第1章 残念美少女、異能に目覚める
第1部 残念少女、落ちる
第1話 残念美少女、落ちる
「ツブテ、お早う!」
雨傘を畳み、元気よく声を掛けてきたのは、頭髪をショートにしたボーイッシュな女の子だ。
下の名前で呼ぶのを許している友達は、彼女一人だけだ。
「ああ、
楓が私に顔を寄せてくる。
「あんた、昨日、何したの?」
「何って?」
「あんたが牧野先輩を振ったっていう話が広がってるよ。しかも、リアル壁ドンで」
「ああ、振ったよ」
「ど、どうしてよ!? イケメンで頭良くてスポーツもできる。実家も大きな医院でしょ。ひとまず、つき合えばいいじゃん」
下駄箱に靴を突っこみながら、楓は呆れたように言った。
「そんなこと言って、私がヤツを振った理由も分かってるでしょ?」
「……いや、それは知らないけど」
その言葉が嘘だと分かる程には、楓とのつき合いは深い。
「しかし、これで何人目よ」
「二十人目くらいから数えてないよ」
「……あんたは、どうして『こう』かねえ」
彼女は言葉をぼかしたが、本人である私は当然その『こう』の中身を知っている。
残念美少女。
それが私に対する周囲のイメージだ。
◇
身長百五十五センチ、体重その他は秘密。
長い黒髪、色白で西洋人形のようなほっそりした体形と顔立ち。
私の事をよく知らない人は、「大和撫子」が私のイメージだと言うが、楓によると、私の本性はむしろ「戦国武将」なのだそうだ。
スカートが人より長いのも、みんなが可愛いからと短くしたそれを私だけ普通の長さのままにしているからだ。
「なぜ、幼稚な男に
楓によると、そんなことを言うあたりが戦国武将っぽいそうだ。
だからといって、私だってお年頃なのだ。好きな人くらいいる。
ただ、その人が今どこにいるか分からないのが問題だ。
もしかすると奇跡が起こり、その人に会えるかもしれない。
なぜなら、私は明日その人が住んでいた家を訪れるからだ。
◇
その人の家は、遠く離れた県の、しかもすごい山奥にある。
「おじいちゃん、来たよー」
建てつけが悪くなり、ガタピシいう引き戸を開き家の中に入る。
築百年を超えている日本家屋は、いたるところから小さく黒い、イガイガ妖怪が出てきそうだ。
「おお、来たか」
奥から背筋がぴんと伸びた小柄な老人が出てくる。
この人が私の祖父、
某古武術の宗家である彼は、自分の名前が伝説の剣聖と一字違いだというのが自慢だ。
「マサ
「まだ、戻っとりゃせん。それより、二三日はゆっくりできるんじゃろ?」
「いえ、明日には帰るそうです」
「浩二にはワシから言うておくから、一週間ほど居たらええ」
いえ、結構です。
そこへ、父が玄関から入ってきた。
「ただいま、お父さん。ツブテの学校があるから、明日夕方には帰りますよ」
「学校より修行の方が大事じゃぞ!」
「ははは、父さんは相変わらずですねえ」
「お前は、なんも分かっちゃおらん! ツブテは古武術の天才じゃぞ。このままじゃ、宝の持ち腐れじゃ」
「まあ、とにかく。その後、マサムネ君の行方は分かりませんか?」
「ふん、さっぱりじゃ。布団だけが無うなっとるのが、どうにも腑に落ちん」
「とにかく上がらせてもらいますよ」
「次に来るときぁ、お前はついてこんでええぞ」
「いや、ここって車がないと来れないから」
「駅から歩きゃええじゃろ」
「一時間半は掛かりますよ。マサムネ君がいなくなったのも、その辺が理由じゃないのかなあ」
「マサムネとお前のような軟弱者を一緒にするな! マサムネはな、ヤツはな……」
おじいちゃんはくるりと背中を見せると、家の奥へと入ってしまった。
「やれやれ。だけど、あれだけ元気なら心配いらないかな」
マサムネ兄さんがいなくなったのは、一年半ほど前だ。
当時は山狩りまで出て大騒ぎになった。雪が多い時期だったので、捜索は一週間で打ちきりとなった。
みんな兄さんが死んだと思っているが、おじいちゃんと私だけは絶対生きていると信じている。
古武術、サバイバル技術ともに一流の兄さんが死ぬはずがない。
ああ、「兄さん」と呼んでいるが、彼は私からすると従兄にあたる。
そして、私の初恋の人であり、今も忘れられない人だ。
マサムネ兄さんと比べると、学校で言いよってくる男子など、子供っぽくて仕方がない。
大体、体術で私に及ばない男子なんかとつきあう気など毛頭ない。
え?
だから、「戦国武将」?
誉め言葉と受けとっておこうか。
◇
料理の支度を終え、同時にお風呂の準備もした私は、畳の六畳間でくつろいでいた。
この家って電気は来ているけど、台所も風呂場も、いまだに薪が火力なんだよね。
暖房が無いので、持ってきた電気毛布にくるまる。
しかし、部屋の寒さが電気毛布を通して中まで入ってくるから、気休めでしかないんだよね。
ここはマサムネ兄さんが使っていた部屋だ。
兄さんは、確か六歳から十年間ここで暮らしたそうだから、この寒さにも慣れていたのだろうか。
そう考えると、身体がほかほかと温かくなるような気がした。
◇
祖父の家で最大の問題は、ときどき現れる大きな
トイレだ。
ここのトイレは、いまだにくみ取り式で、穴から下をみると、地面に埋めた大きな壺とその中に溜まった何かが見える。
それを目にした母は、以来ここに来るのを拒んでいる。
もっとも、その何かの中に、マサムネ兄さん成分があると思うと胸の辺りがキュンとする、
だから『残念美少女』だって?
放っといてくれ。
私はキシキシ音を立てる木製の便器らしきものにまたがり、ジャージのズボンを降ろそうとした。
その時、左足で踏んでいた板がピキリと音を立てた。
ヤバいと思った瞬間、左足がガクンと下へ落ちる。
腐りかけていた床板が割れたのだ。
古武術の技で瞬時に右足へ体重を移した私は、落下をまぬがれるはずだった。
ところが、右足の下でも音がした。
ピキリ
や、やべーっ。
床板を踏みぬき落下していく一瞬の間に、思考がくるくると回る。
私は、「ツブテ」という名前を変えられるかもしれない。
汲みとり便所に落ちた人は名前が変えられる、そう聞いたことがある。
だって、ツブテって投げる武器のことだし。
◇
ジャブン
つ、冷たい。
深い。
今のでなにか漏れた。
あ、でも便所壺の中なら大丈夫?
全然大丈夫じゃない! もう死にたい。
頭の先まで液体に浸かった私は、目を閉じたまま、自分の体が浮き上がるのを待った。
なぜなら、足が着かなかったから。
いったいどんだけ大っきな便所壺を使ってんのよ、おじいちゃん!
ザパン
やっと頭が液面に出る。
絶対に目は開けたくない。
しかし、何か違和感がある。
「危ないっ!」
突然、誰かの声が聞こえて、思わず目を開けちゃったじゃない。
お前、コロス。
「グワッシュが来ますよっ!」
若い男性の声がするが、私は呆然としていてそれどころではない。
周囲には青い水面が広がっており、上を見ると青空がある。
近くに浮かんだ小舟から身を乗りだした青年が、驚いた顔でこちらを見ていた。
ど、どこなの、ここ? 少なくとも便所壷のなかじゃあないわね。
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