11

それでも、青年は鷹の手を、ぎゅっと握った。ただひたすらに美しく、なにも知らない手のひらを。

「どうや?」

「……。」

 握った手から、触れ合った箇所から、たくさんのものが一気に流れてきて、鷹は言葉を失った。

血液は先ほどよりも遥かに熱を持ち、汗をかくほどに体温を上げた。それに心臓が驚いて、ばくばくと激しくなり始めた。薄い皮膚は耐えられずに、仮面の下の顔は赤く染まった。頭も体も、『知らないこと』に驚き暴れることしか出来なくて、考えることも喋ることも、とても間に合わなかった。

「覚えておきぃや。俺みたいな奴のことを、この村では、穢れって言うんや。」

 村人はいつも、怖い顔で、低い声で言った。この村の外には、野蛮で汚らしい輩が、愚かな思考を持ち、欲望にまみれて生きているのだ、と。穢れが溢れて、この村だけはそれに染まらず神が守ってくれているのだ、と。ぎらぎらした目で、ぎゃあぎゃあと、痩せこけてボロボロな村人が、言っていた。

「お前みたいなのが、けがれ、なのか。」

「ん。」

 触れてはいけない。染まってはいけない。関わってはいけない。

「それなら僕は、もっと、けがれのこと、知りたい。」

 どうして、こんなにも美しくて、新しくて、素敵なものを『穢れ』と呼ぶのか。触れてはいけないと、染まってはいけないと頑なになるのか。鷹は知りたかった。本に書いてあることはどれも理解できたのに、青年のことは、少しも答えを出せなかった。鷹にとって、初めての難問だった。

「僕、お前と、いたい。」

 初めて、この牢から出てみたい、と思った。あぁ、もしかして、これが穢れに触れた影響なのかもしれない、と。それでもいいや、と、思った。

「俺と?」

「ん。」

「ははは、せやな、こんなとこに居ったらアカンわ。まぁ、どのみちもう、この村には居れんやろ。」

 青年は鷹を抱え上げた。そのまま歩き出した足は、牢の外へ。初めての、地上へ。

「エエか、これが今からお前が生きていく世界や。」

 開け放たれた重い扉から、真っ先に見えたのは、満天の星空だった。

 暗闇にたくさんの穴が開いて、どこを見ても小さな光が漏れ出していた。吸った息は冷たく、不思議な味がした。聞こえてくる音は、どれがなんの音か説明が間に合わないくらい賑やかだった。目が、耳が、鼻が、口が、舌が、肌が、鷹の体の全てが、初めての外を、力いっぱいに感じて、考えることも喋ることも間に合わないほど忙しかった。きらきらがいっぱいで、目玉が零れ落ちてしまうのではないかと思った。

この村が持つ美しいものは、綺麗なものは全て捧げられてきたのに、どうして誰もこの景色を持ってきてくれなかったのだろう、この景色さえあったら大満足だったのに、と、皮肉ではなく純粋にそう思った。鷹が本当に捧げて欲しかったものは、ずっと鷹の頭の上にあったのだ。

「ぼく、は、」

 ようやく声が出た。ゆっくりまばたきをしながら下した視界。ひたすら美しい満天の星空が、荒れ果てた地上へと変わって、先ほどとは違う意味で、息を飲んだ。地上はなんて美しいのだろう、と、ほんの一瞬前まで思っていたのに、ようやく気付いた。

 葉の茂らない枯れ木。雑草すら実らない畑。今にも壊れそうな家屋。それらに放たれた、赤黒い炎。そこかしこに倒れる見知った人たちと、それを見下ろす見知らぬ人たち。

「この村は、俺たち八鳥野会が買った。それにお前たち村人が反抗したから、こうなったんや。『孤立した集落が山火事で壊滅』ってな。はは、汚いやろ。これが俺たちで、これがこの世界で、これが穢れや。お前の村のモンは、なんにも間違ってないわ。この世界は、こういうことでいっぱいで、もう、こういうことからお前を守ってくれる奴は、居らんのや。」

 青年は話しながら鷹を下ろした。初めて立つ土の上。炎が消していく村。笑い声と叫び声。青年にとっては見慣れた光景だった。だから、ただ立ち尽くす鷹の背中を、優しくポンッと押した。

「俺と居る、言うんは、こういうことやで。」

 炎を放つ一人がこちらに気付いて手を振った。楽しそうに笑っている。その足元で倒れる人は、ぴくりとも動かない。鷹はひとりひとりをジッと見つめて、最後に隣に立つ青年を見上げた。なにかを言いたくて、でも上手く言葉に出来なくて、半端に口を開いた。そんな鷹の様子を見て、青年が先に言葉を放とうとした、その時。

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