5
(もう、日付変わっとるわ。)
半月ぶりの出勤は、半月分の仕事が両手を広げて待っていた。
(早う風呂入って寝たい。)
クタクタになった体をなんとかマンションまで運んで、部屋に向かう。鷹はもう寝ているだろう。いつも二十二時には頭が揺れ始めて、二十三時には行き倒れている(のを発見して、雅が押入れに投げ込んでいる)。日付を跨いで起きている姿を見たことはない。
(しばらくこんな生活が続くやろな。そのうちに、二カ月なんてあっという間に……、)
呆然と垂れ流された思考が、いらないところに行きついて、軽く頭を横に振る。ダメだもう、寝よう。と、部屋の鍵を開けた。
「……あれ。」
玄関の明かりが、点いている。鷹が気を利かせてくれたのだろうか。明るい部屋に帰宅するのが随分と久しぶりで、少しだけ目が覚めた。ネクタイを緩めながら靴を脱いで、部屋に上がって、
「……っ、ぬぉお!?」
一瞬で、眠気が全て吹き飛んだ。
「え、あ、え?」
鷹が、廊下で行き倒れていたのだ。うつぶせで。思わず似合わない叫び声を上げてしまった、が、雅の心臓は未だバクバクと鳴っている。
「た、鷹、サン?」
慎重に側に寄って、危険物に触れるようにそっと突く。反応はない。けれどほのかに暖かい。生きてはいる。大丈夫だ。生きてはいる。
「あ、あの、鷹さーん……?」
少しだけ勇気を出して、強めに肩を揺すった。すると、急に電源が入ったようにガバッと勢いよく起き上がって、いつも以上に眉間に皺を寄せて、雅のほうを向いた。雅はもう、声を上げることも出来なかった。
「……きもろんげ。」
「あ、うん、え、はい。」
「……かえってきた。」
「あ、せやな、ただいま?」
「……。」
ほとんど瞼が上がっていない、完全な寝ぼけ顔。でも。
「かえって、きた。」
「!」
そう言って、一瞬だけれど、確かに鷹は、笑った。子供特有の、無邪気な笑顔で。
「鷹……?」
「……、」
雅の反応を見て、ようやく目が覚めたのか、鷹は自らの頬を押さえながら「まちがえた。」と連呼した。本人には予定外の笑顔だったようだ。
「なしてこんな、廊下で寝てるんよ。」
「待っ……ては、いなかった。うん。その、模様替え。今日は廊下が、寝室な気分。」
「寒くない?てか、寝づらいやろ。布団は?」
「っー!うるさいばかきもろんげ!」
鷹から理不尽な暴力を受けながら、雅は体から力が抜けていくのを感じた。自分の部屋に誰かが居る状況で、気が抜けるのは初めてだ。昼間に取り込めなかったぶんなのか、酸素がどんどんと肺に入って、緩やかに流れ込んでいく。
「鷹。」
「、」
ぽふっと、鷹の頭に手を置く。やわらかい髪の毛だ。あたたかい。
「寝る前に顔見れて、よかったわぁ。」
「!」
心から溶け出した言葉が口からこぼれる。
(でも、)
寝起きでもしっかりと立つ鷹の小指を眺めながら、暖まった雅の胸は、ツクツクと痛んだ。
(なんにせよ、一か月半経ったら、サヨナラなんや、な。)
チノメア。
チョコのオマケ。
八鳥野会組長。
血生臭い椅子取りゲーム。
(なんにせよ、一か月半で、全部終わるんや。)
良くも悪くも、誰も時間に抗うことは出来ない。
早く終われと望んだ期間も、今胸を痛める残り時間も、同じ一秒と、同じ一日。
(どうしてこんな気持ちになるんやろう、なぁ。)
眠そうに目を細める鷹を見つめながら、その姿を目に焼き付けなければ、と心の奥底が泣く理由を、その時の雅はまだ、知らなかった。
でも、きっと悪いものではなくて、どちらかというと美しくて、そして、すごく切ないものだ、というのは、感じていた。勘の良さには定評がある雅、だから。
今は心地よく眠気を誘うぬるま湯のなかでも。
そこから出されたときには、入る前よりも凍えてしまう。
そんなことは、わかっていた。わかっていながら、膝を抱えて、目を瞑って、頭までしっかりと、ぬるま湯に浸かっていた。
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