第6話 彼女のヤマノテ奇行紀行

 トップアイドル、神宮美姫が捕まった。捕まったと言っても警察沙汰ではない。

 写真週刊誌にばっちりとその姿を撮られている。

「おかしいわね、こんなミスする子じゃないと思うけど」

 桜井さんが事務所費で買った煎餅を摘んだ。

「何かの間違いじゃないですか? そっくりさんとか」

 八雲はこう言うが、ここまで似てるとなると……。


 神宮美姫は意外なところで発見された。

 帰宅ラッシュを過ぎた山手線車両内。

 起きたまま、山手線外回りを三周する神宮美姫の姿が発見された。

「鉄道マニアなのかしら? アレな趣味ねぇ」

「イロモノ系ってヤツですか」

 新人さんが桜井さんに尋ねる。

 電車好きのアイドル。何もそんなニッチな方向に向かわなくてもいいのに。

「それを言えば八雲だってイロモノ系ね」

 知らない単語が出ると八雲は真っ白になる。あぁ、確かに八雲はイロモノ系だ。

「お姉ちゃん、イロモノって何」

 天然物の妹キャラ八雲をイロモノと呼んでしまえば、八雲の存在自体イロモノな気が……。

 とりあえず適当にはぐらかして話題を変える。

「奇行はダメージになるんだけど、誰か彼女に教えてあげられる人は居るの?」

 八雲は手を挙げない。

 新人さんはまだ下積み中。

 桜井さんは両手を挙げた。お手上げ、ってことね。

「彼女の事務所と連絡を取ろうとしてるんだけど、電話が繋がらないの」

 千駄ヶ谷芸能(株)とある。電話番号もしっかり明記されているが、繋がらない様だ。

 借金を抱えて会社倒産とかかしら。

「不思議な事って言えばそれだけじゃなくて、経営実績が無いのよ。この事務所」

 三人が顔を上げて桜井さんを見た。

「株式は非公開だし、設立年と税務署の帳簿が一致しないの」

 脱税とか?

「疑いがあるって税務官が出かけたらしいんだけど、尋ねた先は単なるワンルームマンション」

「謎ですね……」

 新人さんが茶を啜った。

「そもそも業界に何のコネも無い小さな芸能事務所が、どうしてあんな大々的に展開できたのか」

 桜井さんは背もたれに落ち込んだ。

 やっぱり、飛ぶ鳥を落とす勢いだった私を疎んじた誰かが大手広告代理店と手を組んで?

「表舞台に出ない事務所よ? 裏に通じているならわざわざこんな面倒な金づる掴むかしら」

 今アイドル業界を面倒って言ったね桜井さん。

「大手は本腰を上げて美姫ちゃんの囲い込みに乗り出してるから、代理店の関与もない」

 あのミリオンヒットで得をした人間は居るの?

「経営実態の無い事務所の関係者か、神宮美姫本人」

 「分かんないことだらけねー」と吐き捨て、私たちはまた写真週刊誌に視線を戻す。


 『アイドル、山手線で待ちぼうけ!?』


 それは確かに神宮美姫だ。

 まだ春先で肌寒いにもかかわらず、夏物の薄手のワンピースで流れゆく暗闇を眺めている。


 そうだ。直接本人に会えばいいんだ。

 桜井さん! 外出許可ください。

「んあー? 会いに行くの? だめー」

 何でですかー。

 桜井さんはしなやかに体を伸ばす。

「優姫共々フラッシュ焚かれたらどうするのよ」

 う……。

「事務所と交渉しようとしてるんだからちっとは待ってよ」

 オファー用の資料を見た。

 大江戸芸能の機関誌内コラム取材ということで、私と美姫の対談予定がある。

「謎って言えばコレも」

 資料にはギャランティーも明記されてある。私のギャランティーは……、無し。まぁ広報誌だし。

 美姫のは……。

 何この値段。

「今時エキストラでもこの倍は貰えるわよー」

 恐るべき廉価アイドル。神宮美姫。

「出演用のレートが用意されてて一律でその金額なんだって」

 ギャランティーで価値が決まる芸能界では、値段と人気は比例している。

 私が武道館ライブを終えた1ヶ月で雑誌を埋め尽くした大量の神宮美姫。

 そのトリックがこの法外に安い出演料だった。

「そのCDだってワンコイン」

 事務所に置かれていたのを聞いただけで、神宮美姫のシングルの価格など知らなかった。

 きっちりと500円。聞いたこともないレーベルから発売されている。

「これじゃミリオンでも含み損。拝金主義のこの時代にへそ曲げるなんて大した事務所よ」

 実際、まるで洗脳でもされたように人々は神宮美姫に群がっていった。

「あんな子が出てきちゃ商売上がったりよねぇ」

 神宮美姫に伸されたアイドルが目の前に居るのになんてこと言うかなこの人は。

 桜井さんは新人にもたれ掛かって寝息を立て始めた。

 狸女め。


 煎餅が砕かれる音、茶を啜る音。芸能事務所らしからぬ所帯じみた空間。

 この空間が好きだった。事務所を守りたいという気持ちは昔から変わっていない。

 でも私一人で守ることは出来ない。ここにいる全員が協力して守っていかなければ。

 電話が鳴った。事務員さんが受話器を上げる。

 決まり切った応答文句の後、桜井さんに受話器が回された。

 聞き耳を立てるでもなく、スクープ写真の神宮美姫とにらめっこを続けている三人娘。

 やっぱりニセモノ? でもよく似てるよお姉ちゃん。似てますねぇ……。

「優姫、ちょっといい?」

 電話口の桜井さんが私を呼ぶ。ソファに倒れ込んでコードレスフォンを受け取った。

 誰だろう。監督さんかな。


「優姫ちゃん? 私です。神宮美姫です」

 思わぬ人物の登場に、仰け反らせた体が起き上がる。

 ライブの事を思い出したが不思議と気を揉むような事はなかった。

「もうすぐ謹慎が解けるそうですね」

 えぇまぁ。

 謹慎を食らったのはアンタにもちったぁ非があるんだけど。

「謹慎空けに遊びに行きませんか」

 アイドル対応マニュアルの端から端まで回想して、この場合の最も良い返答を探す。

 マニュアルは断りを入れる事だが、美姫と話がしたい。私と同じ彼女の事を知りたくなっている。

「八雲ちゃんも誘って」

 今度は八雲を潰すつもりなのだろうか。彼女がもし私と同じなら、八雲を消そうとするだろう。

 それだけはさせない。

「八雲はちょっと忙しくて。私なら空いてるけど」

「そうなんですかぁ。仕事始めだから優姫さんもびっしりスケジュールが詰まってると思ってたんですが」

 随分分かりやすい皮肉だ。

「美姫ちゃんと八雲に仕事とられちゃってね」

 自嘲混じりに言うと、向こうも調子を合わせて笑ってきた。心底意地の悪い女だ。

 いや、昔の私か。

「じゃあ、22日の10時に千駄ヶ谷の駅前で!」

 電話が切れた。

 千駄ヶ谷。彼女の芸能事務所がある……らしき場所。

 実際は駅から徒歩五分程度の距離にある賃貸物件の一室。

「受けたのね」

 桜井さんが子機を受け取って、代わりにココアを渡す。

 八雲にまで手を回してくるとは思わなかった。何とかしなければ。

「気をつけなさいよ。相手はあなた以上のやり手」

 分かってる。

 背に腹は替えられない。私が出て行ってぶん殴ってくるぐらいの気合いでいないと。

「お姉ちゃん……」

 大丈夫だから。

 ステージのこと、さっきのこと。私との対決を望んでいるみたいな口ぶり。

 やっぱり私は、彼女を何とかしないといけない。気づかせてあげられるだろうか。

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