【3 うつりかわり】

 お昼ご飯を食べ終えたあとの、日が当たるソファで寝転ぶ時間は、睡眠薬よりも眠気を誘う。そのときだけは、聖域(寝室)以外でも深く眠れるような気分になる(なるだけだけれど)。あとは、冬のコタツとホットミルクも、なかなかの破壊力だ。散らかったリビングの汚れたソファの上でも、このような条件が揃っていたら、うたた寝くらいは問題なく出来る、と、雅はうつらうつら、目を閉じた。先ほど食べたコンビニのグラタンが、ぐるぐると微かな音をたてながら、どんどんと下りていくのがわかる。薄いカーテンを通り抜け、窓から入り込んだ陽が、ブランケットのようにお腹に当たって、とても心地よい。そこに猫が居たら、猫のぬくぬくした体温が伝わってきて、もっと心地よいのだろうか。

 あぁ、とても穏やかな時間が、

「キモロン毛。」

 たった今、終わりを告げた。

「きーもーろーんーげー。」

「んん……。」

「気持ち悪い、長髪。」

「なして急に丁寧に言ったん。」

 鷹にゆさゆさと揺すられ、雅は渋々ソファから体を起こす。

「なんやー、もー。」

「食べてすぐ寝たら牛になる。」

「食べながら寝たってならへんから安心しぃ。」

「なる。主様が言った。お前はもう、牛だ。」

「牛に見えるんか。」

「……気持ち悪い長髪に、見える。」

 真顔でそう言って見つめてくる鷹に、とりあえずデコピンを喰らわせた。

「痛い。」

「俺の心はもっと痛いで。」

「体罰、よくない。主様、言ってた。」

「……。」

 鷹が雅の元に来て、今日で十日。

 十日間、さりげなく観察してわかったことが、幾つかある。そのひとつが、『主様』だ。

 鷹が『召使い』になるのは雅が初めてで、それはほぼ間違いない。けれど、鷹は『主』であるはずの雅をそう呼ばず、別の誰かを『主様』と呼び、慕っている。『主様』は恐らくチノメアの偉い人で、逆に言うとその『主様』が既に居るから、鷹は雅を『主』と呼ばないのだろう。(だからってキモロン毛はないと思うけれど)

 『主様』は鷹に色々なことを教えて、鷹はそれを少しも疑わずに、『主様』の言葉がそのまま『鷹の常識』になっている。けれどこの『主様』は真面目の反対側に属する人のようで、すり込んだ情報のほとんどは、『冗談』や『嘘』だから、雅にはいい迷惑なことが多い。

(あるじさま、か。多分、チノメアカッコ仮の社長、ってとこやろう。)

 あとは、その『主様』とやらが与えたものなのか。鷹の右耳にはいつも、板チョコのようななにかがついている。それは恐らく『通信機』で、何度か雅の目を盗むようにコソコソと、その板チョコに話しかけている姿を見た。わざわざチョコの形にしてあるのは、チョコを食べているふりをして通信できるように、などと考えられているのだろうけれど、この鷹様がそんな思惑を察してくれるはずもなく、自慢するかのように、常に耳にかけられている。でも一応、雅が「耳の板チョコってなんなん?」とツッコミを入れると、ハッとした顔でそれを隠して、口笛を吹く真似をしてみたり、『バレてはいけない』という認識はあるようだ。が、それも一時間ほどしたら元に戻っているのだけれど。

(あらかじめ通信機を用意してまで、俺に内緒で連絡を取り合う言うことは、やっぱりなんかしらの目的があるんやろな。)

 百パーセントの善意で召使いを寄越しているわけではない。裏があることは最初からわかっていた。問題は、その裏がなにか、だ。わかりやすさに定評がある鷹だけれど、それは一向に見えてこない。

(わかりやすいと言えば、)

 初めて会った日から、時折鷹がなにかの拍子に『小指をピンと立てる』という癖を見せていた。最初は(行儀が悪いなぁ)くらいにしか思っていなかったのだけれど、箸やコップを持つときにはその癖が見られず、むしろ、なにも持っていないときにその癖が出ることが多々あった。なんとなく気になって注意深く調べていると、ある日の食後に、その癖の理由が判明した。それは、雅が食後のデザートを買い忘れ、「今日は無しや」と言ったあと、チノメアチョコ(仮)が残っていたのに気付いて、「これ、食べるか?」と聞いたとき。鷹は表情を変えずに、一度だけ頷いた、けれど。

 小指が、勢いよくピンッと立ったのだ。

(お前は猫か!)

 鷹の小指が立つのは、猫が尻尾を立てるのと同じ、『嬉しい』という感情から成る癖だ、と察した。本人は無自覚みたいだから、表情じゃわかりにくい鷹の感情を読み取る良いサインだし、と雅はあえて、気付いていないふりをした。

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