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「俺、社長のことが好きです。」
初めての告白は、出会ってからちょうど一年目の日。それを祝してチョコ売りが(渋々)作ってくれたザッハトルテを当たり前のように奪って食べる社長の背に向かって、佐助は一時間かけて振り絞った勇気をぶつけた。一年経ってもまだ従業員は三人のままで、チョコ売りは基本的に厨房から出てこないから、いつものように、くだらない話をしながらパソコンや書類とにらめっこをしていた。いよいよ開業を間近に迫り、大量の試作でここ最近お腹の虫の声を聞いていなかった社長の体重が増えたことを知るのは、その姿を飽くことなく見つめていた佐助だけだった。
「……。」
社長は何も言わなかった。けれどキーボードを打つ手が確かに止まったから、佐助の声は間違いなく届いていた。パソコンの画面を見つめながら、無言でただ手を止めたその姿は、非常に珍しい『社長の動揺した姿』だった。うたた寝をしてパソコンのデータを消してしまったときも、試作のダメだし連発に苛立ったチョコ売りに恐ろしく不味いチョコを喰わされた時も、ヘラっと笑って「まいったまいったー。」としか言わなかった社長が、そのときは確かに、フリーズしていた。でも、佐助にはそのことに気付く余裕など、なかった。
どれくらい静寂が続いただろうか。実際には数秒だったのかもしれないけれど、二人には何時間も呼吸すらしていなかったように感じて、互いに喉がカラッカラに乾いていた。デスクに置かれたコップにはいつだってどろっどろのホットチョコしか入っていなくて、見ただけで余計に喉を乾かした。
「……オイラは、」
沈黙を打ち破ったのは、社長だった。
「口も素行も悪くて、誰もが恐れるくらいの鬼畜で、口と手が同時に出るような、血液に流氷が揺蕩うような、悪逆非道なダークネスダンディが好みなもんだからなぁ。」
そうして翌日から、今まで佐助が何度言っても聞いてくれなかった『新しい従業員探し』を最優先に働くようになった。佐助と同じように、路頭に迷って死を選ぼうとしている人に片っ端から声をかけ、信用できそうな人を次々招き入れた。年齢や学歴、生い立ち等は一切気にしていなかった。気にしなさ過ぎて把握していない奴もいるくらいだった。とにかく『裏切らない人』ということだけを採用条件に住み込みで雇って、でも、色々な機密情報が保管されている社長室で仕事をさせるのは、後にも先にも佐助だけだった。
「好きです。」
何度も何度も、あまり関わったことのない従業員さえ把握してしまうくらい何度も佐助はその言葉を社長に送ったけれど、一度目以降は全て、聞こえなかったふりで終わらされた。
そんな感じで慌ただしくも賑やかに事は進み、万全の下準備の元開業された製菓『レインレイター』は、あっという間に製菓の世界で名を馳せて、いつかチョコ売りを裏切ったお菓子メーカーを超えるほど、有名になっていった。その頃には従業員の勧誘を一切辞め、社内には食べ物を売るのにどうしても必要なとき以外他人を立ち入らせなかった。従業員は皆社長に大きな恩があったし、レインレイターでは特に文句など浮かばない扱いを受けていたから、誰もなにを言われても会社を売ろうとだなんてしなかった。
だからレインレイターは謎に包まれた会社としても、世間から注目を浴びることとなった。正体不明の会社が作る、とびきり美味しいお菓子。レインレイターはいつしか、魔法で作られたお菓子のお店とまで呼ばれるようになっていた。
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