Ⅶ また逢いましょう。

それから夕暮れ時になるまで会話を続けた。窓の外で空が薄い橙に染まり始めたころ、店を出た。とても充実感のある一日であった。


再び会うことを約束し、二人は浅草駅前で別れた。


司が家に着いたのは、薄紅色の空に宵の明星が輝くころである。東京は星が見えない。しかし、これだけは唯一明るく輝いている。


自分の部屋へ戻り、司は熾子にメッセージを送った。無事に戻りました。今日はありがとうございました。愉しかったです――と。返信はすぐに来た。こちらも無事に着きました。今日は愉しく、充実した一日を過ごせました。また逢いましょう――そう書いてあった。


夕食の準備をし、それから父とともに食事を摂った。司には母親がいない。家事はほとんど自分が担っている。部屋に戻ったころには随分と疲れていた。


ベッドに仰向けになり、一日のことを反芻する。


ふと「キムチ女」という言葉の意味が気にかかった。スマートフォンを手に取り、ハングル入力へ切り替える。「김치녀キムチニョ(キムチ女)」で検索をかけると、トップに韓国の有名なウィキサイトが現れた。その本文をコピーし、機械翻訳にかける。


「キムチ女」という言葉の意味は、司が考えていたとおり、最初は単純に「キムチ国の女」という意味であったらしい。ところが二千十年代から、非常識な振る舞いをする女性を指す言葉としても使用されるようになってきたのである。後者の用法で使用される場合は、主に次のような特徴があると記してあった。


〇デートの費用は全て男性が支払うのが当然だと考えている。


〇男女平等の観点から、育児や家事など伝統的な女性の役割は分担を主張する。しかし、結婚費用・住宅費用などは全て男性に負担させようとする。


〇女性が徴兵されない理由について、徴兵制度が必要なのは男性のせいだと主張する。


〇自分には何もないくせに、男性に容貌・学歴・財産・社会的地位を希望する。


〇自分は何も与えないくせに、男性に豪華なプレゼントや品物を求める。


〇様々な責任を逃れるため、自分が女性であることを言いわけにする。


ページの最後には、「스시녀スシニョ(寿司女)」のページへのリンクも貼られていた。そちらも司はタップし、同様に機械翻訳へとかけた。


寿司女もまた、当初は「寿司国の女」という意味だったようだ。しかし現在はキムチ女と同様、それ以上の意味も持つらしい。「寿司女」と呼ばれる日本人女性には、おおよそ次のような特徴があるという。


〇経済的に男性に寄生しない。デートの費用は、割り勘を基本とする。


〇お金を無駄遣いせず、贅沢を警戒する。


〇片働きの場合、家事に専念する。共働きの場合も女性が積極的に分担する。


〇パートナーの社会的負担を知り、疲れさせるようなことはしない。


〇小さなことにも感謝する。パートナーを傷つける言動をした場合、すぐ詫びる。


〇平均的身長が小さく、愛嬌があって可愛らしい。


つまり、「キムチ女」という言葉はネガティヴな女性像を持っており、「寿司女」という言葉はポジティヴな女性像を持っているということができる。当然、そのページには「全ての日本人女性がこの特徴を持つとは限らない」ということも書かれていた。「寿司女と呼ばれる日本人女性」とは、どちらかといえば、「日本人女性のうち寿司女と呼ばれる女性」という意味合いがあるようだ。


読んでいて何となく理解した。


どうやら、韓国には激しい男女対立があるらしいのだ。主に、女性の権利はどうあるべきか、男性の義務はどうあるべきかが争点となっているようである。「寿司女」という言葉がポジティヴなイメージで語られるのは、「キムチ女」に対する当てこすりだと言うことができる。


そんなわけだから、「김치남キムチナム(キムチ男)」や「스시남スシナム(寿司男)」という言葉もあり、それぞれにも性格的特性があるらしい。


ただし「キムチ女」や「寿司女」に比べれば影は薄いようだ。「キムチ男」について書かれたページは存在せず、どういうわけか「寿司男」について書かれたページのみが存在していた。


その詳細を記すと、次のようになる。


しゅうとが干渉しない。


〇パートナーに家柄と条件をあまり求めない。


〇相手の話をよく聴き、意見を尊重する。


〇草食系なのでデートDVの危険性が少ない。


〇頭にワックスを塗っており、眉毛の手入れまでしている。


司は今まで、熾子以外の韓国人と長時間対話したことはない。ゆえに、これが本当に韓国人女性の特徴なのかは分からない。韓国の映画やドラマに出てくる韓国人女性の姿とも違っている。


そもそも、男女のあいだで対立があるということもよく分からない。


――なぜ、対立しなければならないのか?


小学生か中学生の頃までは、クラスメイトが男子と女子に分かれて対立することもあった。しかし、日本社会全体でそのような対立があるという話は聞いたことがない。ネット上の異性叩きも、どちらかといえば幼稚な人間が行なっているという印象だ。


――あるいは。


司が知らないだけで、日本にもそのような対立はあるのかもしれない。男女平等を叫ぶ活動家は日本にもいる。しかしそのような問題は、司にとってはどこか遠い世界のもののように思えた。


さらに、司にはもう一つ気になる点があった。


翻訳された「キムチ女」のページを、もう一度じっくり読み直す。


「キムチ女」という言葉の持つ印象は一言で傲慢である。すなわち、常に自分が優位な存在だと思い込んでいる・相手に金銭ばかり求める・男性に義務と責任を求めるが、自分はそれを負おうとしない・虚栄的な割には、自分を弱い者と位置づけている。


「これ、嫌韓が考える『韓国』じゃん。」


司は、無意識のうちにそう口にしていた。

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