第5話 八雲の姉、再デビュー

 有沢八雲、タイアップのドラマ主題歌『月の雫』は初登場3位!

 いつものソファで読むチャート誌に大好きなアイドルの名前があった。

「おめでとう、八雲!」

「お姉ちゃーん!」

 隣に座った八雲が首に絡みついた。もたれ掛かってくる。心地よかった。

 私と八雲は、この日のためにあらゆる音楽番組を見なかった。

 Mステージの出演オファーが来なかった時点で1位で無い事は分かっていたのだけれど。


 他人のCDが売れたことを素直に喜べるなんて、謹慎前は思ってもみなかった。

 それも八雲のデビューシングル。発売当日は私も売り上げに協力した。

 依頼もされていないのに、都内の主だったCD店でぶっつけ販促活動をやってみたり。


 擦りむいた膝と肘で謹慎追加。別に苦にもならなかった。

 歌が歌えないのは少し辛いけれど、妹の活躍を間近で見られるのがこんなに楽しいなんて。

「あれ、また泣いてる?」

 泣いてないわよ!

「あはは……。次はお姉ちゃんの番だね」

 私の番。下川優姫の謹慎期間が解けるまであと十日。

 けれど、十日経っても仕事復帰出来るとは限らない。桜井さんと社長の許しを請わないといけない。


 桜井さんとは未だ険悪ムードだ。

「私からも桜井さんに頼んでみるから、ね」

 うー……。お願い。

 自信がなかった。八雲を超えるスピードで跳び続ける神宮美姫とは、もう随分と差を付けられている。

 今更彼女を超えようとしたところで、追いつけなければ彼女と同じ轍を進むだけ。

 復帰はしたい。歌いたい。いろんな人と知り合いたい。

 出来れば、神宮美姫とも話がしてみたい。


 少なくとも私には、事務所を背負って立つような力は無かったと分かったのだから。

 トップアイドルの座は捨てたくはないし、いつまでも高みにあり続けたかった。

 もうその器に無いのは分かっている。捨てきれない想いがいつまでも胸の中でとぐろを巻いている。

 自分の努力だけで切り開いた道でない。協力があった。愚痴を聞いてくれるマネージャーも居たし。

 これまで私の元には万全のサポートがあった。そのおかげで無茶な私でもたどり着けた。

 下川優姫は私ではなく、私と事務所のみんなだった。

 そんな簡単なことに気がつけなかったなんて、私はどうかしていた。


 聞き覚えのある声が事務所前の渡り階段から聞こえた。

 何を言っているかは聞こえないが。

 扉が開く。

「だから何で練習サボったの!」

 桜井さんだ。後ろから付いてきているのは新人アイドルだろうか。名前は確か……。

 忘れた。

「たまには息抜きさせてよ! 睡眠時間2時間の生活なんて耐えられるワケないじゃん!」

「何甘えたこと言ってんの! 自分で選んだ道でしょ!」

「あんなのこなせる人間居るわけないって! 私を辞めさせたいんでしょ!」

 八雲と二人、顔を向き合わせる。言いたいことは同じだ。

「八雲も……、今はマネジメントやってる下川だって耐え抜いたのよ」

 相変わらず露骨に嫌われてるなぁ。がく、と頭を下げる。

 八雲が決まりが悪そうに私の頭を撫でている。

「下川さんはもう辞めちゃったじゃないですか! 有沢さんは2ヶ月の特別訓練だったし!」

「あんたアイドルとしてやる気……」

 八雲が立ち上がった。荒れている少女の方へ歩いていく。

 桜井さんは言葉を飲み込み、普段はこういう場所へ足を踏み込まない八雲をじっと見つめている。

「おね……、優姫さんはまだ辞めてません。訂正してください」

 ちょっ、八雲。

「はいはい、辞めてませんね。すいません下川さん」

 いや、全然気にしてないから。

 ソファの上でボサボサ髪のジャージ着た眼鏡女がぴらぴらと手を振る。十中八九アイドルではない。

「ちゃんと謝ってください! 優姫さんは私にきちんと謝ってくれたんです! 謝ってください!」

 ちょっと八雲。もう良いってば。

 八雲ってこんなにムキになる性格だったっけ。

 飛び起きて八雲を止めに入った。

「……すいません、優姫さん」

 気にしないでいいよ。下積みは辛いけど頑張って。

 すっかり毒づく気力を抜かれた新人が頭を垂れた。

 八雲が私の背後に隠れる。それもそのはず、新人アイドルが八雲を睨んでいた。

「睨むな」

「あてっ!」

 桜井チョップが脳天に落ちた。


 そういえばこの子は八雲より1歳年上だった。

 【芸能界対策ノート】を書いていた過去の自分を思い出したのだ。

 この新人アイドルは、反抗的。確か、そう書いた気がする。

 

「それと下川優姫!」

 はひゃい!

 桜井さんが機嫌悪そうに新人アイドルの襟を掴んでいる。

 瞬時に華やかな笑顔に戻る桜井さん。いつもの顔だが、この顔に騙されたことは幾度とない。

 仏の笑顔は威嚇の証。笑いとは本来攻撃的な……。

「有沢八雲の姉として、デビューし直すわよ!」


 一週間前の私なら、八雲のおまけとしてデビューするなんて何があっても受け入れなかっただろう。

 桜井さんはおそらくそれを試している。

 神宮美姫に追いつけない事は分かっていた。

 無理にトップに立てば、彼女に食い下がろうとすることで私のアイドル像が崩れる。

 努力で追いつけないのなら、私は彼女に負ける事になる。

 それでも構わない。そりゃ少しは悔しいけど。


 それに今は。


「八雲、私と一緒でいいの?」

「もちろん。お姉ちゃんの歌が聞きたいもん」

 八雲は微笑んでくれた。あそこまで貶した私をこうまで認めてくれる。

 ありがとう。八雲。

 桜井さんは口角をつり上げた。

「さては何かあったな」

 小突かれる。懐かしい斥力だ。

「もうトップアイドルは辞めた!」

 桜井さんと八雲の手を引いた。復帰が決まれば!

 新人アイドルも付いてくるけど気にしない。私を超えたきゃ超えていけ!

「ちょっと優姫どこ行くのよ!」

「謹慎が解けるまであと十日しかないの! 練習練習!」

「はぁ……全く」

 また忙しい日々に逆戻り。

 でも、今回はうまくいきそうだ。

 新生、下川優姫を見せ付ける!

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