脅し』に負けて自らの命を第一にしてしまった。新社会人だった佐助の頭には、いつの間にか白髪が生えるようになっていた。(若白髪だ、と信じたい。)

「佐助が帰ってくる頃には、チノメアは老人介護施設になってるかもね。」

「やめろ、冗談じゃない。」

「うん、冗談じゃないかもね。」

 もしかしたら、このまま。そんな言葉が過るようになっていった、そんな頃。

 明らかに『ヤバい奴らが乗っている車』に、果敢にも当たりに来た愚かな少年に、出会った。

(コイツの目、どこかで、あぁ、そうだ、昔の自分だ。)

 佐助はその少年に強い何かを感じ、自分の後玉最有力候補として八藪組に迎え入れた。

 その少年こそ、烏田雅だった。


 烏田雅は、生まれ育った環境さえ違えば、そこそこ良い人生を送れただろう、と思うような、根は腐っていない、色々と勿体ない人間だった。本人は良く思っていないが、面構えも体型もかなり良いレベルだから、嫁さんなんかも選びたい放題だろうし。頭も性格も決して悪くはないうえに、上司に好かれやすい世渡り上手タイプだから、そこそこ出世も出来ただろう。

 一応少しでも『真っ当な社会人生活』を送ったことがある佐助は、内心そんな目で雅を見ていた。だからこそ、八鳥野会とチノメアを繋ぐには適任だった。

(こっちの世界に漬け込むのは、心が痛むけれど。)

 出来ることならレインレイターの従業員にしてやりたい。社長も両手放しで歓迎するだろう。……いや、若くて面構えの良い男を送り込むのは、ちょっと嫌だな。

「……佐助さん、俺の顔になんか、ついとりますか。」

「んー、穿りがいのありそうなおっきいお目目がふたつほど?」

「!」

 あからさまに引きつった笑顔で後ろを向く雅。

(あーちくしょう、肌も髪も艶が違うな。)

 なんとなく、雅の束ねられた黒髪を掴んでみると、遠くから見てもわかるくらい大きく体を跳ねさせた。社長に言われるがまま脅してみたけれど(多少自ら行動したこともあるけれど)これはまさしく『調教成功』ということだ。

(人材としても適任。俺への服従も完璧。雅を逃したら、二度とチャンスは巡ってこない気がする。)

 とても申し訳ないけれど、佐助が社長の元へ帰るためには、雅を踏み台にするしかないのだ。

「ささ、佐助さん?」

「お前さ、この世界来たこと、後悔してる?」

 毎日、毎日、なにかを熟すたびに佐助は心の中で『自分は偽物だから』と唱え続けた。そうしないとやっていけなかった。自分はこの世界の人間ではない。自分はいつかレインレイターに帰るのだ、と。それが普通で、当たり前の気持ちである、と。

 だから、誰だって、雅だって、『八鳥野会』と『レインレイター』のどちらかを選べと言われたら迷うことなく『レインレイター』を選ぶのだ、と思っていた。

「後悔?してたらこんなとこ、おりませんよ。」

 でも、雅は首を横に振った。

「少年院に居たときも、誰かに言われました。こんなとこ早く出たいなぁって。でも俺は出ても行く宛てなんかなかった。不味くても勝手に飯が出てきてくれるし、特別誰かの面倒を見んでもいい。勉強も運動も好きに出来るし、喧嘩やイジメは激しかったけど、そんなん外だって同じやった。屋根と壁があるんも、寒いんも、伯母の家と同じやった。せやったら、自分のことだけしとったらエエ、ある程度の自由もあって、なにより夜ひとりで寝れる少年院のが、ずっとずっと楽やった。だから俺、めちゃめちゃ出てきたくなかった。わからへんかったのです、少年院より良い生活ってのを、俺は。」

 佐助が手を放すと、雅の黒髪は絹のように輝きながら、定位置へと戻っていく。『伯母がシャンプーにうるさくて。』と、いつか悲しそうな顔で誰かに溢していた。

「そして今はそれよりも自由で幸せです。自分一人で生活できる部屋に、生きていける金。仕事は大変やし、痛いこともツラいことも確かにあるけど、そんなん、今までやってあったし、きっと俺が生きていくんには避けて通れないことなんやと思うんです。」

 振り返った、雅は笑っていた。

「せやから俺今、幸せなんです。」

 その笑顔を見て、佐助は雅を連れてきたことを、強く後悔した。

(あぁ、コイツは、)

 この世界を。こんな世界を、幸せだと笑う。

(知らないんだ。)

 この世界がどんな場所か知らないから、笑っていられるのだ。

(そんな奴を、この世界に縛り付けて良いのだろうか。)

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