第3話 首切りサプライズ
販促も売り出しもネットでの下馬評も無い、無名の新人・神宮美姫。
何故彼女が私を超えていけたのか。
それは彼女の声の特殊さじゃない。もっと違う所、外見的特徴でない部分。
「神宮美姫はおそらく優姫のように切羽詰まったアイドルじゃないわ」
そう、その通り。
だからそういう事言わないでよ桜井さん。一応後輩の前なんだから。
「あーごめんごめん」
平謝り。慣れっこだ。
「え……優姫さんいっぱいいっぱいなんで、ひゃあ!」
うーるーさーいー。八雲の胸を掴む。
やっぱり小さい。桜井さんのは揉み応えがあるんだけど。
「ライブ後に話す機会作っておいたから、粗探しするなら頑張りなさいよ」
さっすが桜井さん。チケットの入手だって大変だっただろうに。
懐かしいライブハウス。初心に戻る心持ち。
いや、何一つ変わっていない。
トップアイドルになるためには、私にとって全てが踏み台でしかなかった。
この小さなライブハウスも踏み台。トップアイドルとは常に高みを目指さなければいけなかった。
安っぽい前説が終わると、舞台袖からいそいそと少女が現れた。神宮美姫だ。
狭苦しい会場に割れんばかりの声援。立ち見会場のかぶり席に三人で陣取って凝視した。
Mステージの時と同じような控えめな衣装。軽いショートヘア。朝からにらめっこした顔がそこにある。
「本日はご来場いただきありがとうございます」
悲鳴にも似た歓声。鼓膜が突き破られそうになる。
神宮美姫は丁寧に挨拶して頭を下げた。本来は前説の仕事を彼女自ら行っていた。
なるほど、これが清純派のゆえん……。
「持ち時間は2曲分しかありませんし、お聞き苦しい点があるかもしれません」
「ないよー」「愛してるよー」と声援が飛ぶ。
この中の何人が私から神宮美姫に寝返ったのか、なんて考えると声援さえ苛立たしい。
「よろしくお願いします!」
お辞儀に同期してイントロが流れはじめた。CDのインストゥルメンタル音源だ。
生バンドを使うことも出来ないような駆け出しのアイドル・神宮美姫。
嘘のつけないライブ会場で、本当の歌声を聞かせていただこうじゃない。
神宮美姫は御茶ノ水の聞いたこともない音楽スクールの卒業生だという。
そのまま場末の系列事務所に入所し、2年間の下積みを経て電撃デビューを飾った。私と同じ。
事前情報が無いのも無理はない。所属タレント1名の斜陽事務所までチェックし切れていなかった。
私ひいては大江戸芸能の怠慢だが、仮に知っていたとしても彼女は止められなかっただろう。
彼女から出る旋律はハイキーからミドルキーの声量を保ち続ける。
心地よい歌声が耳に残る。旋律が頭にこびり付いて離れない。
脇を見れば、八雲が吸い込まれていた。目をキラキラと輝かせて舞台で踊る神宮美姫を見ている。
桜井さんは、「どうするの」とでも言いたげな目線を私に向けている。
見惚れる。今までにこんなアイドルは居なかった。
現在まで私を脅かしたアイドル達は皆どこか欠点があり、その欠点が私の高ぶりを萎えさせた。
神宮美姫は完璧なアイドル。私と同じ、全く同じ境遇を生きてきたいわば生き写し。
彼女も考えているはず、『下川優姫を潰そう』と考えているはず。
私のデビューが半年遅れていたら、今の地位が保てていたか分からない。
彼女はまるで私だった。
「ありがとうございました!」
息を上げてお辞儀する。拍手と声援が後方から容赦なく飛んでいく。
したくないのに拍手してしまう。それだけの力量が彼女にあった。
「実は今日はお二方にスペシャルゲストとして来ていただきました!」
「呼んでもいいかな~?」お昼の番組のような掛け合い。
本日のゲストと題されて二人の名前が呼ばれた。
「下川優姫ちゃんと有沢八雲ちゃんです!」
スポットライト? こんなサプライズ聞いてないわよ!
桜井さんはいつもの何考えてるか分からない笑顔で私を見ている。
会場にはもはや歓声とも罵声とも付かない叫び声が飛び続けているだけだ。
「どうぞ!」
昔と違い、会場と舞台は柵が無かった。上がろうと思えば簡単に上がれる舞台だ。
こんな舞台で、これだけの観客を相手にして彼女は物怖じ一つしない。
やはりただ者ではない。
加えて、自分のライブで私たち二人を舞台に上げた。
これは神宮美姫の、下川優姫に対する挑戦。
そう受け取らせてもらうわよ。
「秘密で来てたのにバレちゃってたかなー?」
八雲の手を引いて舞台に上がった。舞台と言っても2,3階段を上がっただけの簡素なものだ。
満面の張り付いた笑み。屈託のない笑顔。心の奥まで透き通っている様な純粋さ。
こちらも負けじと営業用スマイルで対抗する。八雲は普段のままだ。
神宮美姫の計算し尽くされた言動は、私が最も苦手とする相手・正統派アイドル。
スタッフの用意したマイクを受け取り、八雲共々軽く挨拶する。
観客の興奮は収まらない。何せ今をときめくアイドルが三人も舞台の上にいるのだ。
「美姫ちゃん、ミリオンおめでとうございます」
まずは相手を労って出方を見る。私がミリオンを達成していない事を知っているだろう。
だからこそ、相手から返答を引き出す。
「ありがとうございます! 優姫さんに褒めてもらえるなんて光栄です」
そういって私の手を握る神宮美姫。白いビロードの様な手が私の両手を握り込んだ。
彼女の温度が私に伝わる。息が上がっていた。
「あー、八雲ちゃん」
彼女は八雲にとりついた。八雲の背から手を回し、肩に覆い被さった。
ちょっと、その子は私の……。
「八雲ちゃんはかぁーいーですねー」
清純派でかわいいもの好きというか積極的というか。
どちらにせよこの程度では欠点などとは呼べなかった。
むしろ、美姫は八雲を引き立ててやったのだろう。
あまり目立ちたがらない八雲を目立たせる、もっとも手っ取り早い『かわいさを引き立たせる方法』。
「お、おねえちゃーん!」
営業の時は優姫さんからお姉ちゃんに変わる八雲。
プライベートでは決してお姉ちゃんとは呼ばなかった。彼女なりの気遣いだろう。
私はとりあえず笑って、神宮美姫が離れるのを待つ。アイドルの所作は控えめ且つ大胆でないと。
予想通り、美姫は八雲を離した。おそらく演技無しで私の懐に潜り込む八雲。震えている。
「ゴメンね八雲ちゃん」
美姫ちゃんが急でびっくりしたんだよね。
コクリ、と頷く。
姉妹設定でもないとこんなバカげた事やってられない。
「優姫さん、一緒に歌いましょう」
アウェーで、私を舞台に上げて、なおかつ歌わせる?
桜井さん、神宮美姫に喧嘩を売らせるために私をここに連れてきたの?
「練習したんです、優姫さんの新曲」
まだミリオンには遠い私の新曲を、同じタイミングに出してミリオン達成した歌手が歌う。
挑発以外の何者でもない。
体中の血が一点に集まる。表情から指先まで全身のどこにも怒りを表さないように気をつける。
こういうトレーニングも積んできた。どんなに自尊心を傷つけられようとも黙って話を続ける事。
元々は年上のアーティストのための対策だったはずだが、こんな所で生きてくるとは思わなかった。
もちろん、事務所との契約を盾に逃げることも出来た。
だが、下川優姫は逃げたなどと思われたら一巻の終わりだ。
桜井さんはこうなることを全て知っていただろう。
これから先、私のキャパではどうしようも無くなると私に分からせようとして。
これから先の不安はある。それに自信もあまりない。
しかし私が彼女を潰さないと、私が潰される。事務所も八雲も潰れるだろう。
自意識過剰なまでにあふれ出ていた自信が、彼女を目の前にすると奮い立たないのだ。
チラリ、と桜井さんを見る。普段通りの張り付いた笑いを浮かべたマネージャーが居た。
あくまで私を試すつもり。
言葉を選びながら、観客と目の前の強敵に勘づかれないように話を合わせる。
八雲は既にステージの袖近くまで引っ込んでいた。
何も出来ないあなたには、舞台袖がお似合いよ。
「じゃ、お願いします」
イントロが連綿と流れ出した。通算10曲目の私の新曲は、いつものあいり♀プロデュース。
今回は正統派アイドルポップスを書いたという彼女渾身の楽曲だった。
私のために、特別に用意してくれた曲をこの女が歌う。それだけで既に私の怒髪天を衝いている。
「ワンコーラスずつ、サビでユニゾンしましょう」
マイクに乗らない小声で私に指示する。彼女の要求など耳に入らない。
この曲は私の曲だ。私が一人で歌わないといけない曲なのに。
Aメロは神宮美姫が先に、Bメロは私が先に、そしてサビはユニゾン。
途中何度も声が擦れそうになる。息も上がってきた。一人では歌えきれなかった。
この曲はダンスが激しいため、どうしても声が出ない箇所がある。
私の当面の目標は、この曲の歌い込みだ。
しかし、美姫は歌う。私と同じ振りをしながら、複雑なダンスを続ける。
私も観衆に負けている姿は見せたくない。見せてたまるか!
踊る、歌う、回る、飛ぶ、歌う。
ループを繰り返し、締めの最高音。アウトロが流れ、徐々にフェードアウトしていく。
神宮美姫の顔を見た。歌い始めと何ら変わらない、余裕のある笑顔で私を見る。
ハイタッチし、平然を装いつつ観客の声援に応える。
「ありがとうございました! ゲストは下川優姫ちゃん、有沢八雲ちゃんでしたー!」
声援が飛ぶ中、舞台袖から引っ込んだ。
もう神宮美姫に会わせる顔がない。彼女は歌もダンスも完璧に仕込んでいた。
それに、あの歌を私以上に歌い込んでいる。
対する私は、肩で息をするほどに疲れ切った体を彼女の前に晒してしまった。
分かってる。
ここが潮時だって。
「優姫、あなたは方針を転換する必要がある」
桜井さんが裏から前室に入ってきた。
何故私を試すような真似を。
「彼女はまともにやりあって何とか出来る相手じゃない。そう言ってるの」
抑えていたものが爆発した。
「あなたの」
負けてなんかない! あたしは勝ち続けるの!
涙まで溢れてくる。
裏方も出演者も待機している場所だ、イメージ崩壊に繋がることは十分分かっている。
それでも叫ばずにはいられなかった。幸いにも、一番この姿を見られたくない相手は居ない。
「優姫さん……」
うるさい! あんたみたいな金魚の糞に私の何が分かるって言うのよ!
私がどれだけこの業界で苦労したと思ってるの!
あんたは私に甘えて、私が引いたレールの上をただ走ってるだけじゃない!
「優姫」
視界がどこか違うところを向いた。頭の向きが違うと分かり、殴られたのだと気づく。
桜井さんが私の顎を掴んで睨んでいた。
「いい加減にしなさい! 八雲ちゃんに謝りなさい」
「い、いいんですよ。私なんて優姫さんの人気にしがみついてるだけですから……」
「謝りなさい!」
どうして! どうして謝る必要があるの!?
事実じゃない! 事務所も八雲も私に掛かってるんでしょ! 私の責任なんでしょ!
私が居なかったら桜井さんだって八雲だって働けないのよ!
今度はもう一発。平手ではなく拳が右頬に飛んできた。
大事なアイドルの顔めがけて振りかぶりから強烈なパンチをお見舞いされる。
血の味が口の中に広がった。
見下ろす桜井さんにいつもの優しさは感じられない。
「顔に傷ついたから優姫はしばらく謹慎。明日からは大江戸芸能の事務。いいわね?」
そんなことして事務所が潰れても知らないわよ!
「これからは八雲ちゃんを大々的に売っていくわ」
マネージャーは八雲に名刺を渡す。
「今日付で有沢八雲専属マネージャーになります、桜井涼子です。よろしくお願いします」
「え……社長さんは……」
「それでこちらが、大江戸芸能の新人マネージャー、下川優姫です。未熟者ですが」
何で私が八雲のマネージャーなんかしないといけないのよ!
敏腕マネージャーの拳が顔面すれすれで止まる。
「これ以上傷物にされたくなければ大人しく従いなさい、下川」
桜井さんの姿はそこにはない。辣腕のマネージャーが私を捻り潰そうとしている。
私は桜井さんに嫌われてしまった。唯一の理解者だった桜井さんに。
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