第38話 零

 零が会いに来てくれた。零は真っ白なシャツに青のジーンズを履いていた。今の季節は冬なのに、それに似合わない恰好をしていた。

「蓮…。大丈夫だった?」

 あたしは首を縦に振った。

「零の方が心配だったよ。大丈夫?寒くない?」

 零は下唇を噛んだ。所作も人間とほぼ変わらない。どこからどう見ても人間だ。

「寒さは、平気なんだ。寒いっていう感覚はあるけど、死なないんだ。蓮はどこまで聞いたの?」

「零が作られた存在だってことと、零を作ったのがお父さんだってこと。後はよくわからない」

「うん。僕が作られた存在だっていうのは本当。そして蓮のお父さんが僕を作ったのも本当だよ。でもまだ語られてない部分もあるんだ」

「まだ、秘密があるの?」

「僕は機械だから、この身体にデータが入ってるんだ。人工知能でIQも高く、通常の人より頭が良い。今重要なのは身体のデータの方。おじいちゃんは元・科学者って言ってたよね」

 あたしは頷いた。零があの日おじいちゃんと二人で話していたことの、秘密を明かされる気がしていた。

「あの日に、蓮のおじいちゃんに身体にデータを入れてもらったんだ。ゼロ号計画は元々蓮のおじいちゃんが進めていた計画だったからね」

「おじいちゃんが…?」

 零は穏やかな表情と声で淡々と話した。

「一目見て気付かれたよ。流石、元・科学者だね」

「それで…? おじいちゃんは何を残したの?」

「これを僕の中に埋め込んだ」

 零はマイクロチップを蓮に手渡した。

「携帯に差せば見られるようになってるらしい」

 携帯電話にマイクロチップを差し込んだ。映像が出てきた。おじいちゃんだった。



 ―蓮。零君のことは本当に申し訳なかったと思っている。

 最初に零君の実験を発案したのは私だった。

 ゼロ号実験。その発端は私の科学者としての夢だった。

 だけど、その夢はあってはならないことだった。

 夢で終わらせるべきだったんだ。

 私はその事に気付き、実験を途中で投げ出した。

 逃げてしまったんだ。

 ゼロ号実験で幸せになる人などいない。

 生み出される命も、軍事に使われ襲われる街の人々も誰も救われない。

 ただ、零君と蓮を見ていると、それも少し違う気がしてきていた。

 二人が一緒に寄り添い合っている姿は、普通の人間と変わらなかった。

 いつか零君と離れなければならない時が来ると思う。

 でもそれは、人と人が離れるのと同じく、当たり前に訪れることだ。

 零君がゼロ号だから、という理由ではない。

 人と人には別れがくるものだ。

 いずれ来る別れを受け入れてほしい。

 私自身も零君の存在を受け入れなければならなかった。

 零君は軍事用の存在でも、存在しない『モノ』でもない。

 蓮にとってかけがえのない『ヒト』だっただろう?

 答えは蓮の中にもうあると信じているよ。

 そして零君。

 蓮君は心がない……と、感情がない……と、そう思っているかもしれない。

 だけど、心はどこにあると思う?

 心臓か?脳か?身体か?魂か?

 科学者だった私が言うのも変だが、どれも違うと思っている。

 それこそ、心の在り処を見つけるために研究していたのかもしれない。

 でも、その答えは二人で見つけてほしい。

 零君も蓮と一緒に探してほしい。

 二人の未来がどこまでも伸びていると信じているよ―



「これを蓮に伝えるために僕の中に隠したんだ」

 あたしは、おじいちゃんの最期の言葉をかみしめていた。零との別れ。それがいつ来るのか。あたしには大体予想が出来ていた。

「ねえ、蓮。僕と蓮が一緒にいたわけ。わかる?」

 あたしは少し考えて答えた。

「同じ絵を描くのが好きなもの同士だったから?」

「それは違うんだ。実は、僕は蓮が佐々木本部長の娘だと知ったから近付いたんだ」

「お父さんの…?」

 零は頷いた。その顔には笑みはなく、それでも穏やかさは変わらなかった。

「うん。僕のお父さん…、蓮のお父さんだね。蓮が、お父さんの娘だってわかったから、僕は蓮に近付いた。僕を実験に使っている人の娘に近付いて、傷つけようと思ったんだ」

 あたしは言葉が出なかった。零の口からそんなことを聞かされるとは思いもよらなかった。

「だけど、蓮と一緒に帰った時、コンビニでショートした機械を壊す店員がいたの覚えてる?」

 あたしは目線を空中で泳がせた。そして、思い出した。

「あ、あった。確か、その店員さんを止めたんだよね」

「うん。それでこう言ったんだ。「なんで、みんな大切にしてあげないんだろう。壊れたら次の機械を使えば良いさって考えなんだろう。この子は必死に働いてきた仲間なのに」。そう言ったんだ。それが……、僕の存在を照らしてくれた。使い捨てだと思っていた僕の存在に意味を与えてくれたんだ。やがて思った。蓮にとって必要な存在になれば、僕も存在を証明できるんじゃないかって思えたんだ」

「それが、あたしと一緒にいてくれた理由?」

 零は質問に答えずに続けた。

「僕はいつも理由を探してたんだ。本当に僕は存在しているのか。本当に僕に感情があるのか。夢を見てもそれは偽物だったんじゃないか。そう思ってたんだ。でも本当は単純だったんだ」

「単純?」

「うん。存在は自分で見つけるものじゃない。誰かが思い出してくれれば存在することになる。だから誰かの思い出になりたかった。でも夢や感情についての答えは出てない。だから蓮に託すとするよ」

 零は小屋のロックを外した。だけどドアの前に立ったまま動こうとしなかった。

「蓮。僕の代わりに答えを探して。お願い」

「零は、どうするの?」

 零は何かを決心したような目をしていた。

「僕は、これをしなきゃいけない」

 小さなマイクロチップを手に持っていた。それはさっき見たのと似ていた。だけどどういったものなのかは、あたしにはわからなかった。

「このマイクロチップには、電子ウィルスが入っている」

「え…」

「これは、僕を媒体にして全国に広がる。病院や道路など、生命に関わるもの以外のデータを破壊する。いわゆる電子テロだよ」

 あたしは、恐る恐る訊ねた。

「それを使ってどうするの?」

「今の電波社会を終わらせる。僕みたいな存在を生み出しちゃいけないんだ」

 あたしは零のしようとしていることを止めることが出来なかった。この電波社会の一番の被害者は零なんだ。あたしは零のことを想って涙が流れてきた。

「ねえ、蓮。涙の場所ってどこだと思う?」

「涙の場所?」

「僕は涙を流したことがないんだ。だから素直に泣ける蓮が羨ましかった」

 一つの考えが浮かんだ。もしかして。

「そのマイクロチップを使うと、零はどうなるの?」

 零は優しく微笑んだ。それが答えだった。

「僕はもう十分だから…、だから、後はお願い」

 零は腕からマイクロチップを入れた。バチバチと音を立てて、零の中で何かがショートしていくのがわかった。あたしは零の行動を泣きながら見守っていた。あたしには何も出来なかった。止めることも、支えることも。

「蓮…。僕は君を愛してたかな? 感情はあったかな?」

「零の気持ちはちゃんと伝わってたよ。あたし…」

 零は掌でそれ以上言うのを止めた。そして、微笑んで言った。

「良かった」

 零はバチバチと轟音を鳴らしながら倒れた。零のこめかみを涙が伝っていった。

 零は涙を流していた。感情も、夢も、心もあった。作り物なんかじゃなかったんだ。

 あたしは、零のそばで涙を流した。

 涙の場所ってどこなんだろう。

 ただ溢れる涙が頬を伝って地面に落ちていった。

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