Ⅵ-Ⅰ まるで『桜の露』ですね。

お互いに本名を告げたあと、司は雷門のほうへと目を遣った。


「それじゃー、さっそく浅草公園に行きましょうか。」


「そうですね。――案内をお願い致します。」


言って、熾子は司の手を握る。


司は少し驚いたが、熾子はにこにことしたままだ。


――これ、韓国人式のスキンシップ?


とりあえずは、はいと答え、その手を握り返す。周囲の視線が少し気にかかったが、そのまま二人で手をつないで歩き始めた。


――なんか気恥ずかしい。


「私、一目見て司さんだってこと分かりましたよ。」


「私もそんな感じです。」司は少し俯く。「待ち合わせ場所を決めてたせいでもあるんですけど、ネット上のやり取りだけでも、それっぽい雰囲気が出るのかもしれませんね。」


ふっと、熾子は不安そうな顔となる。


「ところが、私の日本語ってどこか変じゃないですか?」


「全然変じゃないですよ? 聞いたところ、『つ』も自然に発音できてますし。普通に日本人が話すのと変わりないと思いますけど。」


「そう――ですか。」


しかし、熾子は表情を変えなかった。


「私の髪や目の色って、変じゃないですか? その――紅い髪や瞳の人って、あまりいない思うんですけど。」


「いえ、全然変な感じはしませんが。綺麗な色してますよ?」


そうですかと言い、熾子は自分の髪に軽く触れる。


「これ、染めてるわけじゃないんです――信じて頂けないしれないんですけど。眼の色だって、天然のはずなんですよ。」


「ふぬ?」


司は首を傾げる。


「そんなこと、見れば分かると思いますけど。」


「そう――なんですか?」


「ええ。もし髪の毛を紅く染めちゃったら、ポスターカラーをべったり塗ったみたいに不自然な感じになると思うんですよ。けど、熾子さんの髪は花や鉱石みたいに自然な感じの韓紅からくれないです。」


「からくれ――?」


「ああ――。濃くて鮮やかな紅い色という意味です。」


「からくれない、ですか。」


熾子は宙を眺め、そして再び司に視線を遣る。


「けれども、天然で真紅まっかな髪の人っていませんよね?」


「えっ?」


一瞬、頭の中が白くなった。


「あっ――ああ、ああ、そうか。よく考えたらそうですね。」


「気づかれなかったんですか?」


「ええ――。よく考えたらそうだなって感じです。けど、変ですね。私、どうして今まで気づかなかったんでしょう?」


言っているうちに、司は混乱してきた。


「あれ――? けれど、明らかに変なものだったら、一目で気づくはずですよね? それなのに、どうして今になって変だと思えてきてるんでしょうか?」


「それは、私から指摘されたからじゃないんですか?」


「そうではあるんですよ。けど、熾子さんの髪は天然でしょう?」


「そうですけれど。」


「なら、何も気にすることはないじゃないですか。」


「そうですか?」


「ええ。たとえ髪の色が真紅まっかな人がいたとしても、何も問題はないじゃないですか。もし生まれつきの髪や瞳の色を問題視する人がいたとしたら、問題はそういう人にこそあると思います。」


「そういう――ものなのかな?」


熾子は釈然としていなさそうな顔をしている。


そして、このようなことを言った司自身も、何かが奇妙に感じられていた。何か引っかかりを感じるのだが、それが何であるのかさっぱり解らない。まるで狐につままれたかのような気分である。


ひょっとして自分は揶揄からかわれたのであろうか。


アーケードを抜けた先に雷門はあった。そこから先が浅草寺の境内である。真っ直ぐに伸びた参道の石畳を商店街が挟んでいる。ほとんどは土産物屋だ。どこからか人形焼の匂いが漂っていた。


熾子はそんな土産物屋の一つへと引き寄せられて行った。そして、七宝の小さな桜がついたヘアピンへと興味を示す。


「これ、いいですね。――今の私にも似合えばいいんですが。」


「似合うと思いますよ。子供っぽくて可愛いと思います。」


「本当に似合うと思ってるんですか?」


「もちろんですよ。」


勧められるがまま、熾子はそれを購入した。


参道の奥に建つ楼門の両側には、既に桜が見えた。


浅草寺に参詣し、浅草公園へと這入はいる。


満開の桜が夜雨よさめ名残なごりを滴らせていた。


限界まで開かれた花びらが、しずくの重みに耐えかねて空から降っている。暗い雨の夜が明けた今、蒼穹あおぞらの下のこの吹雪がある。


「まるで『桜の露』ですね。」


言って、司はふと昨年のことを思い出した。


「そういえば、去年の今頃でしたよね――知り合ったのって。」


「ええ――。最初は、私が『桜の露』についてつぶやいたんですよね? そしたら、日本人から韓国語で返信されて驚きました。」


――Tilacis 을ティラシスル 좋아합니까ヂョアハムニカ?(Tilacis がお好きですか?)


「なので、私も嬉しくなって、すぐに返信をしてしまいました。」


――ネー좋아합니다ヂョアハムニダ.(はい、好きです。)

  ところが、私は日本語を話しますが?


Tilacisティラシス は日本の女性歌手グループだ。頭に寿司ネタを載せた姿は散らし寿司に似ている。『桜の露』はそんな彼女たちの楽曲である。


「そうだったんですか? 私は、熾子さんから日本語で返信されて驚いたんですけれども。」


「いや、だって――韓国で日本語を習う人は多いが、日本で韓国語を習う人は少ないじゃないですか。韓国の高校には第二外国語の授業があって、私もそこから習い始めたんですけどね。」


「へえ――。高校から第二外国語あるんですね。」


「まあ、みんなが勉強してるわけじゃないですけど。」


それから数時間、二人は浅草公園や隅田公園のあちこちを歩き回った。昼食は、屋台から焼きそばやたこ焼きなどを買って食べた。


隅田公園を歩いている最中、熾子は先ほど購入したヘアピンを髪に挿した。真紅の中、花びらほどの大きさの花が咲いた。ちょうど、空から降ってきたものが髪に着いたようでもある。


「どうです?」


「ええ、似合ってると思いますよ!」


少し正直なことを言えば、大人びた熾子には少し不釣り合いな感じがする。司は、やはり子供っぽかったかなとも思った。

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