【幕間】中学時代Ⅱ

司が韓国のことを嫌いになったのは、例の歌手グループの歌を初めて聴いてから、半年も経っていない頃のことである。唐突にやって来た恋は、冷めるのもまた早かった。


ネット上に嫌韓的なコメントが多いことは以前から気にかかっていた。好きな歌手のことを調べていても、中傷は厭でも目についた。


――日本で活動して金持って帰って来て韓国で反日するゴミ。


――反日ばかりしてるくせに日本には友好ばかり求めてくる。


――在日が宣伝して買ってくれるんだからいい商売なんだろ。


できれば不愉快なコメントは目にしたくはない。けれども、その量の多さが気にかかるようになっていったのだ。


なぜこんな書き込みがあるのか――。


気になってネットで検索をかけてみた。


司を動揺させたのは、文章よりも画像のほうであった。


最初に見たものは、サッカーの会場を写したものであった。韓国人の観客が、「日本の大地震をお祝います」と書かれた横断幕を掲げていた。ちょうど、東日本大震災のあとに撮られた写真だという。


日本人の感情を逆撫でさせる画像はいくつも現れた。


あるものは日章旗を踏みつけたり、千切ちぎったりしていた。


あるものは仔豚や犬を日本人に見立て、生きたまま引き裂いていたり、首を斬り落としたりしていた。


特に信じがたかったのは、韓国の中学生が描いたポスターであった。


そのポスターは教育の一環として描かれたものであり、地下鉄の構内に、つまりは公衆の面前に掲げられていたという。日本に核ミサイルが撃ち込まれていたり、日本人が機関銃マシンガンで撃ち殺されていたりする様子が拙い筆致で描かれていた。


司はパソコンを閉じた。


一部のものを拡大しただけではないか――とも思った。


しかしそれならば、あのポスターは説明がつかない。司だって、学校でポスターの一つや二つは描かされたことがある――交通安全や環境美化の大切さを訴えるものならば。それが韓国では、隣国への虐殺と憎悪をあおるものになるのか。


――どうしてこんなことが起きているのか?


それからはネガティヴな韓国情報も積極的に取り入れていった。


かつて日本が韓国を侵略したからか――とも考えた。自分の国が朝鮮に対して行ったことくらいは、歴史の授業で習っていた。


けれども、その考えが打ち消されるまで時間はかからなかった。


ネットで検索をかけてゆくうちに、日本の朝鮮統治は意外にも幸福なものであったという主張を知るようになったからだ。そこには、日本は朝鮮に文明を与え、教育を与え、参政権を与えたと書かれていた。


そのうち、司はK‐POP歌手のポスターを自分の部屋から剥した。


嫌悪の心からではなく、羞恥の心からである。


それまで、司にとって日本という国は空気のような存在であった。しかし、自分はこの歌手グループとは違う『民族』なのだということが、急に強く意識されたのだ。それに気づかず、異国の歌手グループにうつつを抜かしていたことが恥ずかしくなった。


持っていたCDも次第に聴かなくなった。


音楽を聴いていても妙に胸につかえるものがあり、どのような演奏も歌詞も心に響かなくなったのだ。やがてそれらは抽斗ひきだしの奥底へと仕舞われ、二度と聴かれることはなくなった。

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