Ⅵ よし、発射しろ!

『蠍』を乗せたワゴン車と『射手』を乗せたワゴン車は、秋葉原広末町附近で合流した。二台のワゴン車は中央通りの路肩に停まり、別動隊である『鷲』『白鳥』の到着を待った。


中央通りは秋葉原を南北に縦断する片側三車線の大通りである。猟人らは、南から来る予定のデモ隊を東側の車線で待ち受けている。


やがて対向車線に二台のワゴン車が現れ、猟人から数十メートルほど離れた北側の路肩に停まった。予定どおりである。


無線機が雑音を鳴らし始めた。


「こちら、『鷲』。攻撃地点に着きました。どうぞ。」


「こちら、『白鳥』。攻撃地点に着きました。どうぞ。」


猟人は送信機を手に取る。


「こちら『蠍』。『射手』とともに既に攻撃地点に着いている。『白鳥』『鷲』には、是非とも全力でデモ隊を喰い止めていただきたい。時期が来たら一斉にゲヴァルトを開始するので、指示があるまで各々待機するように。どうぞ。」


「こちら『白鳥』。諒解しました。どうぞ。」


「こちら『鷲』。諒解しました。どうぞ。」


「こちら『射手』。諒解しました。どうぞ。」


「こちら『蠍』。連絡事項は以上である。何か異常があったらすぐ連絡をするように。」


言い終え、送信機をいた。


今、車内は静かである。全員が全員、頭にヘルメットを被り、口元にタオルを巻いている。この格好をするのも三十年ぶりか。


先ほどまで譫言を発していた柳田も、今は虚ろに宙を眺めていた。ヘルメットとタオルは他のメンバーと変わりがないが、下半身はおむつしか履いていない。そもそも今の状況も理解していないようだ。


やがて騒音が聞こえてきた。太鼓の音と、何かを叫ぶような声が。


先方車窓フロントグラスに顔を寄せ、外の景色を窺う。


数百メートルほど前方にデモ隊の先頭が見えた。先頭を走るのは現場指揮車である。車体の上に設けられた櫓には二、三名の機動隊員が乗っている。続いて走るのは遊撃車と呼ばれる車であり、警光灯が二つ付いた真っ黒なワゴン車のような形をしていた。


デモ隊はその数メートルほど後ろからついて来ていた。先頭には「日韓の国交を断絶せよ」と書かれた横断幕を掲げた人々がいる。街宣車はその後ろを走っていた。演壇では今、一人の男が演説している。


「日本人に成りすました朝鮮人を炙り出せ!」


「見よ! 真理を見る目を失ったあの群衆を!」


猟人はデモ隊を指し示した。


「あれを、ただのヘィトスピーチなどとは思ってはいけない。あれは、就職難や格差社会に絶望し、資本家どもの搾取により奴隷的根性を叩き込まれ、抗う術を失ってしまった者たちの絶望の叫びなのだ! もはや彼らにとっては、異民族を排斥する以外に人生の愉悦たのしみというものが失われてしまっておる。遺憾ながら、もはや奴らにはゲヴァルトによる総括以外に救済の道は残されていないのだ。そういう、共産主義化できない悲しいやつらなのだ!」


革命戦士たちは、真剣な顔で猟人の言葉を聞いていた。ただ柳田のみが、高価な玩具を欲しがる子供のような、ぼんやりとした目でその光の群れを眺めている。


「ええのう、若いもんは。」


やがてデモ隊は近づいてきた。


現場指揮車と遊撃車が猟人の目の前を通り過ぎる。続いて、小さな灯火の群れが対岸を進んでいった。現場指揮車は猟人から見て後方へと去り、『鷲』『白鳥』の手前まで近づいた。送信機を手に取り、『鷲』と『白鳥』に指令を下す。


「今だ! 道を塞ぐのだ! どうぞ。」


「こちら『鷲』。諒解しました。」


「こちら『白鳥』。諒解しました。」


二台のワゴン車が動きだし、デモ隊の行く手を塞いだ。デモ隊の動きが止まる。現場指揮車のスピーカーから警告の声が発せられた。


「そこのワゴン車! すぐさま立ち退きなさい! 車道上に車輌を停車させてはならない!」


『白鳥』のワゴン車の天窓サンフールから、ヘルメットを被った佐代子が上半身を出した。虹色平和旗レインボゥフラッグを掲げ、マイクを片手に演説を始める。ちょうど、女児が喧嘩相手を挑発するような声であった。


「ドネトウヨで糞ネトウヨのみなさぁーん! こぉーんにちはぁーっ! こちらはぁー、世界平和の敵・日本の癌である、恥ずかしぃー恥ずかしぃーレィシストの屑どもの行動を止めるための市民団体でぇーす! ネトウヨのみなさあーん、そぉーんなふうにぃー愛国者の皮を被ってぇー朝鮮の人たちやぁー中国の人たちをぉー中傷していてぇー満足ですかーぁ? ふふっ。ネトウヨォー、ネトウヨォー、ネートウヨォー、ネートーウーヨー! ウヨーン! うふふ。」


何だとこの野郎――とデモ隊から怒声が上がった。


現場指揮車から再び警告の声が発せられた。


「そこのデモ隊! 君たちは一体どこの許可を取ってデモをしているのか? 今すぐ立ち退きなさい! 後ろから来るドライバーの皆さんが通れないでいる! 許可を受けた正規のデモ隊のみならず、歩行者やドライバーのみなさんも迷惑している! 今すぐ立ち退きなさい!」


何人かの巡査や機動隊員たちが、『鷲』と『白鳥』のワゴン車に近寄ってきた。ワゴン車の中や佐代子へ向けて何事かを叫んだり、車窓をノックしたりする。


見兼ねた機動隊員の一人が、『白鳥』のワゴン車の上へとよじ昇ろうとしてきた。そのヘルメットを、革命戦士の一人が鉄パイプで勢いよく叩く。機動隊員は、何事かを叫んでワゴン車から落ちた。『白鳥』のワゴン車の扉が開き、何名かの革命戦士たちが出てきて、機動隊員たちを鉄パイプで殴り始めた。


『鷲』の天窓もまた開き、革命戦士たちが機動隊やデモ隊へ向けて投石を始めた。猟人は、今はそれを静観するしかなかった。


佐代子はなおも演説を続けている。


「ねえねえ、ネトウヨ君? 何で君たちはぁーいっつもアジアの人たちを傷つけるデモしたりぃー、デマ流したりしてるのぉー? もうちょっとみんなと仲良くしようよー。他にやることないのぉー? 彼女を作ったりぃー、女の子と手をつないだりしたことあるのぉー?」


断交デモの街宣車の上に主催者の男が昇り、演説を開始した。


「おいこの在日朝鮮ババア! 俺たちはテメェーらみたいな在日チョンの極左を日本から叩き出すためにデモしてんだよ! お前らみたいな犯罪ばかりして日本人に迷惑かける在日どもは日本から不要なんだよ! ふ・よ・う! 一体誰の許可取ってそこでデモしてんだよ! この■■■■朝鮮ババア! さっさと朝鮮に帰って糞酒でも呑んでろ! 犯罪者の子孫! 密航者の子孫!」


石礫が飛んできて、主催者の男の頭を直撃した。男は叫び声とともに頭を抱える。しばらくはそのままの姿勢で動かなかったが、やがて頭を上げて演説を再開した。石礫を受けてか、男の言葉はなおのこと過激で差別的なものへと変じた。


デモ隊もまた飛んできた石礫を拾い、前方へ投げ返し始めた。


色のついた雫が水時計の中で落ちるように、後ろからやって来た光が前へと溜まってきた。水辺に集う蛍のようでもあったが、かつて見たことのある蛍よりも遥かに多い。まるで火の粉を散らすようでもある。


無線機が雑音を鳴らし、『白鳥』からの連絡が入った。


「こちら『白鳥』です。機動隊が、そろそろ強制排除に出てきそうです。どうぞ。」


送信機を手に取り、猟人は返答する。


「分かった。もうそろそろゲヴァルトに入る。」


無線機についているダイヤルを回し、全ての部隊へと通達を下す。


「こちら『蠍』、ゲヴァルトの用意にかかれ。射出機カタパルトに爆弾を装着し、照準を合わせろ。号令と同時に一斉に点火し、そして撃ち出すのだ。どうぞ。」


「こちら『白鳥』、諒解しました。どうぞ。」


「こちら『鷲』、諒解しました。どうぞ。」


「こちら『射手』、諒解しました。どうぞ。」


猟人は車内のメンバーへ向かい、指令を下す。


射出機カタパルトに爆弾を。照準を合すのだ。」


諒解――と言い、彼は両腕で射出機カタパルトのレバーを引いた。


射出機カタパルトは、ゴム仕掛けで爆弾や火焔瓶を射出する武器である。四角柱の銃身を持った巨大な銃のような形をしており、引き金や銃握に相当するものも付いている。いしゆみというのは、本来はこのような武器を指すのかもしれない。


爆弾が銃身の後部から装填された。爆弾は手の平ほどの大きさのかんである。濃紺に塗装されており、蓋は銀に輝いている。そこに書かれた文字を目にし、猟人はふと思考が止まった。今まで随分と長いあいだ忘れていた何かを思い出したような気がしたからだ。


雑音と共に無線機が鳴り、猟人は我を取り戻した。


「こちら『白鳥』。準備ができました。指令を下さい。どうぞ。」


「こちら『射手』。準備ができました。どうぞ。」


「こちら『蠍』。準備ができました。どうぞ。」


猟人は送話器の向こうと、目の前の彼へ向けて声をかける。


「よし。導火線に火を点けろ。」


彼はライターを取り出し、導火線に着火する。線香花火のような光が飛んだ。


「よし、発射しろ!」

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