5
「社長、自分も恩返しをしたい人がいます。」
チョコのオマケは召使い大作戦の噂を聞きつけて、何人かの従業員がそう申し出てきた。こうなることも予想済み、いや計画の範囲内だったのだろう。社長はすぐに手配をして、チョコ売りと同じように送り出した。そして不思議なことに、「これからも一緒に暮らしたい」という結果まで、全員同じだった。レインレイターの従業員はほぼ全員が家族や帰る場所を失ったり、恵まれていない人たちだった。そんな人たちが次々に、大事な人と暮らすようになっていった。満室だったレインレイターの社員寮は、だんだんと空室が目立つようになって、そのぶん社内に溢れる笑顔は、以前に増して輝かしいものへと変わっていった。
「最初から全部、作戦だったんですか。」
佐助の問いに、相変わらず社長は答えなかった。社長の答えない、ということがつまり肯定を意味することを佐助は知っていた。そしてやっぱり、この人は暇を持て余した神様なんだ、と思った。一年ほどで社員寮を売りに出すくらい住み込みの従業員は居なくなって、チョコのオマケは召使い大作戦は『レインレイター』ではなく『チノメア』という架空の会社名を使って行われるようになった。
「ちのめあ……ってどういう意味ですか。」
「レインレイター、が雨のち。だから単純にそれをひっくり返しただけだお。」
「あー。」
レインレイターもチノメアも、出来過ぎというくらい上手く事が運んでいった。それは幸運もあるけれど、社長の入念な計画と気が遠くなるような下準備があったからこその結果だった。それでも、どうしても、全てが全て完璧には行かず、どんなに水面下で内輪だけで動いていたとしても、情報が次第に漏れだしていってしまった。
『チョコのオマケに召使いがもらえて、しかも願いまで叶えてくれる、チノメアという不思議なお菓子屋さん』の噂はだんだんと広まって、力づくでチノメアを探し出そうとする人が増えていった。最初は無力な学生だったソレは、メディアへと変わっていき、遂には一番敵に回したくない存在まで動き出すようになってしまった。
「マスコミはねー、そこまで怖くなかったんだよねぇ。『最近学生の間で流行ってる都市伝説』程度の扱いだし、奴らは法律と金の言うことを聞いてくれる耳があるからねぇ。んでもチノメアを『最新の人身売買』っていう目で見てる組織は、遥か先までの利益も視野に狙ってくるからね、これはかなり不味いことになったぞー、チョコは美味いのになぁ。」
二人きりの社長室。社長は珍しく弱音を吐いた。顔には出さないけど、内心では相当追い詰められていたのだろう。敵の非道さでは、ちょっとのミスでチノメアの関係者を危険に晒すことになる。そういった問題も、もちろん本職であるレインレイターのことも全部ひとりで抱え込んでいた社長は、佐助の目の前だけでは、明らかな疲れを見せていた。
佐助には学なんてなく、力も器用さも、秀でた才能も、なにもなかった。それでも社長は一番側に自分を置いて、たくさんのものをくれた。レインレイターで働く人たちの恩返しがチノメアなら、佐助が恩返しをしたい人は、求める帰る場所や家族は、他の誰でもなく社長だった。
「俺が、」
だから、なにがなんでも、守らなくてはいけなかった。
「俺がその組織に入って内側から操作したら、此処を守れますか。」
馬鹿なことを言っているのは、佐助本人が一番よく分かっていた。社長も動揺すら出来ず、辞書に載りそうなほど見事な『呆れた』顔をした。
「俺が、そこのトップに上り詰めて、信頼できる部下を頭にして、チノメアに一切関与しないよう指示します。」
「ちょいちょいちょいちょい。落ち着きなさいな佐助クン。チョコの食べすぎで脳みそ溶けちゃったのかな。ふむふむ、これは実験データに付け加えなきゃ、」
「社長。」
「だって、佐助だよ?馬鹿で弱虫で、でも変な度胸やよくわからん発想力が無駄にあって、人を傷付ける勇気なんかなくて、困ってる人や泣いてる人がいたら、その人より泣いたり困ってみせる、もう、真面目で誠実で、本当に馬鹿で、馬鹿だから、おんなじこと何回も、何回無視しても、何回も、何回も、」
「社長!」
初めて抱き締めた社長の身体は、思ったよりずっと小さくて、頼りなかった。
「……佐助がいなかったら、オイラは誰のホットチョコを奪って、誰のデスクに悪戯して、誰の困ったり驚いた顔見て笑って、誰に愚痴聞いてもらって、布団掛けてもらって、一緒に笑って喜んだりしたら、いいのさ。」
「はい、だから俺は、必ず此処に帰ってきます。」
弱虫で純粋で、真面目で誠実な八藪佐助は、その瞬間から姿を消した。
「チノメアを、俺を、守ってください。」
その瞬間から、八藪佐助は、口も素行も悪くて、誰もが恐れるくらいの鬼畜で、口と手が同時に出るような、血液に流氷が揺蕩うような、悪逆非道なダークネスダンディへと、生まれ変わった。
「そして、無事に帰ってきたら、今度こそちゃんと、告白の返事を下さい。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます