「あは。ひっさしぶりだね雅チャン。背伸びた?髪切った?明日来てくれるかなー?」

「この度は申し訳ありませんでした。」

「本当にね。」

 佐助はゆっくり煙草の煙を吐きながら、窓の外を見つめる。

「んで。」

「はい。」

「前にここに来たお前と今のお前は、どう変わったのかな?」

 頭を深く下げたままの雅を、チラリとも見ようとしないで、佐助はただただ、雲を見上げる。

「この謹慎で、お前はなにをしていた?」

 半月間。

 雅は鷹と過ごしていた。

 雅は、チノメアのオマケと、過ごしていた。

「……。」

 それを告げたら、この上ない手柄になる。そうだ。雅はこんなに深く頭を下げる必要などない。なんならどんと前を見据えて、どや顔で鼻の穴を膨らませたっていいのだ。それくらいの充分すぎる手土産を、持って帰ってきた。

「みーやびチャン?」

 なのに。

 言葉が喉につっかえて、出なかった。

(おれの部屋に、チノメアのオマケが居るんです。)

 その一言が、出てこない。

(おれの部屋で、チノメアのオマケが、)

(おれの帰りを待っています。)

(多分、ちょっと、さみしがって、)

(待ってる。)

 眉間に皺が寄って、今朝食べた鷹の手作りサンドウィッチが、胃を逆流しそうになった。でも、吐き出したそれを見られたら、佐助に全てバレてしまいそうな気がして、必死に飲み込む。

「おい、雅。なんとか言えやゴラァ。」

 言いたい。言えない。どうしたらいいのか。雅にもわからない。このままではいけないのに、体がどこも動こうとしない。

(いつも、そうだ。)

 こういうとき、浮かぶのはいつも同じ光景。自分に跨って啼く醜い生き物を見上げながら、ただただ何もできずにいた、あの日々。体が石のように動かなくなって、逃げなければと思うほど、重くなった。そうして。

(そうして。)

 手遅れに、なったんだ。

「雅。」

「!」

 佐助が前髪を掴んで、無理やりに雅と目を合わせる。

「テメェ、こんな時に飛んでんじゃねぇよ。薬か。」

「え、あ、いや、薬は嫌いで、」

「フツーに答えられんじゃねぇかよ。」

 頭を机に叩きつけられたまま、押さえられる。その衝撃で吹っ飛んでしまったのか、全くと言っていいくらい恐怖心は湧いてこない。

「ゴミはさ、やっぱり燃やした方がいいのかな。それとも細かく刻んだ方がいいのか。潰して剥がして外してリサイクル、なんてのも地球に優しいなぁ。お前は、使えない粗大ごみって、どうするタイプ?」

「俺は、」

 真っ暗闇に、ぼんやりと浮かんだ赤いジャージ。

(鷹。)

 待っている。鷹は今も、自分のことを。あの部屋で、誰かが、雅のことを待っている。

(帰らなきゃ。)

 初めて抱いた、そんな気持ち。

「おれ、は!」

 重く硬くなっていた口が、透明な糸を引きながら、開いた。

「チノメア、の、尻尾を、掴んでます!」

「……尻尾?」

「でも、今までみたく逃げられへんように、慎重に調べとる、ところです!」

「……。」

 雅の顔を見つめながら、佐助は押さえていた手を放した。

「詳しく聞いてあげてもいいよ。」

 嘘を吐いてるかどうかは、目を見たらわかる。雅が今ここでその場しのぎの出鱈目を吐いたらどうなるか。それは互いによく理解していた。なにより、今この状況で佐助に嘘が吐けるほど、雅は器用ではなかった。

「俺、今、チノメアの、」

 でも。

「関係者、みたいなんから、子供を預かっとります。」

 馬鹿正直に真実を全て話す気も、なかった。

「子供を人質に、情報を?」

「そんな感じです。鴨乃目のこともあるんで、とにかく慎重に扱っとるんです。」

「……ま、賢明な判断だね。」

「情報に確信が持てたら報告します。だからもう少し、時間を下さい。」

「……。」

 佐助は再び窓の外を見て、煙草に火を点けた。煙を輪っかに吐きながら、「今日はもうなんもないから、下がっていいよ。」と告げた。

 部屋を出て、ゆっくりと長く息を吐きながら、目の前にあった高い壁を超えたのに、雅の心はちっとも晴れなかった。

(一か月半後。)

 どんなに佐助に凄まれても、

(売らなきゃいけないのに。)

 浮かぶのは、怒りながら照れる、鷹の顔だった。

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