第36話 不意……
冬休みに入る前日の登校日だった。あたしは学校に行く準備をして、家を出た。学校に着くと、零は先に着いていた。零はあたしに気付き、自分の席からあたしの方へと歩いてきた。
「おはよう」と声を掛けると、「おはよう」と返してくれた。
零の周りに女子が群がることはなかった。あの事件をきっかけに、あたしと零の関係も周りに認知され、零にちょっかいを出す生徒も減ってきていた。ちょっかいと言うと少し違うかもしれない。
零の中に入り込もうとする人がいなくなった、というのが正しいのかもしれない。どちらにしても、零の気持ちが尊重されるようになったということだけは間違いがなかった。
「今日も美術室行く?」
あたしは、「もちろん」と答えた。続けてこう言った。
「でも、その前に屋上に行きたいな」
零は目を丸くした。
「なんで?」
「最近寒いから行ってないじゃない。久しぶりに行きたいな」
零は、うーん、と唸っている。答えが出たように言った。
「じゃあ、放課後は屋上に寄ってから美術室に行こうか」
始業の鐘が鳴った。今日は終業式なので、電子パネルに映った校長の話を教室で聞いた。
体育館はとっくの昔になくなっていた。電子パネルでの校長の話が終わり、その後、ちょっとしたロングホームルームがあった。
あたしは早く終わらないかなー、と心で呟いていた。考えていたよりも早く終わり、あたしと零は一緒に教室を出た。
屋上に着き、あたしは寝転がった。零はフェンスに寄りかかった。屋上は冷たい風が吹いていた。北風と太陽の北風のようだった。太陽はとっくに諦めてしまっている。雲に隠れて昼間なのにどんよりと暗い。
雨が降るのかな。購買で買ってきた、ジュースを飲みながら、話をした。
「右腕大丈夫?」
「ああ、これ?全然。問題なし」
あたしはホッと息を吐いた。
「良かった…。零の右腕をあたしが奪ってたら、ってずっと思ってたんだ」
「蓮はそんなこと考えなくても良いんだよ」
「考えちゃうよ。零は絵の才能もあるのに、それをあたしが潰しちゃったらどうしよう、とか考えたりもしたよ」
「僕は、僕の才能とかよりも蓮の人生の方が大事だから」
零はいつになく真剣な顔で話していた。何かを告白するみたいに神妙な顔つきをして続けた。
「それに…、実は…、」
ガチャンと音が聞こえた。鈍い金属音だった。寝転がっていたあたしは、何が起こったのかわからなかった。寝返りを打ち、零のいた方を見ると、零の姿がなかった。零の姿だけじゃなかった。寄りかかっていたフェンスごと零の姿がなくなっていた。
「零…?」
あたしは、零のいた辺りに近付いた。すると、零の声が聞こえた。
「蓮。来ちゃダメだ」
零は外壁の端っこに掴まっていた。指先だけで、掴まっている。フェンスは地面に落ちて、大きな音を立てた。右腕が使えないので、左腕だけで支えている。今にも落ちてしまいそうだ。あたしは、零の腕に掴まり引っ張り上げようとした。
「零。今助けるからね」
あたしは、零の腕を力の限り引っ張った。だけど、男子の体重を女子が持ち上げるのは容易じゃない。あたしも半分身を乗り出していた。
「ダメだよ。そんなことしたら、蓮まで落ちちゃうよ」
「大丈夫。今度はあたしが助ける番だから」
必死に引っ張り上げようと頑張った。やがて、零はニコッと笑った。
「蓮。ごめんね」
零はあたしの手を振りほどき、落ちていった。
ドサッという音が響いた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。落ちていく零が頭の中でスローモーションで再生されていった。数秒時間が停止した後、あたしは駆けだした。
屋上のドアを開け、階段を勢いよく降りていった。
零、死んじゃ嫌だよ。あたしは必死に零の元へと駆けていった。靴を履き替えるのも忘れて、学校の裏に回った。零が倒れていた。胸に木の枝が突き刺さっている。ちょうど心臓辺りに位置していた。なんでこんなことに?
おじいちゃん、那智、次は零なの? あたしから大切な人を奪っていく。絶対に失いたくない。もう失いたくない。涙が止めどなく流れてきた。嗚咽を漏らしながら、零のそばに座り込んでいた。そうだ、救急車を呼ばないと。あたしは救急車を呼ぼうと携帯を取り出した。
零が右手を伸ばして、あたしの腕を掴んだ。
「救……急車……は、呼……ば……ない……で」
あたしはかぶりを振った。
「じゃあどうすれば……」
零は自分のポケットを指差した。
「ポケットの中を見ればいいの?」
零は頷いた。あたしは、零のポケットの中に手を入れた。中から、携帯電話が出てきた。
「携帯……開いちゃって良いのかな」
あたしは携帯を開いた。あたしの番号と、もう一つ、『ゼロ』と書かれた番号が入っていた。あたしは『ゼロ』に電話を掛けた。繋がった先から聞こえた声は、合成音声のような声だった。
「ゼロ号危険信号の発信が確認されました。ただちに現場に急行します」
「ゼロ号に危険信号が出たな…」
「そうですね。本部長行きますか?」
本部長は椅子から腰を上げた。
「そうだな。ゼロ号の修理は俺にしか出来ないからな」
「先に、研究所の者が向かっています。多分、すぐに回収すると思われます」
「それなら、回収した後に修理するしかないな」
田川主任は不安そうな顔を浮かべた。
「あの子には伝えなくて良いんですか?」
本部長は冷めきったコーヒーを飲みほした。
「いずれ知る日は来る。それが今日なのかもしれないがな」
「ショックを受けるでしょうね」
「だけど、仕方がない。俺達はそれすらも覚悟の上でやっているんだ」
田川主任と本部長はビルから出ていった。
零……。大丈夫?
あたしは、零のそばに寄り添い声を掛け続けた。零の身体は冷たく、呼吸もしていなかった。雨が降ってきた。零の傷口に雨が染み込んでいく。すると、そこに三人の男の人がやってきた。
「お嬢ちゃん。ちょっとごめんよ」
男の人は零の身体を触った。何かを確認しているみたいだ。
「これがゼロ号か。研究段階とはいえ完成度は高いな」
年配の男の人が言った。
「でも、これだとまた作り直しですね」
若い男の人は憂いている。
「まあ、データは十分に取れた。データだけでも引き継げば、次の世代でも使えるだろうな」
身長の低い男の人は淡々と話した。
「学習能力の伸びは今までで最高だったな」
「やはり、感情が芽生えると成長も早まるようですね」
「これなら、軍事にも十分使えるレベルだな」
あたしは三人の言葉を黙って聞いていた。ゼロ号? 作り直し? データ? 軍事?
聞き慣れない単語が飛び交っていた。やがて男の人達は、零を持ち上げて運ぼうとし始めた。
「やめて。零を連れていかないで」
男の人達は困ったような声を出した。
「ゼロ号は私たちが作ったんだ。回収するのも私たちの役目なんだよ」
「零はゼロ号なんて名前じゃない。回収とか言わないで」
「構うな。運び出せ」
あたしは、必死に零のそばを離れないように掴まり抵抗した。あたしの抵抗も虚しく、男の人達は零を、モノを扱うみたいに運び出そうとしている。
「どうしたんだ?」
「本部長」
本部長と白衣を着た男性がやってきた。本部長と呼ばれた人が言った。
「ここは俺に任せて、田川君は先に行きなさい」
あたしは、振り返った。本部長と呼ばれた人を見た。
「お……父……さん」
蓮。泣かないで。僕は大丈夫だから。
蓮。君は無事でいるかな。それだけが気掛かりだよ。
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