第2話 残念美少女、戸惑う。

 周囲に広がる水面、その所々から黒っぽい木が突きだしていた。

 明らかに、くみ取り便所の中ではない。

 だいたいくさくないし。

 それこそが最初に感じた違和感の正体だった。


「来ましたっ!」


 背後から聞こえる若い男性のこわばった声が、危険を知らせる。

 水面からつき出たいくつかの背びれが、滑るようにこちらへ近づいてくる。

 それほど大きな背びれではないが、どう見ても人なつこい魚ではなさそうだ。


 近くまで来た背びれが宙に舞う。

 水中から飛びだしたのは、ピラニアによく似た魚だった。

 大きく開けた口の中には、びっしり並んだ鋭い歯が見える。

 大きさは、一メートル近くあった。

 歯をカチカチ鳴らしながら襲いかかる魚に、私は冷静に対処した。

 右手を握ると、飛びかかる魚にタイミングを合わせ、身体を捻る。

 

 ゴンっ


 私の拳が魚の左目と鼻の間を強打する。この魚が地球のそれと同じなら、その辺が急所のはずだ。

 

 バシャン


 動かなくなった魚が、私の側で水に浮いた。

 しかし、さらにいくつかの背びれが、周囲で円を描いている。

 水しぶきを上げ、水面から跳ねた魚が次々と襲いかかってくる。


 ゴッゴッゴッゴゴーン


 私の左右の拳が、襲いかかる魚を次々と撃墜する。

 静かになると、立ち泳ぎする私の周囲に、六七匹の魚がプカプカ浮いていた。 

 さっき声がしていた方をふり向くと、外国人らしき若い男が小舟の上で口を大きく開けたまま固まっている。

 平泳ぎで船に近づき、舷側に手を掛け身体を持ちあげようとする。

 すると、小舟がぐらぐら揺れた。


「ま、待ってください、舟が! あ、ダ、ダメですっ」

 

 大きく横に傾いた舟で男が悲鳴を上げる。


 ザパンッ!


 小舟は、見事にひっくり返った。


 ◇


 水面から突きでている木を利用し、なんとか小舟を起こした私と男は、散々苦労したあげく、やっとそれに乗りこんだ。


「し、死ぬかと思いましたよ」


 開けたくない目を開けさせられた件があるので、私は、ぼそりと言ってやった。


「死ねばよかったのに」


「えっ?」


 外国人の青年は、私の言葉が聞こえなかったのか、頭の片側をしきりに叩いている。耳に水が入ったのだろう。


「ところで、ここどこだ?」


「えーと、ここと言うのは?」


「この池とかこの場所とか、とにかく全部だよ」


「えー、どういうことかよく分かりませんが、ここは『青沼あおぬま』という場所です。

 キンベラの北東部にある池なんですが……」


「きんぴら?」


「キンベラ国です」


「他にどんな国があるの?」


「ええと、南東にアリスト、サザール湖を越えて南にマスケドニアですね」


 どうしよう、全然知らない国名ばかりだわ。

 しかも、外国っぽい名前だし。

 あ、そうだ。


「あんたのせいで、さっき目を開けちゃったじゃない」


「でも、そうしないと、グワッシュに……」


「それはそれ、これはこれよ。よくも、目を開けさせてくれたわね」


 ブロンドの頭髪ごしに、右手で彼の頭をワシづかみにする。


「思い知れ、これがホントのグワッシュだっ!」


「い、いたたたたた、痛い、痛い、ひーっ!」


 男が涙と鼻水、よだれを流している。あ、やばい、こいつ気を失いかけてる。


「まあ、今日の所はここまでにしといてやる」


「……」


 手を離すと、若い男は舟底にぐったりと横たわった。


「ヘイクション! 寒くなってきたわ。濡れた体を乾かさないと。岸に向かって漕ぎなさい」


「ハァハァ、少し休ませて――」


「もう一度、グワッシュしてもらいたいの?」


「ひ、ひいい、漕ぎます、漕がせていただきますー!」


 男は小舟の中で、なるべく私から体を遠ざけるような位置に座ると、二本のオールを出して漕ぎだした。


「トロトロすんなよっ!」

 

「ひ、ひゃいいいっ!」


 ◇


 しばらくして、小舟は葦のような草が生いしげる岸へ着いた。


「も、もうダメ、死ぬ……」


 一人で漕ぎっぱなしだった青年は疲れ果てたのか、舟からよろめき出ると草の上へぱたりと倒れこんだ。


「死ぬだ? 本当にここで死ぬか?」 


 四本貫き手を突きおろし、横たわる若者の顔寸前でとめる。


「きゅ。。。」


 あ、ちょっとやり過ぎちゃった。

 気絶しちゃったわ、こいつ。てへ。

 ぐったり倒れている彼の上半身を起こすと、背中から活を入れる。


「……はっ! こ、ここは? 黒髪の美少女に殺されかける悪夢を見ましたよ」


 意識を取りもどした男は、キョロキョロと周りを見まわした。

   

「そうか、そりゃひどい夢を見たな。とにかく、人が住んでる所まで連れていけ」


「えーっ? でも、まずはこの舟を船着き場に持っていかないと」


「ここで死ぬのと後で舟を取りに来るの、どっちがイイ?」


「も、もしかして……」


 若者はブルブル震えだした。どうやら、殺されかけたのが現実だと気づいたらしい。


「とっとと歩け!」


 私にお尻を蹴られた彼は、肩を落として歩きはじめた。


「ボ、ボク、冒険者に向いてないかも……」


 なんだよ、その『ボウケンシャ』って。

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