第15話 口論

 俺たちがつく頃にはすでに花火は打ち上がっている最中だった。


 河川敷には大勢の人が集まっている。立ち見している人がほとんどで、中にはシートに座って観賞している家族連れもいた。


 俺と空井野は人混みを避け、すこし離れた橋の上で見ることにした。


「はぁ……」


 橋の下を流れる川を覗きこむように手摺に体重を預けながら、ため息をつく。目の前で夜空を彩る花火が、どこか遠い世界のことに思えてくる。とても心中穏やかには観賞できない。


 右隣にいる空井野は夢中で空を見上げている。しかしその横顔は今までの涼しげな表情とは違い、どこか寂しげで哀愁が漂っていた。


 空井野は前を向いたまま言った。


「花火って卑怯ですよね。夜空に咲くのは一瞬だけですぐに儚く散っていく。瞬きをする間に勝手に消えて、まるで最初からいなかったように。そのくせ、自身が存在した残骸を落としていくんですから質が悪いです」

「いきなり何を言うかと思えば、お前は詩人か。誰もそこまで深く考えて見てねえよ」

「そうですか? 何事も人に例えてみると面白いですよ。――ほら、今の花火なんて安城さんにそっくりじゃないですか」


 ふふっと笑う空井野。


 先程のは確か錦冠というのだったか。花弁が垂れ下がって消えていく様が落ち込んでいる俺と似ているらしい。綺麗な花火なのにそう言われるとそのようにしか見れなくなってしまい、余計に惨めな感情が湧きあがってくる。


「べつに嫌われたわけじゃないんですから大丈夫ですよ」

「元凶に励まされても嬉しくない」

「まぁまぁ過ぎた話じゃないですか。お互いに行き違いした時は、何度だって話し合えばいいんです。安城さんにはその相手がいるじゃないですか。小さな誤解なんてすぐに解けますよ」


 安城さん〝には〟か。その言葉の陰には自身に対する憐れみのようなものが感じられた気がした。


 空井野は話題を変える。


「去年もここで見たんですか?」

「ああ、アカリと晴希たちとな」

「たち? 三人じゃなかったんですか?」

「晴希の兄貴と弟が一緒だった。今日は来てないのか、一緒に行動してないみたいだけど」


 あいつには兄弟が三人いる。社会人の兄が二人に、中学三年生の弟が一人。


「相馬さんの兄弟ですか。きっとイケメンなんでしょうね」

「ああ、誇張なく三人ともモデル並みに美形だ。あいつの両親は国際結婚で、父親はガテン系の強面だから、顔は外国人の母親に似たんだな。前に写真で見せてもらったことがあるけど、すごく美人で穏和そうな人だった」

「写真? 直接会ったことはないんですか?」

「母親はあいつが小さな頃に事故で亡くなってるんだ」


 父親は今でも再婚せずに男手一つで晴希たちを育てている。だからあんなに活発で気性が荒くなったわけだが。


「余計な詮索をしてしまったようですね。相馬さんの許可なく私に話してもよかったんですか?」

「問題ないだろ。あいつ自体あまり母親の記憶はないみたいだしな」

「……いろいろと苦労されているんですね」

「誰だって過去には何かしら辛いことや悲しいことがあるだろ。……お前にだって」


 空井野は、はいともいいえとも返事をしなかった。その視線は変わらず夜空に咲く花火を見続けている。あるいは花火なんて見ていないのかもしれない。


 ひととき、俺たちは無言で空を見上げていた。


 やがて空井野は手提げ袋の中からごそごそとスマホを取り出し、画面をつけてすぐに消した。


「すみません安城さん。ちょっとお手洗いに行ってきますね」


 どうやら時刻を見ていたようだ。そろそろ花火もクライマックスだし、それに間に合うか確認したのだろう。


「ここから近いのは待ち合わせ場所にした憩いの広場のトイレだけど、場所はわかるか?」

「はい。安城さんと落ち合うまえに行ったので大丈夫です」


 そう言うと、少し慌てた危なっかしい足取りで人混みに向かっていく。


 ついていったほうが良かっただろうか。しかし恋人でもないのにトイレまで付き添うのはどうかと。空井野も嫌だろうし。ここは大人しく待つことにしよう。


 絶えず打ち上げられる花火を見ながら、俺は二度目のため息をついた。


 結局、俺は今日なんのために夏祭りに来たのか。ゲームに付き合わされ金をなくし、晴希とアカリには誤解され恋をなくし。よく考えれば散々だ。損失しかない。


 あわよくば赤久真琴に関する情報が得られないかと思っていたのだが、それもなし。遠回しに訊いてみたりしたのだが、空井野は自分のことになるとすぐに話をはぐらかすのだ。ただの羞恥心からか、それとも話したくない理由でもあるのか……。


 大きな音とともに打ち上げられた彩色千輪。色とりどりの小花が夜空を埋め尽くすように一斉に開く様が、どことなく感情豊かなアカリに似ていなくもない。どうやら俺も空井野の見方に感化されてしまったらしい。


「人に例えると面白いか……」


 卑怯。質が悪い。彼女は一体誰に例えて言ったのだろうか。






「遅い」


 空井野が戻ってこない。ただのトイレにしては長すぎる。なにかあったのか。


 花火は終盤に差し掛かって派手さを増してきている。花火そっちのけで屋台に心を奪われているのならまだいいが、もし何かのトラブルに巻き込まれているならば放っておくわけにもいかない。


 どのみちここで一人待っているのも退屈だし、いつの間にか近くに若いカップルが来ていていたたまれないし。探しに行くか。


 俺は橋の手摺から体を離して広場のトイレに向かった。花火に夢中になっている人たちの間をうまく抜け、河川敷をあとにする。


 数分して到着。やはりここは人気がなく物静かだ。遠くで花火の音だけが聞こえてくる。


 広場の端に設置された、真四角の箱のような少し古びている公衆トイレ。


 来たはいいものの、女子トイレに入るわけにもいかないし、まだ中に空井野がいるか確かめるすべがない。他の人が利用している可能性もあるので外から呼びかけるのも躊躇われる。そもそもまだトイレ中なのか。どうせ待つしか方法がないのなら商店街のほうを探しに行ったほうがいいような気も。


 そんなふうに逡巡していると、不意にどこからか女性の大声が聞こえてきた。

 

 悲鳴ではなく、怒鳴りつけるような声。断続的に聞こえる声の方向を探ると、どうやら茂みに囲まれた木々の向こう側からしているようだった。


 怒声は一方的なので喧嘩や揉め事ではないようだ。母親が子供でも叱っているのか。こんな人気のないところで説教なんて、余程のことを仕出かしたのだろう。可哀想に。強く生きろよ。


 そう思って商店街に足を向けたときだった。


「そん――声をだ――いでく――い。誰か――ちゃいま――」


 子供ではない、聞き慣れた声がしたのは。


 小さくてはっきりとは聞き取れなかったが、口調からして間違いなく空井野のものだ。こんな場所で誰と会って喋っているのか。


 俺は迷わず踵を返して声を辿っていく。


 次第に明瞭になる激しい声音。状況は分からないが、どうも空井野が話している相手は相当にお怒りのようだ。やはり何かの面倒事に巻き込まれていたらしい。


 近くまで行き、樹木の陰に隠れて様子をうかがう。幸いなことに近場にある街灯の仄かな光が届いて視界は明るい。


 そこには、予期したとおり空井野と、俺たちと同じ年ぐらいの少女がいた。


 おでこを出したウェーブの茶髪に、憤ってより悪印象に映るツリ目。服は浴衣姿ではなく、黒Vネックにショートデニムのラフな格好で、手にはなにも握られていない。


 会話から察するに知り合い(空井野が名前で呼んでいる、相手はれいなというらしい)のようだが、お互いに距離をとって向き合い、ぴりぴりとした剣呑な雰囲気を放っている。とはいっても、怒気を露にしているのはれいなという少女のほうで、空井野は落ち着き払っているが。


 仲裁に入ったほうがいいか。だがこの状況の最中、俺が出ていけば話をややこしくしかねない。まずは耳を傾けて喧嘩? の内容を把握してから出ていくか決めよう。


 れいなが眉を吊り上げて空井野のほうに一歩踏み出した。


「――今さら……今さらなによッ、あれはもう終わったことでしょ!」

「そう声を荒らげないでください。ただ中学の友達に会ったので過去話をしているだけじゃないですか」


 どうやら中学の頃の同級生らしい。それにしてもまったく話の内容が見えない。


 空井野の場に不釣り合いな作り笑いが癪に障ったようで、れいなは睨めつける。


「……あんた、前となにも変わってないわね。人を無神経に苛立たせるところとか陰湿なところとか」

「そういうれいなさんも変わってないです。いつも感情に任せてキャンキャンと犬のように吠えて近所迷惑ですよ」


 れいなは眦を決して口を開いたが、そこから怒声は出てこなかった。今しがた空井野に馬鹿にされたばかりなので踏みとどまったのだろう。平静を装って話をつづける。


「で、アタシを脅迫するつもり? 言っておくけど、あれはあんたも同罪だから」


 ――脅迫? 同罪? いきなり出てきた物騒な単語に俺は不穏なものを感じた。空井野は何か彼女の弱みでも握っているのだろうか。


「嫌ですね~、脅迫だなんてしませんよ。さっきも言ったでしょう、あれはもう過去の話。れいなさんが忘れていないか確かめただけです」


 そう言いながら空井野は彼女に詰め寄っていく。


 怯んで後退していくれいな。やがて樹木に背があたる。


 空井野は顔から笑みを消し、耳打ちするように顔を近付けて言う。


「まさかとは思いますが、誰にも喋ってませんよね?」


 彼女のものとは思えない、どこか背筋が凍るような低い声が近場にいた俺の耳に届く。


「しゃ、喋るわけないじゃないッ! カナ達にも口止めさせてるわよ!」


 それが嘘か真か判断するように、空井野は疑念を含んだ鋭い目つきで見据える。まるで親の仇を見るような、憎悪に染まった瞳だった。れいなはまさに蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れないでいる。


 しかし、その緊迫した状態は長くは続かず、空井野は小さな息をつくと「そうですか。疑ってすみませんでした」と笑顔で言って彼女から離れた。


 その打って変わった態度が気に入らなかったのか、はたまた慄いた自分に腹が立ったのか、れいなは怒りの形相で空井野の浴衣の襟元を乱暴につかみ引き寄せる。


「調子に乗んなよ! アタシの弱みを握ったからっていい気になりやがってッ!」


 激しい剣幕に、だが空井野は冷ややかな視線を送るだけだ。


 れいなは何かを恐れるように叫ぶ。


「あ、アタシはッ! アタシは殺してない! あれは事故なのよ、アタシは関係ない!」

「関係がないですか。まぁたしかに直接はないですけど、結果をみれば私たちのせいなんですよ。れいなさん達は中心人物といっていいほど事件に大きく関わっている」


 感情の見えない淡々とした空井野の口調。


「自覚してください。そして忘れないでください。あなたの……私たちの罪は一生消えることはないんですから」

「――――ッ!」


 そのとき、背後で一際大きな花火が上がった。暗闇を照らす赤色の閃光。


 しかし一瞬たりとも花火に見惚れることなく、れいなは忌々しそうに空井野を睨み続けた。また、空井野もれいなから視線を逸らさなかった。


 やがてれいなは舌打ちし、突き放すように襟元から手を離すと、


「……ほんと、あんたって最低な人間よ」


 呪詛のようにそう呟いてから、一瞥することなく去っていった。


 彼女が姿を消したほうを見つめながら、しばらく空井野はぽつんと一人佇んでいた。その横顔から心情を窺うことはできない。


 程なくして空井野は歩き出し――――こっちに向かってきた! 


 やばい。このままでは盗み聞きしていたことがバレる。


 しかし彼我の距離は短く、新たに隠れる時間もなかった。


 結果、苦肉の策とでも言わんばかりに身を屈めていた俺とばっちり目が合う。


「え、安城さん……なぜここに……こんなところでなにを……?」


 戸惑いを通り越して呆然とする空井野。この状況では言い訳を考える暇もない。


 俺はゆっくりと立ち上がり、場を取り繕うような作り笑いを浮かべた。


「こ、ここにいたのか~。あまりにも帰りが遅かったから心配になって探しにきた……」

「さっきの話きいていましたか?」


 俺の必死の演技を遮って直球に訊いてくる。真剣でいて訝しげな眼差しだ。やっぱり先程の話は他人に聞かれたくない部類のものだったらしい。


 気遣うのならば聞いていないことにしたほうが良さそうだが、相手は空井野だ。嘘をついたところで看破されるのがオチなので(それにポーカーフェイスは得意ではない)正直に頷いた。


「どこから?」


 すかさず問い続けてくる。声を聞きつけたときにはすでに空井野たちは対峙していたから、最初からではないだろう。


「たぶん途中から……れいなって子が怒鳴りはじめたあたり……」

「……そうですか」


 元気のない声でつぶやき、顔を俯かせる。


 自分達の会話を密かに聞かれていたと知ってどう思ったのだろうか。彼女達が話していたことは、恋話や陰口などのただの秘密事で済ませられる内容ではなかった。それこそサスペンスドラマである犯人と共犯者の会話のように。


 つまり俺は聞いてはいけないものを聞いてしまったのちの被害者。空井野からみれば自分達の秘密を握った厄介な人間。


 先ほど彼女が見せた射るような目つきが脳裏に浮かび、あれが自分に向けられると思うと内心恐怖でひんやりとした。


 そんな俺の想像とは裏腹に、空井野は一旦顔を上げると、「心配をおかけしてすみませんでした」と頭を下げて謝ってきた。


 予想外の行動に言葉を失う。てっきり、盗み聞きを咎められる、罵詈雑言が飛んでくる、刺される、の三パターンだと思っていたのだが。


 空井野は困ったような笑いを浮かべて言う。


「先程の話はお気になさらず。お手洗いから戻る途中に偶然、中学の頃の同級生と会いまして。その……彼女とはケンカ別れした気まずい関係で、ついつい過去のことで口論になってしまっただけですので」


 それが嘘であることは明白だったが、彼女の気苦労した様子をみると問い詰める気にもなれなかった。


 空井野は河川敷のほうの空を見上げ、「花火……終わっちゃいましたね」と寂しげに呟く。


 次の花火が打ち上がる気配はない。どうやら先程のが最後だったらしい。ぼちぼちと観客も帰って今年の夏祭りも終わりを迎えるだろう。


 どこか気まずくて黙っていると、空井野は優しく微笑んで言った。その表情はいつもの彼女に戻っていた。


「すみません安城さん。色々と体験して疲れちゃったのでもう帰りますね。今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとうございました。初めての夏祭り、とても楽しかったです」

「お、おう。こちらこそ……」

「では、また明日学校で」


 そう言って広場の出入り口へと向かっていった。


 俺は彼女の後ろ姿が暗闇の中に溶け込んでいくまで視線を逸らせなかった。

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