第35話 右と左
あたしはどこにいるんだろう。ふわふわと浮かんでいる。涙を流し過ぎておかしくなっちゃったのかな。零。大丈夫かな。右腕は動くのかな。
那智はどうなったの? あたしの友達なのに。どこまで行っても暗闇の中だ。
この暗闇はどこまで続くんだろう。早く抜け出したい。零、どこにいるの?
起き上がると、晴れた空が目に入った。ここは…?
あたしは自分の部屋にいることに気付いた。いつ帰ってきたんだろう。何も思い出せない。とにかく気持ち悪い。
あたしは洗面所に駆け込んだ。全てのものを吐き出した。その時気が付いた。
そっか、那智を失ったんだ。
那智はもう、あたしのことを見てくれないんだ。あたしは那智に殺されかけたんだ。そこを零が助けてくれて。零の右腕が…。
そこまで考えたところで、また吐き気が襲ってきた。あたしは胃の中を空っぽにするほど吐いた。
色んなことが頭の中を巡った。結論は単純だった。だけどそれを心が飲み込むには時間が掛かった。
リビングに行くと、お母さんと宵月が座っていた。
「蓮。辛かったわね。大丈夫?」
あたしは虚ろな目で答えた。
「大丈夫だよ」
「姉ちゃん。無理しなくて良いからな」
「うん、大丈夫」
あたしはどこを見ているんだろう。もう、誰も目に入らない。するとインターフォンが鳴った。お母さんがインターフォンに出て、訊ねてきた人を招き入れた。
「蓮。身体は平気?」
優しく穏やかな声。あたしは振り返った。零だった。零の姿はあたしのフィルターを外してくれた。零だけが鮮明に映る。
零の右腕には包帯が巻かれていた。
「零…。右手…」
零は全然気にしてないように答えた。
「ああ、少ししたら治るってさ。心配かけちゃったね。ごめん」
「良かった…」
あたしは安堵に涙した。涙って涸れないんだな。不思議だな。
「零君も来たし、大丈夫よね。蓮、せっかく来てくれたんだし、部屋に案内したら? 蓮もゆっくり休んだ方が良いでしょうし」
あたしは、そう言われて、零を部屋に案内した。といっても、零があたしの手を引いて連れてってくれたんだけど。部屋に着き、椅子に座ると、持っていたかばんの中身を探し始めた。
「こんな時にどうかと思ったんだけど…」
零はごそごそと何かを取り出した。
「これ、今日蓮の誕生日だから。プレゼント」
細長い箱だった。あたしはゆっくり開けた。見覚えのあるペンダントだった。
「これって、前に見た…?」
「うん。一緒に出掛けた時に見たネックレスだよ。それにペンダントトップを付けたんだ」
あたしは、涙が止まらなかった。涙を止める機能が壊れてしまっているのかもしれない。
「寂しくなったら、このペンダントトップを開いて。そうすれば、きっと会えるから」
あたしは頷いた。ただ頷いているだけだった。
「今日はこれを渡すのとお見舞いのつもりだったから。今度は元気になって学校で会おうね。じゃあ、またね」
零はそう言ってあたしの頭を撫でて、部屋を出ていった。
あたしは本当に強がっていただけだった。本当はこんなに弱い。でも強くならなくちゃ。零のためにも。そう思えた。
よく夢を見る。夢とは作り出された幻のようなものだ。
その作り出しているのは誰なんだろう。きっと人なんだろうな。
夢の中で希望を見て、それが本当に自分のものだって錯覚を起こしている。本当は誰かが作り出した夢を、夢だと勘違いしているだけなのに。
そう思うとなぜか悲しくなってくる。
悲しいという感情も正解かわからない。
わからないことだらけだ。きっと正解なんてないのかもしれない。
蓮。君は涙を流しても良いんだよ。
それは、心が満杯になって零れだす滴のようなものだから。
そこから生まれるのは正しいんだ。
決して作り物じゃない。
十二月に入り、冬休みも近づいてきた。もうすぐ冬がやってくる。あたしは、まだ那智の事件を引きずっている。でも、おじいちゃんに話しかける度におじいちゃんに頭を撫でられているようで、悲しみや寂しさは少しずつ薄らいでいった。
以前、宵月に言った言葉は、半分自分に言い聞かせていたようなものだったんだな、と思った。だけど、仲直りする相手が消えてしまって、あたしはどうしようもなかった。どうしようもないけど、零がいてくれるから、おじいちゃんが笑って見守っていてくれるから、宵月が憎まれ口を叩いてくれるから、お母さんが心配して仕事を休んでそばにいてくれるから、あたしは自分を保つことが出来た。
みんなの支えのおかげで、あたしは生活している。電波社会になって失ったものを、今感じているのかもしれない。電波社会で失ったもの。愛情、寄り添い、心、希望、人に必要な様々な感情、全ては人が生きていくためのエネルギー源だった。おじいちゃんが生きていたら聞かせてくれたかもしれないけど、これからは自分で見つけなきゃいけないんだ。あたしはそれを探した。
あたしは、朝起きて陽を浴びた。そのまま、伸びをしてリビングに向かう。
お母さんと宵月と朝食を取る。二人はまだ心配しているが、あれから一週間が経った。一週間というと短いようだけど、何かを忘れるために頑張るには十分な時間だった。あたしは毎日、放課後に零と一緒に絵を描いていた。お昼休みは一緒に食事を取っていた。零は右腕を負傷しているので、あたしは零の左側を歩いた。あたしは右手を出し零は左手を出して、手を繋いで帰った。そんな日々の繰り返しだった。
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