10

物心がついた時から、鷹の顔には重たい仮面が張り付いていた。

 ずっとその顔に、誰よりも鷹の側にあったのに、それが狐を模した物だと知ったのは、その仮面を最後に見たときが初めてだった。

 生まれ落ちた『ヨルドリ村』は、そこだけ時間が止まったように古く、しきたりに縛られた村だった。ヨルドリ村にとってそれは誇りだった。時代の穢れに犯されずに守り抜いたのだ、と。

だから他所を嫌った。ヨルドリ村にその名がついた頃から、他所の穢れた血は一滴もこの村に混ぜてはいけない、と、『ヨルドリ村の中でしか子供を作ってはいけない』という決まりを頑なに守ってきた。

必然的に孤立し、若者は逃げ出し、それでも決まりに縛られ、いつしか親兄弟関係なく子供を作るようになり、健康な子供が、特に男の子が生まれなくなった。


 鷹は、ヨルドリ村に二十年ぶりに生まれた、健康な男の子だった。

 村人は喜んだ。

この子は神が村に与えた宝だと。

そして、生まれたばかりでもわかるほど整った鷹の容姿を酷く恐れた。余所者が宝を奪いに来ると。

だからすぐに仮面で隠し、鷹を地下に監禁した。子供が作れる体になるまで、世話係以外は親でさえ鷹に触れることを禁じられた。

鷹は毎日、厳重に閉じられた鉄格子越しにお祈りに来る村人のよくわからない言葉を聞きながら、健康だけを考えた食事とお供え物を並べられ、ただただずっと書物を読みながら、独り勉学に励んでいた。

自分が普通ではないということはなんとなくわかっていたけれど、それ以上に、どうすることも出来ないということを理解するくらいには、鷹の頭は優秀だった。逃げる、だなんて、考えるだけ全て無駄なのだ、と。

 そんな鷹が生まれて、六年。

 工場を建てるために、ヨルドリ村の土地を買収したい、と、とある組織が大金を持ってやって来た。

裏でたくさんの金が動いて、既に土地の権利等は組織が手に入れていたけれど、村人は頑なに立ち退きを拒んだ。

出すものは出して、手間をかけて、必要なものは全て揃えたのに、数少ない村人が嫌がっている、というだけで諦めるほど優しくないその組織は、もともと孤立して誰も知らないような村なのだから、と『強行突破』を行うことにした。

組織で頑張る未来ある若者たちが集結され、一気に村に押し入った。健康な若者なんてほとんどいないヨルドリ村が叶うわけもなく、あっという間に小さな村は攻め入られた。

 抗争の最中、組織の一人が地下牢を見付けた。組織の未来ある若者のなかでも特に未来を期待されていた青年は、貧しく枯れ果てた地上に似つかわしくないほど豪勢に、そして厳重にされた不気味な地下牢を不審に思った。

そのなかで独り、狐の面をつけて、こんな時なのに少しも動じることなく本を読む鷹を、青年は、「美しい」と感じた。

「なんや、そんなとこで本なんか読んどったら、カビが生えてしまうで。」

 青年に声をかけられ、鷹は初めて「いつもと違うことが起きている」と知った。そして無理矢理に牢をこじ開けて近寄ってきた、見たことのないその青年から目を離すことが出来なかった。

きらきら、ぱちぱち、色んな音と光をまとって、青年は鷹の世界にやって来た。ヨルドリ村のありとあらゆる美しいものは全てこの牢に捧げられていた。でも、鷹はそのとき生まれて初めて、目に映ったものを、青年のことを「美しい」と感じた。

「お前さんはなんでそないとこに閉じ込められてるん?」

「穢れに触れては、いけないから。」

 正直鷹には、ヨルドリ村のことなんかこれっぽちも理解していなかった。

ただ、自分がこの村にとって無くてはならない存在で、だから穢れに触れたら大変なんだ、というのは、毎日呪文のように言われてきた。

でも、触れてはいけない穢れというのがなんなのかは、誰も教えてくれなかった。この牢の中で大人しくしていたら穢れはやって来ないから、知る必要はないのだ、と。

「穢れ、ねぇ。」

「僕は神様がこの村に捧げたものだから、穢れてはいけないんだ。」

「はは、そうかそうか、じゃああんまり俺が近寄ったら神様に怒られてしまうなぁ。」

「僕は、大人しくしていた。牢からも、出たことはない。約束を破ったことは、ない。」

「へぇ、いいこちゃんなんやね。」

「穢れがやって来る理由はない。だから、お前は、穢れじゃない。」

 今まで見たどんな捧げものよりもきらきらしていて、でも、この村の、こんな村のものではない青年が、自分にとって良いのか悪いのか、わからなかった。思考回路をそのまま声にした言葉は、自分に言い聞かせた、初めての『言い訳』だった。村人が知ったら怒るであろう。それでも。

「お前に、触れてみたい。」

 きらきら、ぱちぱち、どきどき。

 色んな音を、彩りを、輝きを、人の身体には到底収められないほど持ってやって来た青年への興味が、溢れて止まらなかった。鷹の体に、熱を含んだ血液が忙しなく巡った。それがどうしてなのか、知りたかった。

「俺に?」

 青年は目をぱちくりとして鷹を見た。遠慮がちに、行き場をなくしたように差し出されてる小さな白い手は、青年に向いていた。誰がどう見ても穢れの塊でしかない青年に、誰がどう見ても純真な手が、触れようとしていた。

「お前、ホンマに世間知らずなんやな。」

 地上では、たくさんの血が流れている。青年の手には洗っても消えない穢れが染みついている。この世界の『穢れ』である組織に身を置いて、今日だって存分に汚れに来た。この村の言う穢れは、まさに青年のことだった。

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