(もう、日付変わっとるわ。)

 半月ぶりの出勤は、半月分の仕事が両手を広げて待っていた。

(早う風呂入って寝たい。)

 クタクタになった体をなんとかマンションまで運んで、部屋に向かう。鷹はもう寝ているだろう。いつも二十二時には頭が揺れ始めて、二十三時には行き倒れている(のを発見して、雅が押入れに投げ込んでいる)。日付を跨いで起きている姿を見たことはない。

(しばらくこんな生活が続くやろな。そのうちに、二カ月なんてあっという間に……、)

 呆然と垂れ流された思考が、いらないところに行きついて、軽く頭を横に振る。ダメだもう、寝よう。と、部屋の鍵を開けた。

「……あれ。」

 玄関の明かりが、点いている。鷹が気を利かせてくれたのだろうか。明るい部屋に帰宅するのが随分と久しぶりで、少しだけ目が覚めた。ネクタイを緩めながら靴を脱いで、部屋に上がって、

「……っ、ぬぉお!?」

 一瞬で、眠気が全て吹き飛んだ。

「え、あ、え?」

 鷹が、廊下で行き倒れていたのだ。うつぶせで。思わず似合わない叫び声を上げてしまった、が、雅の心臓は未だバクバクと鳴っている。

「た、鷹、サン?」

 慎重に側に寄って、危険物に触れるようにそっと突く。反応はない。けれどほのかに暖かい。生きてはいる。大丈夫だ。生きてはいる。

「あ、あの、鷹さーん……?」

 少しだけ勇気を出して、強めに肩を揺すった。すると、急に電源が入ったようにガバッと勢いよく起き上がって、いつも以上に眉間に皺を寄せて、雅のほうを向いた。雅はもう、声を上げることも出来なかった。

「……きもろんげ。」

「あ、うん、え、はい。」

「……かえってきた。」

「あ、せやな、ただいま?」

「……。」

 ほとんど瞼が上がっていない、完全な寝ぼけ顔。でも。

「かえって、きた。」

「!」

 そう言って、一瞬だけれど、確かに鷹は、笑った。子供特有の、無邪気な笑顔で。

「鷹……?」

「……、」

 雅の反応を見て、ようやく目が覚めたのか、鷹は自らの頬を押さえながら「まちがえた。」と連呼した。本人には予定外の笑顔だったようだ。

「なしてこんな、廊下で寝てるんよ。」

「待っ……ては、いなかった。うん。その、模様替え。今日は廊下が、寝室な気分。」

「寒くない?てか、寝づらいやろ。布団は?」

「っー!うるさいばかきもろんげ!」

 鷹から理不尽な暴力を受けながら、雅は体から力が抜けていくのを感じた。自分の部屋に誰かが居る状況で、気が抜けるのは初めてだ。昼間に取り込めなかったぶんなのか、酸素がどんどんと肺に入って、緩やかに流れ込んでいく。

「鷹。」

「、」

 ぽふっと、鷹の頭に手を置く。やわらかい髪の毛だ。あたたかい。

「寝る前に顔見れて、よかったわぁ。」

「!」

 心から溶け出した言葉が口からこぼれる。

(でも、)

 寝起きでもしっかりと立つ鷹の小指を眺めながら、暖まった雅の胸は、ツクツクと痛んだ。

(なんにせよ、一か月半経ったら、サヨナラなんや、な。)

 チノメア。

 チョコのオマケ。

 八鳥野会組長。

 血生臭い椅子取りゲーム。

(なんにせよ、一か月半で、全部終わるんや。)

 良くも悪くも、誰も時間に抗うことは出来ない。

 早く終われと望んだ期間も、今胸を痛める残り時間も、同じ一秒と、同じ一日。

(どうしてこんな気持ちになるんやろう、なぁ。)

 眠そうに目を細める鷹を見つめながら、その姿を目に焼き付けなければ、と心の奥底が泣く理由を、その時の雅はまだ、知らなかった。

 でも、きっと悪いものではなくて、どちらかというと美しくて、そして、すごく切ないものだ、というのは、感じていた。勘の良さには定評がある雅、だから。

 今は心地よく眠気を誘うぬるま湯のなかでも。

 そこから出されたときには、入る前よりも凍えてしまう。

 そんなことは、わかっていた。わかっていながら、膝を抱えて、目を瞑って、頭までしっかりと、ぬるま湯に浸かっていた。

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