第8話 電話の仕方

 その後も幾度となく、神宮美姫のアレな趣味は目撃された。

 以降、終電前と始発の山手線外回りは彼女の姿を一目見ようとするファンが押し寄せた。

 電車に乗って車窓を眺めている時の彼女は、一言たりとも話さず、きっかり三周して新宿で下車する。


「アレな趣味が続いているようね」

 局内の楽屋でお昼のバラエティを見ながら嫌いなにんじんを選別していると、桜井さんが写真週刊誌を持って戻ってきた。

 今日付の――美姫をスクープした――雑誌である。

「ほら、にんじんも食べなさい」

 いやー。


 仕事復帰第一弾はバラエティの特番になった。

 間に中休みを挟み、丸一日使う体力も必要な企画だが、その分仕出し弁当は豪華。

 にんじんを除けば。


「ホント、電車の事を抜きにすれば一昔前の優姫を見てるみたいよ」

 桜井さんは弁当のサクランボをひょいと摘んだ。それ私の!

「で、美姫の新曲はどんな感じ?」

 尋ねると、桜井さんは笑みとも悲哀とも取れない表情で私を見つめた。

 大手広告代理店にコネがあり、ある程度販促情報を先取りしているからだ。

 インサイダー取引の一歩手前。

「やっぱりどの代理店も動いてないわね」

 「おまけに」そう付け足して桜井さんが言う。

「彼女を一発屋として葬ろうって声もあるわ。これからは優姫と八雲の二本で行くって」

 ファーストシングルでミリオン達成すると、凋落する結果になる事が多い。いわゆる一発屋だ。

 特にコネもなく、代理店を通じた移籍交渉にも乗り出さないとなると、金づるを破棄する可能性がある。

 後ろ盾が不明瞭な彼女にとっては再起不能になる。

 新宮美姫が干される。

「あら、もうちょっと喜びなさいよ」

 そんな形で消えるなんて私が許さない。

 確かに私はもう一度トップを掴もうとしている。

 それは神宮美姫に気づかせるため。相手を潰す事がだけが登り詰める方法じゃないと分からせるため。

「別室に神宮美姫が待機してるわ。彼女マネージャー居ないんだってね」

 桜井さんは自分の弁当に手をつけ始めた。サクランボはしっかりと先に食べられている。

 彼女なりのサインだ。

 私は楽屋を飛び出た。


 廊下を歩いていたADを適当に捕まえ、美姫の楽屋を尋ねる。

 階下の楽屋前に、番組名とタレントの名前が記された楽屋があった。

 間違いない、ここだ。

「今度はどんなお節介を焼きに来たんですか」

 ひっ!

 背後に視線を感じる。肩を叩かれた。

 振り向くと指が頬に当たる。爪が痛い。

 奇行の持ち主、神宮美姫が立っていた。

「あ……はは、あははははは……」

 適当に誤魔化して、前の険悪なムードを思い出させないよう。

 周りに人もいる事だし、前の様な剣幕にはならないはず。

「まぁ入りましょうよ。せっかくですし」

 タレントクロークを歩いていたスタッフやタレントが立ち止まってこちらを窺っていた。

 そんなに犬猿の仲って見られてるんだ。


 楽屋のドアを閉める。6畳ちょっとの楽屋に足を踏み入れた。

「適当に座ってください」

 はぁ、ありがとうと軽く返事して彼女の正面に座った。ここくらいしか座る所も無いし。

「で、天下のアイドル様が何か御用ですか」

 テーブルの上に置かれた薬局処方の薬をいそいそとしまいながら美姫が言った。

「それ何の薬なの」

「夢遊病対策の睡眠導入剤です。あなたも知ってるんでしょ、アレな趣味」

 美姫は自嘲するようにつぶやく。

 夢遊病?

「アレな趣味の元凶です。寝てるウチに山手線三周しちゃうっていう」

 彼女は手をひらひらと回して、机に伏してしまった。

 寝ている間に山手線きっちり三周するなんて。

「信じられないって顔してますね。でも事実なんだからしょうがないですよ」

 彼女はポケットから革製の定期入れを取り出した。

 ペンギンが印刷されたプリペイドカードが入っている。

「おかしいですよね。電車なんか乗らないのに、いつの間にか持ってたんです」

 それは確かに美味しい夏の果物、もとい野菜と同じ名前のカードだ。

 私も見たことしかない。後輩ちゃんが見せてくれた。

「プロデューサーは会いに来てくれないし、マネージャーは他の子につきっきりだし」

「そのプロデューサーさんって、もしかしてあいりさん?」

 美姫は顔を上げた。そして大きく頷く。別ネームか、あいりさんらしいな。

「誰も私の世話なんてしてくれないんだー。あなたに言ってもしょうがないけど」

 沈黙。

 確かに世話は出来ないけれど……。

「私ね、あなたに憧れてた。完璧なアイドルのあなたに。舞台でボロを出した時は最高の気分だったよ」

 私の歌を口ずさみながら笑う。あの時の事なんてもう気にもとめていない自分が居た。

 そんなことよりも今は美姫の事が気になっているのかもしれない。

「あの後、控え室で八雲ちゃんに当たり散らしたって聞いたときは勝てると思った」

 美姫は続ける。

「下川優姫は実力不足だ。だから潰せるって」

 心を抉られたような気持ちになる。

 私が潰していった子達はこの気持ちを少なからず味わったのだろう。

「それでも潰れなかった。それどころか私に向かってきた」

 話を聞いて貰いたかったから。

「その話っていうのがこの前の老婆心? あなたも変わった人ね」

 笑ってしまう。確かに変わり者だ、私は。

 だからこそ、目の前で苦しんでいるアイドルを助けたいと思っている。

「そう言えば相談して欲しいって言ってたっけ。一つ聞いてほしいんだけど」


「私の目の前から消えてくれるかな、邪魔者さん」


 やっぱり、そう許してはもらえないみたいだ。食い下がる。

「余計なお世話なのよ。どうせあなたは消える運命にあるんだから、せいぜい悪あがきでもしてなさい」

 美姫が私を潰すなら、最後に私の話を聞いて。

 肩を掴んだ。美姫の敵意剥き出しの視線が突き刺さる。

「あなたの事務所、誰も居ないわ。住所も架空のもの。社長だって居ない」

「何言ってるの。今日はたまたまマネージャーが来てないだけで」

「ならそのマネージャーに電話してよ」

 美姫が困惑した。彼女には何かある。

「マネージャーの電話番号知らないから無理よ」

 携帯を取り出して美姫が言う。

 何の飾り気もない現代人の必須アイテムが握られていた。

「着信はマネージャーだけ。発信なんてしないから通話料は安くて済むの」

 机の上に置き、私に携帯を渡した。発信履歴は無し、非通知の着信履歴だけが残っている。

「分かったでしょ。私が友達の居ない寂しい女だって事。人間としてはあなたの方が勝ってるわよ」

 美姫携帯のプロフィール画面を出す。何の変哲もない電話番号が表示されている。

 美姫に見えない様に、自分の携帯で電話番号を一つ一つなぞった。


 突然鳴る初期設定の電子音。

 携帯電話に不慣れなのか、あたふたしながら通話ボタンを押す。

「はい美姫です!」

 電話から、目の前から美姫の声がステレオする。

 トーンの上がった声に少し吹き出してしまった。

「これで友達になれたかな?」

 その時の美姫の顔は忘れられない。驚いたような困ったような、嬉しいような顔。

 美姫の携帯を奪い取り、着信履歴から私の電話番号をアドレス帳に登録してやった。

 コレでいつでも連絡が出来る。

「そこまでして何がしたいのよ」

 何って言われてもねぇ。

「友達になってくれるのはありがたいけど、恩着せがましいとは思わないワケ?」

 美姫に私のアドレス帳を見せた。

 実家と桜井さん、八雲の連絡先しか入っていない。昔の友達とは縁を切ってしまった。

「八雲は妹で桜井さんは姉さんみたいなものだから、私だって友達居ないんだ」

 美姫の電話番号を登録して見せてやる。

 神宮美姫と書いたアドレス帳には4人目を意味するNo.4の数字が踊っていた。

「人間は一人では生きていけない、なんて説教臭いこと言うんだ」

 そうそう。あの時の私みたいになっちゃうから。

「……謝らないわよ」

 別にいいよそんなこと。もう気にしてないし、周りの人たちに気づけたから。

 桜井さんのパンチは痛かったけどね。あのバカ力女。

 どこかでくしゃみが聞こえた。

「じゃ、私は帰るから。気が向いたら電話してよ」

 美姫は私を送る事なく、マジマジと携帯電話を見つめている。

 彼女の携帯にメモリーされた初めてのアドレスは、初めての友達になってくれればいいけれど。

 彼女の楽屋を後にした。


 今の自分に出来ることはこれだけ。

 一発屋の話をするとまた怒られかねない。黙っていよう。



 収録を終え、楽屋に荷物を取りに戻る。

 本来は禁止されているけれど、今日の収録だけは電源を切って携帯を持ち込んだ。

 どうせ掛かっていないだろうし、いつ掛かってくるか分からない携帯とにらめっこするのも虚しいけど。


 楽屋の扉を空ける。桜井さんの事だ、大の字になって寝ているだろう。

 私も謹慎前の調子に戻りつつあるし、八雲の仕事も順調。後輩ちゃんの訓練もある。

 現場に見に来ないのも仕方ない。


 ノブに手をかけてドアを開く。

 さすがに丸一日の仕事は疲れた。溜息。

「お客さん来てるわよ」

 桜井さんがソファから起き上がる。

 彼女の向かいに、携帯を握りしめた神宮美姫が居た。

 何だろうか。

「お待たせ」

 桜井さんの隣に座る。美姫とのさっきと同じ距離感。

 でも少し近づいている……様な気がする。

 美姫は携帯を開いて、私に突きだした。「やっぱり消して」とか言われるんだろうか。

「……電話してっていうなら電話の掛け方くらい教えなさいよ」

 アドレス帳までで止まっている携帯を握りしめて、下を向いていた。

 桜井さんと顔を付き合わせて笑った。

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