Ⅲ デモが始まる時刻となりました!

日没が近づきつつあった。


淡路公園は高いビル群に囲まれた中庭のような場所であった。その一面は見渡すばかりの人で溢れている。彼らはそれぞれ、日章旗やら旭日旗やら、あるいは「朝鮮人を叩き◾️せ」だの「朝鮮人撲滅」だのと書かれたプラカードやらを手にしていた。どういうわけか、張りぼての巨大な象もある。


車道では、浅葱色に塗られた特殊警備車輌が紅い警光灯を光らせていた。その周りには機動隊や警察官などが屯している。彼らの姿も決して少なくない。ちょっと見ただけでも数十名程度はいる。


車道には特殊警備車輌だけではなく、二台の街宣車も停められていた。一つには何も施されていなかったが、もう一つには櫓が組まれ、巨大な和太鼓が据えられている。


それらの光景を写真に撮り、念仁はイルペへと投稿していった。


念仁は、ちょうど今イルペに『今から日本の嫌韓デモに参加してくる』というスレッドを建てたところであった。本文には、これが日韓断交を主張するデモであることや、デモに参加することとなった経緯、今から実況することなどを書いた。旭日旗を持つ人の写真は、被写体に見られないようこっそり撮ったものであり、手前には中指を立てた念仁の手が写っていた。


返信はすぐさま来た。


――미친놈아ミチンノマ ㅋㅋㅋㅋㅋ(クレィジー野郎wwwww)


――병신아ビョンシナノン 그런グロン 데모에デモエ 참가해서チャムガヘソ 도대체ドデチェ ムォ 하고ラゴ 싶은거야シプンゴヤ?(病身よ、お前はそんなデモに参加して一体何をしたいんだ?)


――주인님チュインニム버리지ボリジ 마세요マセヨ천황폐하チョヌヮンピェハ 만세マンセ일본イルボン 제국チェグク 만세マンセ!(ご主人様! 捨てないでください! 天皇陛下万歳! 日本帝国万歳!)


――어이オイ쪽빠리들아チョッパリドゥラ너희들ノフィドゥ 앞에ラペ 조선인이ジョソニニ 한마리ハンマリ 있다고イッタゴ(おいチョッパリども、お前らの目の前にその朝鮮人が一匹いるぞ)


――그냥クニャン 데모デモ 중에ジュンエ 맞아マジャ 뒤져라ドィジョラ(そのままデモの最中に叩き◾️されて死ねよ)


――↑ㅇㄱㄹㅇイゴリオル ㅋㅋㅋ(↑これリアルwww)


コメント欄はいうまでもなく荒れていた。イルペの牧歌的な日常風景である。


コメントは短時間のうちに二十、三十と増えていった。画面を眺めつつ、念仁は顔をにやにやさせる。この勢いならば、じきに人気スレッドとなることは明らかだ。


念仁は今、百円ショップで買ってきた適当な仮面を顔につけている。上着は、白い文字で「キムチ男」と書かれた黒地のTシャツである。先日、誠の提案から急ごしらえで作ったものだ。


しかし、たとえ顔を隠していたとしても、敵地に迷い込んだような緊張は消えない。ましてや、デモの最中で念仁は日本人を前にして演説をしなければならないのである。イルペの書き込みがこんなにも面白く感じられるのは、緊張と隣接しているからだ。


スマートフォンから目を離し、念仁は鞄の中から「국뽕グッポン」の小瓶を取り出した。演説が始まれば、緊張でどうにかなってしまうことは明らかであった。ゆえにこれは、多少でも酔っぱらっておいたほうがいいと考えて持ってきたものである。人込みに隠れ、親の前で酒を呑むときのように、こそこそと顔を隠しながら呑む。


「おい、お前、何してんだよ?」


背後から聞こえてきた声に、念仁はびくりと肩を震わせる。


振り返ると、そこには誠が立っていた。


日の丸の鉢巻きが締められていることはいつものことなのだが、今日はそこに小型の旭日旗が二本、牛の角のように挿されている。加えて、右腕には日章旗の腕章、肩からは「主催者」と大きく書かれたたすきが垂らされていた。


「おい、デモが始まろうってときに、何、酒呑んでんだよ?」


「あっ、いやっ、このっ、それは――」


目を泳がせ、咄嗟に言いわけを考える。


「ほら――あのー、日本の昔の戦国武将はー、戦いの前に杯を交わしてたて言うだろ? 俺もー、これから戦いなんだじょって思うとー、ちょっと緊張しちまってよ。情けないじょってな感じで、士気を高めるために、景気じゅけしよー思ってな。」


ふむ――と言い、誠は真剣な顔となる。


「まあ、そうか。」


「な? そーだろ?」


「じゃあ、俺にもちょっと寄越せよ。」


小瓶を差し出すと、誠はその中身をごくごくと呷った。小瓶が返されたとき、中身はほとんどなくなっていた。あれだけ度数の高い酒を――しかも自分が呑むはずだった酒を――ほぼ呑み尽くされたことに、念仁は驚愕せざるを得なかった。


西の空に澱んでいた茜が消えた。時刻は六時半を示している。


デモが始まる時刻である。


誠は街宣車の上に乗り、マイクから高らかに言挙ことあげした。


「それではみなさん! デモが始まる時刻となりました! 今日はお忙しい中、集まっていただいてありがとうございました!」


群衆の視線が誠に集まった。夜風が吹き、街宣車に挿された巨大な日章旗をはためかせる。


「ただ今から、日韓断交蝋燭ろうそくデモを開催いたします! 蝋燭に火を灯して下さい! 我々の民主主義を見せつけてやりましょう!」


おおう――と控えめな喚声が上がった。


デモ隊が蝋燭を灯し始める。松明のように巨大なものを持つ者もいれば、五徳を逆さまにして頭に被り、その上に三本灯している者もいる。櫓の組まれた街宣車の上には複数の提灯が吊るされており、そちらにもまた火が灯された。「日」「韓」「断」「交」という文字が暗闇の中にそれぞれ浮かび上がる。張りぼての象もまた、佞武多ねぶたのように輝いた。蝋燭であれば何でもいいらしい。


どこかからか法螺貝の音が聞こえてきた。旭日旗がいくつも昇り、風に棚引いた。日没と同時に表れた旭光きょっこう――しかし、周囲が暁のように明るくなったことは事実である。


櫓が組まれた街宣車の上に禿頭の巨漢が昇った。法衣を着ているところを見ると、恐らくは僧侶なのであろう。二本の太いばちを手に取り、どん、と太鼓を打ち鳴らす。デモ隊が手にしていた蝋燭の穂先が微かに揺れる。僧侶は太鼓を力強く打ち鳴らし、演奏を始めた。


どんつく、どどんこ! どどんこ、どん! どん!

どんつく、どんつく! どどんこ、かっ! かっ!


「発――進――!」


誠の乗る街宣車を先頭として、デモ隊は動き始めた。淡路公園から街へと光の川が流れ出る。光の屑は、デモ隊を守る機動隊員の黒いヘルメットにも瞬いていた。車道は片側三車線であったが、デモ隊はそのうち一車線を完全に占めた。


歩道には、ヘィトスピーチに反対するプラカードを掲げた寛容リヴェラル派と思しき人々が立っている。その誰の頭にも、白いものが目立っていた。デモ隊の人数の多さに圧倒され、呆然としたような顔をしている。


誠はマイクを手に演説を始める。


「デモに参加して下さっているみなさん! ご通行中のみなさん! 機動隊員の皆さん! そして在日工作員のパヨクのみなさん! 我々は日韓の国交断絶を主張する一般的な市民のデモ隊です!」


一般的な市民でぇす――とデモ隊の中から声が上がった。


「そもそもの発端は昨年のことでした! 朝鮮独立運動家であったという男が、戦時中に受けたと称する拷問と虐待に対する賠償を求めて日本国政府を告訴したのです! しかし! 東京地方裁判所は、千九百六十五年に締結された日韓基本条約を準拠として、原告の訴えを退けました。なぜなら、日韓基本条約には、日韓の補償問題は最終的かつ完全に解決した旨が記されていたからです!」


完全に解決されましたあ――と合いの手が上がった。


「代わりに条約が締結されたとき、日本は南朝鮮に対して五億ドルの戦時補償金を支払いました! これは当時の南朝鮮の国家予算の六倍にも及ぶ金額でした! 今回のような件に対しては、補償金を受け取った南朝鮮政府が責任を持って支払うべきなのです!」


「そうだあっ!」「南朝鮮政府は責任を持てえっ!」


「もしそうでないのなら、戦時補償金とは一体なんなのか? 日本が南朝鮮を近代化するために投資した資金はどこへ行ったのか? 日本が朝鮮へ置き去りにしていった資産はどこへ行ったのか? もし南朝鮮が日韓基本条約を反故するというのなら、我々もその資産と戦時補償金の返還を要求することができるのだ!」


「戦時補償金かえせえっ!」「嘘つき泥棒朝鮮人!」「泥棒民族ゥ!」


デモ隊の中にはなぜかチンドン屋もおり、太鼓や笛を演奏し、象の張りぼてを牽引し、あるいはその上に乗ってビラを撒いていた。


「さあさあ! 始まりました! 愉しい愉しい日韓断交だよ!」


「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 日韓断交のお祭りだよ!」


誠はなおも演説を続ける。


「そうであるのみならず、この元独立運動家を自称する男ときたら、証言するたびにコロコロと言ってることが喰い違う! 当時、刑務所にいた人々との証言とも違っている! もし南朝鮮政府が責任を持って補償金を受給させていたなら、このような男は朝鮮人からも真っ先に疑われていたはずだ! それなのに何も疑わないのは、結局のところ日本から金を毟り取りたいからに他ならない! まったくもってとんでもない国だ! こんなことでいいのか、日本人!」


「よくないぞおっ!」「とんでもないことだぁ!」「許せないぞおっ!」


「南朝鮮では現在、元独立運動家への賠償を求めると称するデモが起きております! しかしその映像を見れば分かる通り、実際は日本人に対するヘィトスピーチデモであり、火病フヮビョンの集団発作であります! この紛れもないヘィトスピーチを無視しておきながら、どうしてパヨクのみなさんは、我々日本人に対してヘィトスピーチだのレィシストだのネトウヨだのとレッテルを貼ってくるんでしょうねえ?」


「なぜだあっ!」「一体なぜなんだあっ!?」「答えろ在日極左ァ!」


リヴェラル派たちは、やはり呆然としている。


いや、そうでもない者が一人だけいた。肩に刺青タトゥーの目立つモヒカン頭の男である。歳は三十代初め程度か。隣には、眼鏡をかけた髪の薄い国会議員も立っている。


モヒカン男は両手の中指を立て、デモ隊を挑発する。


「ヒャッハー! ファッキュウゥゥ、レィシストォォ!」


デモ隊員たちも中指を立てつつ、口々に罵倒の言葉を叫ぶ。


「ばーいこくど!」「ばーいこくど!」

「ばーいこくど!」「ばーいこくど!」


デモ隊とモヒカン男は、どうやら互いに激しく憎しみ合っているようであった。デモ隊たちは機動隊を押しのける勢いで、中指を立てた腕を伸ばし、罵声を吐きつける。既にそこでは、機動隊とデモ隊の小競り合いが起きていた。指示に従ってくださいと言いデモ隊を押しやる機動隊に対し、邪魔すんなこの野郎と罵声を吐き掛ける男がいる。


混乱の中で、誠は平然と演説を続ける。


「日本は今まで、もう何度も何度も謝罪と賠償をしてきたし、もう何度も対話による解決を試みてきた! しかし返ってきたのは、賠償という餌に喰いつくピラニアの群れような強烈な反日旋風と、外務省に送りつけられてきた爆弾だった! 政府は今もなお遺憾の意を表明し続けているが、我々日本人はもう怒りが炸裂寸前にまで来ている!」


「炸裂寸前だあっ!」「もう我慢できないぞぉっ!」「南朝鮮に爆弾を送れえっ!」


モヒカン男は、なおも挑発を続けている。


「ゴォォトゥウウヘルゥウウウ! レィシストォォ! デストロイ!」


「よって、我々日本人は、南朝鮮との国交断絶を主張する! 悠久の歴史と豊かな山河により育まれ、日本という国は世界で最も差別のない平和な国となりました! 我々日本人がここまで怒るということも珍しいことなんです! しかし、相手が日本のことを嫌いだと言うのなら、我々日本人が相手のことを嫌うのも当然のこと! もはや対話が通用しないというのならば、南朝鮮とのあいだで結ばれてきた関係を落花流水に唾棄し、この東亜の悪友との関係を永久に謝絶するのは当然ではないか! 今がそのときだ! 日本国民よ! 己の怒りを解き放つのだ! この禍々しい国との関係を断ち切るのだ!」


「断ち切るのだ!」「断ち切るのだ!」「断ち切るのだ!」


「シュプレッ――ヒコオオオオ――オオル! 日韓のぉ――国交をぉ――だああああんぜつ――すうう――うるぞおおおお!」


「「「「「「すうううう――うううるぞおお――おおお――おおお――っ!」」」」」」


光の川の全てから、燃え上がるような雄叫びが上がった。雄叫びは前方から後方へと上がり、それに従い波のように光が揺れた。


「朝鮮とのォおおおおおっ、かァんけえいヲおおおおおおっ、ええええええいきゅうニいいいいいっ、たァちキるゾおおおおおおおおおおおおおっ!」


「「「「「「たァちキるゾおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」


「日本をおおおおおおっ、ぶゥじょくスるううううっ、反日朝鮮人をおおお――おおおユうるサないぞおおおおおお――おおおっ!」


「「「「「「ユううううううルさないゾおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」


リヴェラル派やモヒカン男、そして機動隊員たちとデモ隊との小競り合いは常に続いていた。通行人たちは、言うまでもなく誰もがぎょっとしたような目でこの百鬼夜行を見つめていた。念仁はそれらを写真に収めては、イルペに投稿していった。


――さすがクヮヨン・普通のボトンエ・日本人はイルボニングヮヌン・違うなあトゥッリグナ


「ご清聴、ありがとうございました!」


デモ隊たちが盛大な拍手を送る。そのうちの何人かは、拍手をするたびに融けた蝋が手へと零れるもので、あちっ、あちっ、あちっと情けのない声を上げた。


続いて街宣車に昇ったのは小柄な女性であった。真夜中であるというのにサングラスをかけ、口元にはマスクをしている。頭には厚焼き卵の飾りが載せられていた。デモ隊員たちは口々に、「よっ! たまちゃん!」「たまちゃん頑張れ!」などと声をかける。


街宣車から降りてきた誠に、念仁は訊ねた。


「おい、誰だよ、たまちゃんって?」


「怒れる嫌韓女子高生だよ。まあ、リアル『日之丸街宣女子ひのまるがいせんおとめ』みたいな感じかな。」


彼女はマイクを手に取り、演説を始めた。


「ご通行中のみなさん、こーんばんはーっ! こちらは、キモチのワルゥーい韓国との国交断絶を主張する普通の日本人のデモ隊です! このキモチのワルゥーい国は、日本の文化を盗んではウリたちが起源ニダと主張し、日本製品や日本の文化をパクったり盗んだりし、それが叶わないときには破壊行為に及んでいます! そのくせして反日を国是としているために、歴史を捏造して子供達に異常極まりない反日教育を施し、捏造された歴史を振りかざし、日本人の名誉と心身に危害を加える反日デモや国際ロビー活動、テロ行為などを行っております! 本当に気持ち悪いです!」


気持ち悪いでえーす、と合いの手が上がった。気持ちが悪いどころの話ではないはずなのだが。


「こんなキモチのワルゥーい国が隣にあったら、国交断絶を主張するのは当然の話ではありませんか! 私たち日本人は、日本人として当然の主張を行っているにすぎません! 私たち日本人は韓国のことが大嫌い、それこそ反吐が出るほど嫌いなんです!」


そして彼女は声を張り上げた。鼓膜の痛むほど甲高い声であった。


「それなのにどうして在日工作員のパヨクどもは、私たち日本人の行動にヘイトスピーチだのレィシストだのネトウヨだのとレッテル貼りばかりしてくるんだぁっ! お前らみたいなレッテル貼りしか能がないようなクソ左翼のクソ在日はなァ、◾️◾️◾️◾️ピ――――――♪◾️◾️◾️◾️ピ――――――♪やっちゅうんやでえ―――――っ! この◾️◾️◾️◾️ピ――――――♪在日の◾️◾️◾️◾️ピ――――――♪左翼ゥ――――ッ!」


街宣車の周りにある蝋燭のいくつかが、音波により小刻みに振動し、ふっと消えた。念仁は思わず耳を塞いだ。鼓膜が痛くて仕方がなかった。ただでさえ甲高い声なのに、それを発するスピーカーがすぐ頭の上にあるのだ。実際、街宣車の周りの人々は――誠でさえも――顔をしかめたり耳を塞いでいたりしている。それに気づくでもなく、街宣車の上の少女は、気持ち悪いです気持ち悪いですと、同じような口調で繰り返している。


「とっとと日本から帰れ! とっとと日本から出でいけや――――――ッ、このっ、ハゲェ――――――――――――ッ!」

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