第4話 血の繋がりはなくても
「し、下川さん……」
……なんですか?
「きょ……今日のお仕事の事なんですけどぉ……」
桜井さんに渡されたスケジュール帳を確認する。4月5日。
10時からドラマの収録。22時にラジオの生放送。
そうつぶやいて鞄にしまう。
「え……ええっとぉ……。苦手な共演者さんがいてそのー……」
八雲は複雑な心境だろう。
曲がりなりにも姉だった私がマネージャーに転落したのだから。
マスコミは私の怪我を大々的に報じた。事務所は不意の事故として全治1ヶ月と正式発表。
頬にガーゼを付けた痛々しい姿で週刊誌のトップ記事を飾り、神宮美姫一色だった雑誌を塗り替えた。
怪我の功名だと思えば慰めも付くだろうが、誰にぶつけて良いのか分からない憤りだけが燻っている。
レギュラー番組は八雲に引き継ぎ、取材のアポはキャンセル後、ほとんど神宮美姫の特集記事になった。
真っ先に見舞いを寄こしたのも神宮美姫だった。
報道よりも早い神宮美姫の行動。間違いなく桜井さんの手引きだった。
桜井さんとはあれ以来一言も喋っていない。話し掛けても何も返してくれない。
社長と八雲と桜井さんの4人で囲んだ団欒のソファは、私が座ることを許してはくれなかった。
もう2週間歌っていない。世間はこの間に、私を無視して玉虫色に変化していった。
神宮美姫は第二弾シングルのプロモーションを始めた。
私より格下だった有沢八雲は今週末に新曲の発売を控えている。出演しているドラマの主題歌だ。
視聴率も良好らしい。世間は二人のアイドル、神宮美姫と有沢八雲に沸き返った。
桜井さんは相手してくれない。社長は忙しそうに飛び回っている。八雲との仲はギクシャクし始めた。
常に他人と距離をとるアイドル教育は、私に友達を作らせなかった。
スタッフはおろか、バラエティで共演した女性アイドルのメアドすら知らない。
知っていても相談など聞いてくれる間柄ではないだろう。
オブラートに包んだ敵意をハリネズミのようにちらつかせていたのだから。
ネット掲示板は美姫・八雲を持ち上げ、対照的に私に対する暴言ばかりが目立つようになった。
私は、芸能界からも世間からも追放されてしまった。
再起の可能性はある。あると信じている。
しかし、テレビはしばらく私を使ってくれないだろう。録画放送の撮り貯めの関係だ。
仮に2週間で復帰出来たとしても、私の姿がお茶の間に流れるまでは1ヶ月はかかる。
雑誌の記事も同じ。ガーゼを貼り付けた顔写真を使うと興味がそちら側へ行ってしまう。
では顔が見えない仕事ならどうか。いや、ラジオには出演できない。
顔の怪我が写真以上にひどいと思われたら、ただでさえ危ぶまれている存在が破壊されてしまう。
追い込まれていた。
追い込まれていたが、何を考えることもできない。焦りすらない。
時々あのライブの事を思い出しては、神宮美姫に対する怒りを再燃させる。
けれども、それを発散させる相手はもう私の周りには居なかった。
事務所メンバーも、妹も、全員私が自分自身で追い払ってしまったのだから。
そもそも、その怒りも分不相応な嫉妬に変わりつつある。
私はもうトップには居ない。
「だ、大丈夫ですか優姫さん!」
堪えきれずに涙が流れた。
バカなのは私だった。
稼ぎ頭などと自称していた自惚れが、自意識過剰なまでに自信を膨張させていたのだ。
周りの連中は添え物程度にしか考えられなかった。
彼ら彼女らはアイドル・下川優姫を引き立たせるための舞台装置だった。
「優姫さん!」
八雲には本当にひどいことを言ってしまった。
でもたった一言、謝ることができないでいる自分が悔しい。
今は八雲一人が必死になって仕事をしている。
もう事務所に華やかな下川優姫は居ない。湿気た新人マネージャーがお荷物になっているだけ。
「……私はここで見てますから、お仕事がんばってください」
「はい……」
八雲は口ごもりながら返事して、現場入りした。今日はロケ。少し肌寒い。
桜井さんと社長は事務所の新人の教育に力を注いでいる。
売り出し中で大事な時期の八雲を私に任せたのは、単なる厄介払いだ。
元アイドルが事務所でゴロゴロしていたら後輩に示しが付かない。
湾岸沿いのロケ風景をフェンスに保たれながら見ていた。海風が強い。
そういえば、私もここで収録したっけな。
戻れない過去の事を思い出した。あの頃は楽しかった。
「おや、天下のアイドルがこんなトコで油売ってるなんて感心しないな」
私の初ドラマのメガホンを握った監督さんが立っていた。
人当たりの良い初老の男性だ。目尻の下がった双眸が私を見つめている。
「監督こそいいんですか。カメラ回ってますよ」
現場を眺める。彼氏役の俳優と八雲が追いかけっこしていた。
「いやな、ああいう若々しいシーンは年寄りには応えてね」
パナマ帽を被り直しながら笑う。私もつられて口をほころばせた。
「私、アイドルクビになっちゃったんですよ」
私が台詞のミスをしたときも、監督は笑って撮り直したし、時には脚本さえ書き換えてくれた。
桜井さんが忙しい時は率先して私の世話を引き受けてくれた。
この人には、アイドルじゃない下川優姫を知って貰いたかったのかもしれない。
自分勝手なまでに味方が欲しかった。
「背伸びは疲れるだろう」
頷く。すでにある程度は事情を知っているようだ。
「誰しもそうだ。キミぐらいの歳の子は特に」
私ぐらいの歳……。
監督はフェンスにもたれる様に屈んだ。監督の話を聞きたくて、私も腰を下ろす。
「一生懸命になりすぎて、大事なものを見失うんだ」
自分の夢を追いかけて失ったもの。まず八雲の顔が浮かぶ。
そして事務所の先輩、後輩達。芸能界を辞めたライバル達。
「芸能界は競争の世界でもある。だからいずれは戦わないといけない」
初老の男性は、遠くを見るように続ける。
「僕もキミと同じ。若い頃は一歩でも先に同期を出し抜こうと躍起だった」
監督も?
「ああ。そして気づくんだ。自分が孤立無援の状況にあると」
どきりとした。今の私そのものだ。
必死になって掴んだアイドルの座を蹴落としながら守っているうちに、周りには誰も居なかった。
ライバル達は私に辛酸をなめさせられ続けただろう。誰も私の味方をしてくれない。
「あの頃が一番辛かった。今でも僕を恨んでいるヤツは居るだろう」
仲直り出来なかったんですか?
「僕が彼の職を奪ったんだ。どうやって仲直りできる」
あ……。
八雲に謝っても許してもらえない。彼女を押さえつけていたのは私だ……。
許してもらうなんて虫が良すぎる。
「でもそいつは別の分野で大成功した。今でも年賀状が来るよ、恨み節を込めてね」
監督は笑っていた。
ライバルだったんですか。
「そう。切磋琢磨していたよ。あいつとは」
「あの……」
「何かな」
聞きたい事がある。どうしても聞きたい事がある。
現場の予定を知っているのは最高責任者のこの人なのだ。
「お昼休みって何時からですか!」
同時に腹の虫が鳴った。監督以外に誰も居なくて良かったと思う。
監督は微笑んだ。
「10分で良ければ、八雲くんだけでも休みにするよ」
心の底から礼を言えたのは久しぶりだった。
八雲に謝らなければ、土下座してでも謝らなければ。
そして私を知ってもらいたい。
身勝手すぎる。嫌われるかもしれない。
それでも私は聞いてもらいたい。
「八雲くんは素晴らしい子だ。演技は下手だが!」
監督は楽しそうに私を見る。
「キミとは正反対の、嘘が吐けない子だよ」
ええ、間違いありません。
「さすがにキミの妹と言うだけあって、キミと同じ芯の強さを持っている」
男性は立ち上がって、私の肩を叩いてロケクルーの方に歩いていった。
「彼女は大切にしなさい」
監督と入れ違いになった八雲が私に走り寄ってきた。
結局、監督の名前は最後まで思い出せなかった。
言わないと。
「なんですか、優姫さん」
化粧してかわいさに磨きがかかっている八雲が私を見た。
よくサボっている私とは違う、いつもの八雲だ。
「あの……。この前のさ……」
次の言葉が出てこない。怖くて言い出せない。
虚を突かれたであろう八雲は、私の顔を見たまま固まっていた。
ごめん。
「な、何のことですか?」
あなたのこと金魚の糞なんて言ってごめん。
私が少しでも相談にのってあげたりしないといけなかったのに。
もう言葉に詰まった。いつの間にこんなに涙もろくなったんだろう。
自分を恥じるしかない。許して貰うための涙なんかじゃない、バカな自分に対しての涙。
止まらない。大粒の涙が滝のように溢れては、真っ直ぐ伝って落ちていく。
立ってられなかった。地面に倒れ込む。膝を打ち、肘を擦りむいた。
謹慎期間が延びる。もうどうでも良い。
謝りたい。八雲に、桜井さんに、社長に、私が迷惑かけたみんなに。
「……いいんですよ。あの時の私は優姫さんの名前に甘えてましたから」
そんなことない、私が押さえつけていただけ!
「違います、優姫さんは何も悪くないですよ。私や事務所のために頑張ってくれてたじゃないですか!」
違うの! 私はそんなにみんなの役には……。
「私は今、優姫さんから受けた恩を返してるんです」
八雲が、倒れ込んだ私の肩を掴んだ。冷え切った冷たい涙が頬を伝う。
「そうだ、今度遊びに行きましょう! 私、渋谷って行ったことなかったんです」
私だって行ったこと無いよ。
我慢していた八雲が吹き出した。
「私、お姉ちゃんが欲しかったんです」
面接で聞いたよ。覚えてる。
「覚えててくれたんですか。嬉しいな」
八雲が抱きついた。
温かい。3月初頭の様な寒さが戻ってきた日に、ちょうど良い八雲の温度。
「血の繋がりなんてなくても構いません。私のお姉ちゃんでいてください」
耳元で囁く。
「はじめての告白です」
涙が止まらなかった。
自分があんなにも卑下していた八雲は、こんなにも私を理解してくれていた。
私が歯牙にもかけていないと知りながら、健気に妹の役を演じていた。
今は八雲の優しさに声をあげて泣く。
「じゃ、泣き虫お姉ちゃん。私は現場に戻るね」
泣いて笑って、忙しい滑稽な顔になっているだろう。八雲は笑っていた。
私は手を振って送る。
何度も何度も振り返る八雲が小さくなるまで、腕を振り続けた。
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