こないで。

 彼女は、母の姉。母と似ているのかはわからないけれど、雅とは似ていなくて、お世辞にも整った容姿とは呼べなかった。醜く太って、いつもベタベタと顔になにかを塗り付けていて。そんな人だったから、母より十も年上だったのに、独り身だった。

 雅の両親は、物心がつく前に死んだ。一人息子だった雅を、伯母が喜んで引き取った。でも、あまり家事をしない人で、六歳になる頃には、炊事も洗濯も掃除も、ほとんど雅が行っていた。洋服やおもちゃなんて買い与えてもらえず、容姿に関することにだけは、必要以上に世話をされた。

 十歳辺りから、雅の記憶はほとんど朧になった。もしかしたらその頃から、近い行為はされていたのかもしれない。はっきりと記憶しているのは、十二歳の時。その年頃になっても同じ部屋で寝かせる伯母に、嫌気を感じていた。自分の布団で寝ていた雅は、気が付くとパジャマが脱げていて、上に裸の伯母が、跨っていた。叫ぼうにも布を口に突っ込まれて、なにが起きているかわからないまま、なすがまま、啼きながら腰を振る伯母を、その醜い裸を、ただただ見上げていた。それから毎晩のように、伯母は雅を使ってその体を慰めた。逆らうと、雅の体に煙草を押し付け、容赦なく暴行を加えた。薬を使われるのも、珍しくはなかった。そのうちどんどんどうでもよくなって、なすがまま、伯母を抱いた。

 十三歳の時、その頻度は異様なものになって、学校に行かせてもらえないこともあった。雅はいつもなすがままで、だから、気付かなかった。伯母が、コンドームを使っていないことに。

 いくら高齢といえど、回数が回数だった。一年近く避妊をしなかった結果、伯母のお腹に、雅の子が宿った。伯母は不気味に微笑んで、産む、と言った。

 だから、雅は、台所にあった包丁で、伯母の腹を、刺した。何度も、何度も。子供が消えるまで、何度も。

 伯母は死ななかった。けれど、血まみれなその姿を見て以来、伯母とは会っていない。雅は少年院に入れられて、そのまま今の世界に入ったから。どうでもよかった。伯母の今なんて。ただ、腹の中の忌々しい子供が消えたのなら、それでよかった。

(よかった、のに。)

 何年経とうと、伯母の感触が体にまとわりついて、呪いのように、雅の全てを可笑しくさせてしまうのだ。いつも、いつも、息が出来なくなって。

 だから、だから、おねがい。

(おれを、)

 神様、どうか、もう、許してください。

「みやび!」

「!」

 体に、ぽすんっと、温もりが飛び込んで、雅の世界が、輪郭を取り戻す。

「鷹……?」

 いつの間にか景色は自分の部屋に変わっていて、鷹が、雅の頭を抱えていた。

「まだ、一万八千秒より、八千秒も早い。なにか、あった?」

 鷹の拙く抑揚のない声も、いつもより緊迫としていて、なにかが起きた、ということくらいはわかっているようだった。雅は短く息を吸いながら、なんとか形を保とうと、赤ジャージにしがみつく。

「みやび?」

「おねがい、このまま。」

「、」

 相手は自分よりも体が小さい子供だ。けれど、少しでも離れたら、伯母に捕まるような気がした。怖かった。体が震えた。鶴丸の声が響いて、叫びながら泣き出しそうになった。

「みやび。」

「鷹、たか、おねがい、おねがい、や。」

 鷹の体温が。声が。存在が。雅の飛んでしまいそうな意識を、辛うじて繋ぎ止めてくれている。誰も、神様も見捨てた、雅のことを。

「ここにいて……!」

 心から、その言葉が溢れた。声になって、音となって、自分の耳に入り込んだその言葉を聞いて、雅は、やっと、その気持ちに気付いた。ここにいて、鷹。どんな目的でも構わない。でも、出来るのなら、鷹だけは、君だけは。

「傷付け、ないで。」

「……。」

 膝をついて縋る雅を、鷹はただ見下ろしていた。雅のつむじを見つめるなんて、珍しいことだ、なんて、相変わらず呑気なことを考えて、その頭を優しく抱えた。

「ぼくは、」

 あたたかい。どちらともなく、そう思った。

「ここに、いるよ。」

 心から、そう思った。

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